昔、新宿のFugetsudoによく通ったものです!

そろそろ先が見えてきましたから、今のうちに記憶を書いておこうと…

失恋の追体験

2013年09月29日 | ファンタジア・その後

 君が国際結婚をしてアメリカに旅立ってから、僕を襲ってきたのは寂しさだった。

 失恋は僕は二回経験している。君との別離が、過去の失恋の感情を強く引き出してしまった。

 いろんな所に、事に、君を見出す自分がある。音楽を聴いても、TVのニュースでどこか二人で出かけたところの名前が出てくると、その時のことが思い出される。こんなことがいっぱい、いっぱいあるわけだ。

 最初の失恋は、絵描きの卵との別離だった。大学生だったから、本当の初恋だったし、心の入れ込みかたが深かったのだろう。今でも、Nさんの展覧会を探したり、絵を見たり、怒られながら年賀状を出したり、なかなか忘却のかなたに忘れ去る…ということはできていない。

 あの時も高円寺、荻窪、吉祥寺など、中央線の沿線の名前を聴いただけで、思いはNさんとの時間に戻って行って、別れた自分を悔やんだりしていた。あの時は、自分の感情に逆らって、論理性からの頭でっかちの怒りで別れてしまった。結果として、感情の処理が出来なくて尾を引いたのだ。おそらく今も…。

 君との別れは、やはり失恋だった。大切なものを手のひらからするりと失ってしまって、感情は波立っていた。心に、心臓のあたりに鈍痛が感じられるのだ。

 二俣の姉のマンションに住みながら、夜毎、ウイスキーのボトル三分の一くらいを消費しながら、厚いノートに、自分の気持ちを書きなぐっていた。毎晩だった。それは僕自身に対する悪態であり、時には君が残したいとおしい思い出の一旦だったりした。

 やはり、一番多かったのは、君と過ごした場所の思い出に感情が繋がったことだったかもしれない。そして、自分一人で身をおいてみるということはよくやった。



 当然、君とたくさんの時間を過ごした、君んちの葉山の別荘あたりを歩いてみるということになる。車で、横浜・横須賀道路を走って行けば簡単。逗子ICで降りればすぐだ。

 懐かしい急坂を登って、誰もいないことを確かめて、君んちの駐車場に車を入れる。そこからちょっと庭に入り込んで、振り返れば、江の島が見える。何度この風景を君と一緒に見たのだろうと思うと、懐かしさが胸を苦しくする。前の家の黒い犬も相変わらず吠えている。

 腐ってしまって、僕が片付けた庭のテーブルとベンチのコンクリートの基礎に座りこんで、僕は海を眺めている。頭の中には、雨戸の閉まった別荘の中の様子が浮かんでくる。ソファーベッドのモスグリーンのうえで抱き合った染みの痕とか、寒かったシャワールームの様子だとか、いろいろと浮かんでくる。

 近くの魚屋さんで作ってもらった地魚のお刺身が並んだテーブルも、別荘の中にある。

 一人で庭にいてもしょうがないので、車に乗り込んで下に下りてみる。港、パン屋さん、お酒屋さん、小さなスーパー、日影茶屋などを回ってみる。もちろん、君はいない。

 葉山から車を走らせて、御用邸前の蕎麦屋を眺めると、どうもつぶれてしまったようだ。長者が崎にはモダンなビラが建った。秋谷のカフェは、今も店を開けている。立石からの相模は、今日も波が荒い。時には駐車場に止めた車まで、しぶきが飛んでいる。

 佐島マリーナに寄ってみたけれど、車はホテルにしか止められないようだ。仕方なく、さらに車を転がす。

 林ロータリーを過ぎれば、荒崎まで…と心に決めて走り続ける。相模湾の夕日が輝くころ、荒崎の崖を登って熊笹の中を分けて頂上に立つ。君と、何度来たことだろう。相模湾の夕日を見るにはこんな素晴らしい場所は他に無い。白波が立って、荒崎特有の何本も海に向かって縦に走る岩の入り江に、しぶきが上がる。風は強い。汐の香りがする。



 城ケ島まで行くのは、今日はもう無理だから帰ろうと車を回す。林ロータリーまで、相模湾沿いに走って、それから横浜・横須賀道路を目指して山の道に入って行く。

 横・横を猛スピードで走れば、二俣は近い。心は楽しんだだろうか、それとも傷を深くしたのだろうか、わからない。

 なんだか僕にとっては、三浦半島は鬼門になってしまった感じがする。すべて、君のせいだとノートに書き散らす。失恋の実感がジワリ。

<この荒崎の写真はflickrより、Nao Iizukaさんの「荒崎」をお借りしました>
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