『音惚花活気好@kakky』=垣内政治的《霊界物語学》の日記的な雑記の様なレポート状の諸々?
出口王仁三郎聖師による弥勒胎蔵経『霊界物語』を『音惚花活気好@kakky』的に学問してみるランダムレポート?
 



 ここに四人の宣伝使がゆくりなくも、
鬼城山(キジヤウザン)の虎穴に入りて目出度く対面を遂げたるは、
全く大神(オホカミ)の経綸(シグミ)の糸に操(アヤツ)られたるなるべし。

四人の神司(カミガミ)は仁慈の鞭をふるひ、
美山彦一派の邪悪を言向(コトム)け和(ヤハ)し、
意気揚々として谷間を下り、
音に名高きナイヤガラの大瀑布(ダイバクフ)に禊(ミソギ)を修し、
ホツと一息つく間もなくなく涙の袖(ソデ)の生別れ、
吾が天職を重んじて、
東西南北に袂(タモト)を別ちたるなり。

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ちょうど今、北朝鮮が韓国領土の島に砲撃をして、
民間人に犠牲が出たのをきっかけに、
日韓米中が政治的な繋がりを再確認して、
東アジアの平和の為に心を一つにせざるを得ない状況に追い込まれ、
そうなれば自然にこの流れにロシアだって同調せざるを得なくなる。

…という事が起きているのと類似した事の様に思うのだが、
はたしてどうだろか?

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すべて大神の宣伝に従事するものはあくまでも同行者あるべからず。
他人を杖(ツエ)につくごときことは、
到底宣伝使の資格無きものなり。

山野河海を跋渉し、
寒さと戦ひ、
飢を忍び、
あらゆる艱難辛苦を嘗(ナ)め、
吾が身魂(ミタマ)を錬磨し、
浮世の困苦を自ら嘗め、
あるひは蛇の室屋(ムロヤ)に、
あるひは蜂の室屋に出入して、
神明の依さしたまへる天職を喜びて尽すべきものなり。

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要するに社会に不安要素が無くなれば、
北朝鮮を鎮める為に手を結んだ各国家も、
そうした不安を忘れて、各国の利益と繁栄だけの事を考えて、
のびのびと独自の幸福を追求する事が出来る様になるわけで、
この文章は、一人旅というものが一見淋しく不幸な事の様に描かれているが、
実は一人旅くらい気楽でのびのびとした自由な天国はないんだよ。
…と教えてくださっている様な気もしないでもない筆者なのである。

そうして傍に理想通りの異性でもいた日には、
食事もトイレも忘れて抱きしめて抱きしめて抱きしめ抜いて…

…という具合に、世間様に何一つ憚る事も無く、
この世の春を満喫出来るわけだ。

宣伝使が勇むのは、この世に、ほんの小さな悲しみがあれば、
月光仮面の様にそこに飛んで行き、その悲しみを慰めて、
笑顔を取り戻させてやりたいという、熱い思いばかりであろう。

それが出来ない時にこそ、宣伝使は自己嫌悪の深い闇に堕ち込み、
苦悩するのであろうから、
そんな宣伝使の一人旅にとって、ただ一つ頼みになるのは、
誠の神様への信仰と、その道を守ろうとする強い意志だけであり、
他にどんな友の慰めがあっても、なかなか救われるものではない。

…という、実をいえば、物凄く贅沢な苦労なのである。

どちらにしてもやってみなければ、
想像だけではなかなか判らない事ではあると思うのだけれども…?

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宣伝使に下したまへる裏(ウラ)の神諭(シンユ)にいふ。

『汝(ナンジ)ら神の福音(フクイン)を宣(ノ)べ伝ふ時、
 前途に当つて深き谷間あり。
 後(アト)より、
 虎、
 狼、
 獅子などの猛獣襲ひ来り、
 汝を呑(ノ)まむとすることあるも、
 少しも恐るることなかれ。
 神を力に誠を杖(ツエ)に、
 寄せくる悪魔を言向けやはせ。
 一人の旅とて恐るる勿(ナカ)れ。
 誠の神は誠ある汝を守り、
 汝の背後に付き添ひて太(フト)き功(イサヲ)を立てさせむ。

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こういう事は、まだ一歩も踏み出していない身魂に対して云う事で、
入社したての社員が先輩や上司から頂く激励の様なものだ。

一歩、危険な社会に放りだされれば、
人の中に眠っていた自己防衛本能がテキパキと動き出し、
野性の勘を発揮して、あらゆる困難をスリルくらいに感じて、
勇んでチャレンジして行く様な情態になって行くものだ。

どんな道でも、はじめの一歩を踏み出せるかどうかにかかっている。

そんな風に筆者は思うのだが、違うだろうか?

