じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

昔も

2017年02月14日 | 日々のこと
足りないなんてものじゃなかった。
40数年前、保育所など整備されていなかった。
あんなに子供の多かった時代なのに、保育園は全く十分ではなかった。

共働きしながら長女が生まれて産休が終わると同時に、
昼間は近所の友人に赤ん坊を頼んで仕事に復帰し、看護婦なので夜勤もありました。
夜は私がみていたのかなあ・・・
友人が朝早くに連れに来てくれ、自分の子供のように良く面倒をみてくれました。

2年後に長男が生まれ、妻は仕事を辞め、
町はずれの田舎に小さな家を建て移り住んだ。(今の家ではない)
でも二人の幼子を育てることは並大抵ではない、
数kmの道を、予防注射や買い物も自転車でしたから・・・・
自転車の前後に子供を載せて自動車学校に通い、運転免許を取りました。
後にも先にもこの三年間だけですね、専業主婦だったのは。
2人が幼稚園に通えるようになると、再び就職しました。
妻にとっては、戦争のような忙しさだったように思います。
それでも3年間、田舎道を歩き自然の中で、存分に子育てに専念できたようです。
今にして思えば私は何事につけ無頓着だったように思います。


庭の垣根の椿

一つの木に紅白の花









コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする