夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

改装完了 松鶴亀図 狩野了承筆 天保8年(1837年)

2020-06-16 00:01:00 | 掛け軸
休日は掛け軸を変えながら息子と掛け軸鑑賞・・???   作品は「軍鶏図」田中一村筆。(後日投稿予定)



息子が興味があるのは風鎮・・・・「これおさかな?」



さて本日紹介する作品は、入手時には収納されている箱もなく、表具も虫に食われた跡が多く、扱いにも難儀する状態でした。それほど著名な画家ではありませんが、絵の出来が良いので改装することにしていた作品です。このたび、改装と箱の誂えが完了したので投稿することにしました。

ちなみに下の写真は改装前のものです。



松鶴亀図 狩野了承筆 天保8年(1837年)
絹本水墨軸装 軸先木製 合箱→二重箱
全体サイズ:縦1570*横470 画サイズ:縦840*横350
改装後 全体サイズ:縦1743*横481 画サイズ:縦846*横354



改装は全面改装で箱がなかったので「上箱+塗二重箱+タトウ」を誂えました。吉祥図はそれなりの誂えが必須・・???   

 

狩野了承(かのうりょうしょう)は「1768~1846。享年78歳。山形県酒田市に生まれ、江戸に出て狩野派に所属した絵師。」ですから、小生と同じく東北の出身で、境遇も同じく上京した身の上です。



実力を認められ、狩野派の最上位である「奥絵師」4家に次ぐ15家の「表絵師」のうちの1つ、深川水場狩野家の当主となります。正式には「了承賢信」と言います。かなりの出世と言えるのでしょう。

「将軍姫君の御用絵師として活躍」という一文がインターネット上に見受けられ、年代的には第11代~12代将軍ということになりますので、残念ながら有名な篤姫とは縁がなさそうです。



あくまでも推測ですが第12代将軍家慶は第11代将軍父家斉の死後に庄内藩などに対する三方領知替えの中止を決断していますので、この件に関しては彼の出身地酒田であることから、徳川家慶に感謝していたのではないかと思われます。



日本の題材をやわらかな線で描いたやまと絵を得意とし、他の流派との交流がきびしく禁じられた狩野派の「表絵師」にありながら、華やかでデザイン性のある琳派の影響を強く受けた絵画も制作しているとのことです。



「祝寿図」は松、鶴、亀などを用いて吉祥を表すことが多く、良く描かれるのは松と鶴、鶴と亀の組み合わせですね。例えば「松鶴延年図」「松齢鶴寿図」「亀鶴斉齢図」などは、長寿や気品の高さを表している作品です。

鶴は双鶴、亀は親子亀・・・、本作品は吉祥図として誰かに依頼されて描いた作品かもしれません。



落款には69歳の作と記されており天保8年(1837年)の作と推定されます。

狩野了承賢信の作品は実力はありながら、マイナーな画家のせいかよく分かりませんが、市場には作品は少ないように思います。貴重な作品と判断し、二重箱を誂えてあります。

ちなみに贋作はまだ見たことがありません。 

 

狩野了承の作品は実はこの作品が2作品目の紹介となっています。

最初の作品は下記の作品です。

三保の松原富嶽図 狩野了承筆 その1
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙 誂箱二重箱 2013年改装 
全体サイズ:縦1362*横695 画サイズ:縦468*横670



上記の作品の落款に「狩野了承行年七十六歳筆 印(「賢」「信」の朱文白方印の累印)」とあり、1844年(天保15年、弘化元年)の頃の作品です。この落款により、本日の作品は「三保の松原富嶽図」の作品の7年前に描いた作と推定されます。

実は「三保の松原富嶽図」も入手時は本作品と同様で表具が傷んであり、収納箱もなく、表具もかなり傷んでいたので、同様に改装して箱を誂えています。



「三保の松原富嶽図」は、本ブログが縁で静岡富士山世界遺産センターにて展示されたことがあります。当方の所蔵作品が公の展示作品となったはこれが最初で最後です。



上記はその際に発刊された図録の説明文です。葛飾北斎との関連にも示唆された記述があります。

改装をした甲斐がありましたし、狩野了承も喜んでいるでしょう。




         



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