昔、新宿のFugetsudoによく通ったものです!

そろそろ先が見えてきましたから、今のうちに記憶を書いておこうと…

新しい生活を二人で作る、住む

2016年07月24日 | ファンタジア・その後


 君の2011年7年7日、七夕の日の帰国から、二人の新しい生活が始まった。二人にとって、すべてが新しい経験だった。なぜかというと、二人が一緒に住むというのは初めてだったからだ。



 <二人分のカトラリー>

 1974年に知り合い、1975年8月から、結婚していた僕との”秘めたる恋“の時が始まり、そして13年。ある時、君の自由を奪っている”秘めたる恋“を止めると決意したのが僕だった。僕は君を蹴飛ばして、僕の世界から遮断したわけだ。

 君は1988年、アメリカ人と結婚して日本を離れ、アメリカの生活を始めた。一方、僕はかみさんとの合意通り、子供たちが独立したら離婚するという約束にしたがって、子供たちが独立したのを確認した1995年に離婚した。その時、僕は53歳。30年務めた会社を早期退職し、新しい世界をはじめていた。

 今から思えば、愚かな話だが、残りの人生、これからの25年くらいを、一人で生きるのもつまらないと、恋愛感情はなかったのだが、一応一緒に住めそうだと思った当時40歳近くだったNさんと結婚した。僕はバツイチ、彼女は初婚だった。

 二人の間に子供は作らないとの合意があった。子供は、犬の“息子”が一人。名前は、チロと付けた。実は、後でわかったことだが、このチロの存在が、僕とNさんの生活の基盤だったのだ。それが分ったのは、チロが癌で9歳で虹の橋を渡った時だった。チロが消えてみると、Nさんと僕の間には、共通のものは何もないことが分かった。ペットロスに伴う、僕のうつ状態や、Nさんのパニック障害の発症で、二人に棘とげしい同居別居という時間が始まった。

 そんな中、アメリカの君との交流が徐々に生まれ、2009年の秋に新宿PEPEで話した時、お互いに無駄な時間を過ごしたと気が付いたのだ。

 僕たちの”秘めたる恋“を放棄したのは、女性のみが持つ可能性である子供を産める環境に君をおいてやれないという、僕の理不尽さが見えてきたからだった。子供が独立するまでは離婚はできないと思いながら、君を開放することもできない自分を許してはならないと思ったからだ。

 しかし、神様は、皮肉な運命を二人に課していらしたのだ。

 2011年7月22日、君は僕が見つけておいた横浜のマンションに引っ越してきた。実家には、僕とのことは内緒だったから、一人で住むということで簡単な引っ越しだった。君がアメリカから送った段ボール箱が、引っ越し荷物のすべてだった。

 僕たち一緒に住むと決めたのは、PEPEの会話以来、Gmailのチャットで、深夜の電話でも話していて、二人が、やはり、お互いを好き合っていて、別に暮らすという選択肢は浮かばなかったからだ。

 君に言ったことだが、僕は、君との最初の出会いを意図したわけではなかった。

 まったく、神様のいたずらから始まったといってもいいだろう。初めて二人で話したのは誰かの歓迎会に、長靴で来たのが僕と君だったからだ。宴会の店の人が邪魔だから、君の黄色い長靴と黒い長靴を、座敷にあがる入口の隅に、並べて立てかけていたのが、みんなに冷やかされたのが切掛けだった。この並んだ、黄色と黒の目立つ長靴が、その後の二人の秘めたる恋に発展し、13年間のウイークデーでの同棲が始まった。僕は、毎週末、僕が別居していたぼろアパートから、子供たちに会うために家に帰っていた。君は、毎週末を一人でつらく過ごしていた。

 だから、今回、横浜のマンションで、24時間を共にする生活は初めてだった。

 再会した二人は、同じように身体的問題を持っていた。それは、別々の生活を、君はアメリカで、僕は日本で過ごした21年間に発症した病気だった。つまり、いつまで生きられるかわからない二人だった。君は卵巣癌からの転移の危険に怯え、僕は、激しい発作が発症した肥大型心筋症による心房細動を持っていた。この心房細動は、いつ、心室細動に変化するかもしれず、突然死の危険が分っていた。もう無駄にする時間は、二人にはなかったのだ。

 二人の立場は、この21年で、まったく逆転していた。僕は、無意味な結婚から、離婚調停を得て離婚し独り身。君は、アメリカに肝硬変で、脳の海馬がおかしくなり、暴力的になる可能性のあるアルコール中毒で、大麻にまで手を出し始めたのご主人から逃れて、日本に逃げ帰った人妻。

 初めての共通の時間を二人で生きてみると、さまざまな問題があらわれた。見ず知らずの二人ではないが、二人で住むと、まったく過去には顔を見せなかった問題が現れた。一番難しい問題は、君の僕の過去への嫉妬だった。離婚したNさんとの僕の記憶、旅行、家具、食器に至るまで、すべてが君の嫉妬の対象になった。過去に存在した事実に嫉妬されても、それを解く方法を僕は知らなかった。

 何度かの激しい論争、いがみ合いの中で、その嫉妬に対応していくしかなかった。幸い、二人の間には、もうこれ以上別々には時間は過ごせないという共通の認識があった。いつも、突然、この人生が終わるかもしれないという恐怖があったのだ。

 年取ってはじめて、恋愛感情と言える、すべてを共有したいという感情が生きていた。こうして、二人の同居生活は、だんだん、それが普通の状態となっていった。

 君はアメリカの残してきた、ご主人と愛猫のキュウちゃんに罪の意識を常に持っていた。これも、僕は解決してあげることができない現実だった。

 僕も、3回にわたる心臓の手術を体験し、死の存在が近いと思い知った。法的な結婚が全てではないから、許された時間を二人で生きようとの思いが、この同居生活を支えていた。君も、がんの再発を恐れて、CA125の検査結果を恐る恐る見ながらの生活になった。

 アメリカでの主人との同居別居から、君を救っていた愛猫のキュウちゃんをアメリカの置いてきたことが、君の心に強く引っかかっていたようだ。何度かの、アメリカとの交信があったようだが、内容を聞こうとは思わなかった。

 帰国から3年後の2014年6月、アメリカ人の旦那が病気で死亡したとの通知がアメリカの弁護士からあった。また、キュウちゃんは、2011年に17歳で大往生だったとわかった。やっと君は、呪縛から解放されたのだ。

 結婚という言葉も時には上がるが、このままでもいいやという気持ちが、今の二人にはある。当分、こんな感じで、二人の時間を大切にしていこうと考えている。

 P.S.
 2005年から書き始めた長い秘めたる恋の物語は、現実の時間に追いつき、重なってきた。思い出は、このあたりで終わりにしよう と考えている。後一話、書いておかなくては…と思っている。

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