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 厳霊(イヅノミタマ)を元帥に、
 瑞霊(ミヅノミタマ)を指揮官に、
 直日(ナホヒ)の御魂(ミタマ)を楯となし、
 荒魂(アラミタマ)の勇みを揮ひ、
 和魂(ニギミタマ)の親みをもつて、
 大砲小砲(オホヅツコヅツ)となし、
 奇魂(クシミタマ)の覚りと、
 幸魂(サチミタマ)の愛を、
 砲弾または銃丸(ジユウグワン)となし、
 よく忍びよく戦へ。
 神は汝と共にあり』

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こういう事も、ただこの字を読んで憧れているだけでは判らないと思う。

やってみてその深い意味も身にしみて来て、
何度もつまづいて立ちあがり乗り越えるうちに、
そりゃそうだ。面白いのう。

…という事になる様な気がするのである。

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 神人ここに合一して、
神と人との真釣合(マツリアヒ)、
神の勅(ミコト)を身に受けて、
いよいよ高天原(タカアマハラ)を伊都能売魂(イヅノメミタマ)の神(カミ)の命(ミコト)、
荒磯の浪も鎮まる長閑(ノドカ)さよ。

春日姫(カスガヒメ)は尊き神の守護の下に、
夜に日をつぎて北東へ北東へと進みつつ、
常世国(トコヨノクニ)の東岸に現はれける。

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筆者はこういう事をホイホイとやっているのが「ルパン三世」とか、
「未来少年コナン」の腕白な登場人物達である様な…
まあ、あれはアニメであるけれど、例えば筆者の、

「おとぼけハリー大作戦 第一話 鉄の城(紙芝居系)Part 1.wmv」


「おとぼけハリー大作戦 第一話 鉄の城(紙芝居系)Part 2.wmv」


「ALL TO A MASH / おとぼけハリー大作戦(紙芝居系)第二話 不思議な女」


の「おとぼけハリー」の様な感じなのではなかろうか?
…と感じるのだ。

ちょっとまだこの頃の「霊界物語」の表現は大袈裟な気がする。

実際、世の中の名も無き人々の中には、
こういう人はたくさん隠れている様にも感じるのである。

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 天青く山清く、
浪静かに紺碧の海面は大小無数の島嶼(タウシヨ)を浮べ、
眼界遠く見わたす東(アヅマ)の海面に、
金色(コンジキ)の一字形(イチジガタ)の光は横に長く靉(タナビ)き、
雲か浪かと疑ふばかり、
その麗しきこと言語の尽す限りにあらず。

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誰もが知っている吾々が住む地上の夕方の空にも、
時々こんな雲が現れる気がする。

それが飛行機雲のなれの果てだったりするとちょっとガッカリだが、
飛行機が無かった昔なら、きっとそんな雄大な景色を眺めて、
心純粋な神々は心を熱くし、勇気を出して一人ぼっちの宣伝の旅に、
自ら拍車をかける事が出来たのに違いない。

まだインターネットを使えなかった頃の筆者も、
よく似たようなロマンに浸った覚えがある。

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ややありて浮び出でたるごとく、
金色の太陽は浪を破り、
雲を排し分け悠々と清き姿を現はしたまひ、
その光は静かなる海面をサーチライトのごとく照破して、
金色の漣(サザナミ)は広き海面に漂(タダヨ)ふ。

こなたを目がけて純白の真帆(マホ)を揚げ、
静かに寄せくる一艘の船あり。

見れば紫の被面布(ヒメンプ)をかけたる宣伝使は、
船の舳(ヘサキ)に直立し、
白扇(ハクセン)を高くさしあげて、
何事か謡(ウタ)ひつつ船は岸辺に刻々と近寄り来たりぬ。

 (大正十一年一月十七日、旧大正十年十二月二十日、加藤明子録)

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ヒーロー登場!

…という感じで、颯爽とした雄姿を想像できる。

「タイタニック」では若い男女が船の舳先に立っていちゃついていたが、
男という奴は、船の舳先に一人でいると、
ついついと恰好つけて立ってみたくなるもので、
たぶんそれは、何も坂本龍馬だから恰好よく見えた。

…というものでもないのかもしれないと筆者は思うのだ。

潮風受けながら男が一人で堂々と構えて立っていれば、
ちょっとやそっとの間抜け面でも、なんだか恰好よく見えて来る。

船というやつは、なんとなくそんな不思議な効果がある乗り物だ。

だからノアの方舟などが、
救いの船に引き合いに出される事が多いのかもしれない。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

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