鬼が暴れたのだろうか

2018-11-21 00:00:06 | スポーツ
万城目学著の小説「鴨川ホルモー」では、数多く存在する鬼には、無害な鬼と有害な鬼がいることが明らかにされ、その鬼たちを操るもの(特別な人間とか神様とか)は鬼語を話し、修行により鬼を見ることができると、されている。

その日常的に鬼を操るのが平安時代の陰陽師である安倍晴明とされている。魔術を使うとされるが、普通の人間の目には見えない鬼を操ることができれば、多くの魔術的なことができるはずだ。

そして、晴明が祀られる京都の晴明神社だが、昨年から祀られる人物が変わった。今祀られるのはフィギュアスケートの羽生弓弦だ。ことの発端は2015-2016シーズンで、フリープログラムに「SEIMEI」という曲を用い、活躍した。その頃から晴明神社には国内外から羽生ファンが集まってきて聖地となった。

しかし2016-2017年には、「SEIMEI」を封印してしまう。2017-2018年は平昌五輪の年。このシーズンは再び「SEIMEI」を再利用、ところが11月に4回転ジャンプの練習中に転倒。SEIMEI封印の仕返しを受けたわけだ。

そして2018-2019年。またしても羽生は「SEIMEI」を封印する。その結果、

再び松葉杖に追い込まれる。4回転練習中に転倒し大けがを負うことになった。

どうすればいいのだろうか。

答えは簡単だ。

「鴨川ホルモー」に書かれているが、「鬼語」を覚えればいい。鬼の仲間になれば、仕返しされないばかりではなく、姿が見えない鬼たちの協力で、5回転ジャンプもできるし、リンクの中を空中遊泳することもできるだろう。

もっとも、鬼語をマスターするには2年は必要らしいので、それまでの対策が必要だ。

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晴明神社に行って、星印のお守りを購入すればいい。
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鴨川ホルモー(万城目学著 小説)

2018-11-20 00:00:35 | 書評
映画にもなった小説で、ホルモーとはホルモンではなく、鴨川とは千葉県ではなく京都市内を流れる川のことだ。京都大学他に伝わる伝統的ゲームなのだが、現代人のほとんどが信じないような「鬼」の世界と「人間」の世界をつなぐ(いや、つながない)人たちが、この数名の大学生なのだ。

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まず、鬼語を学ぶところから修行が始まり、それによって世界の鬼たちを巧みに操って自分の味方につけて他の大学の鬼たちと戦うわけだ。

その長い伝統の中で、まれに鬼そのものを目撃する機会が訪れるわけだ。鬼にも良い鬼と悪い鬼がいるようで、人間に媚びる者と人間と敵対する鬼がいる。敵対といっても普通の人には鬼の存在が知れていないため、重要な入学試験の日に電車が遅れて遅刻し、1分差で試験会場に入れないとか、不意にめまいがして転倒して腕の骨を折るとか、「不運」と思われる事象も偶然に起きているのではなく、鬼が事態をコントロールしているそうだ。

そして、この行事や鬼との関係性については、どうも京都の安倍晴明神社と関係があるらしい。いわゆる陰陽道である。

そういえば、本小説の主人公は安倍明という名前で、晴明の子孫であるかのごときだ。

小説から離れるが、最近、晴明神社に対して失礼なことがあったようで、鬼が大暴れしたことを知っている。
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出稼ぎなのか移民なのか

2018-11-19 00:00:31 | 市民A
日本の労働者が足りないのはかなり前からはっきりしていたのだが、ベビーブーマーが70台前後になった今、老人労働力に頼るわけにはいかないわけで、女性の社会参加とか急に言い出すのも移民問題と同根なのだろう(引きこもりというカテゴリーもあるのだが)。

それと、最低賃金が上がったと言っても東京で時給985円、鹿児島で761円。仮に1000円として年間2000時間働いて年収200万円。これでは日本人を集めるのは無理だ。

一方で、企業も本来は技能研修生でなく留学生をアルバイトで雇いたいわけだ。学生アルバイトなら健康保険、厚生年金、雇用保険は会社負担は不要だが技能研修生なら半額は会社負担になる。

それと、今回の受け入れ要件の緩和は、企業からの要望と言われているが、細かく言うと、受入れを認められていない業界からの要望ということ。要するに、今までの特権には例のようによくわからない不公平があると感じているわけだ。なぜあの会社だけが大量に外国人労働者を認められているのだろうか、というような不満がくすぶっている。

さらに、こういう時こそ大活躍するはずの労働組合はどうなっているのだろう。傍観なのだろうか。あるいは反対?あるいは賛成?

労組的にいうと、研修生が労組に入るなら賛成、入らないなら反対ということだろう。ようするに組織率が低迷しているわけだ。一方で、例えば船員などについては、そもそも国内航路では外国人船員を拒み続けている一方で、外航航路ではほとんどが外国人船員なので、外国人の組合加入も行われているのだが、それはそれで、外国人組合員からは、組合に対して払った組合費に見合う成果を要求する声が強いらしい。

最後に、技能研修生の上限数を制限するような話が浮上しているが、どうやるのだろう。早い者勝ち?抽選?割り当て?割り当てとなると、外国人枠というのは個人に所属するのか会社に所属するのははっきりしない。受入れ枠の売買のような醜い形に変貌するような気がする。
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すみだ北斎美術館に

2018-11-18 00:00:14 | 美術館・博物館・工芸品
最近、日テレの人気番組「イッテQ」で、やらせ疑惑が浮上している。ラオスで伝統的に行われているとされる「橋まつり」の放送が、「真っ赤なウソ」であったらしい。橋と言っても泥水の上に板を浮かべて、その上を渡り、コケると泥水に浸かるという、至ってファニーな祭り。実際にはタイとラオスの国境を流れるメコン川という大河のタイ側の流域では、この「橋まつり」があるらしい。とはいえ、日本の感覚だと「橋」というのはメコン川を渡る橋という意味だが、板を浮かべるのとはずいぶん違う。

現代でも国際河川のメコン川の橋は橋桁が低く、貨物船が橋の下をくぐれない。主に日本の技術で橋桁の高い橋ができているが、既存の橋が一つでも残っていると、船は上流に上れない。

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日本の橋はメコンの様な大河ではないため、江戸時代から木造の大橋が作られるようになった。その各地の橋は構造的に美しく、葛飾北斎は実は富士山よりも橋を描いた数の方が多い。その橋に魅せられた北斎の画を中心とした「北斎の橋 すみだの橋」という展覧会が、両国のすみだ北斎美術館で開催されていた(現在は終了)。

いや、上手いものだ、と感嘆するしかない。

奇抜な趣向の橋が多く、その橋を生かすために、富士が書き添えられたり、旅人や川や船、そして雨と、まさに遊ぶが如くの腕前だ。しかも見ていない橋まで、目の前にあるように描き上げている。

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本展に出展されている作品の中で、「岡崎矢はきのはし」は矢作川にかかる「矢作大橋」のことだろう。当時、日本最長の橋だった。秀吉が蜂須賀小六と出会ったのが、この橋の上とされる。数年前、岡崎城に向かう道に迷ってこの橋を渡ろうかどうか思案した。

岩国の「きんたいはし」は錦帯橋のことだろう。実際に行ってみると、橋の湾曲や向こうに見える岩国城の建物など、ほぼ正確だ。今のようにカメラもない時代に、よく描けるものである。


常設展の方も見てきたが、世界中から愛好家が集まるのだから、もう少し展示作品を増やした方がいいのではないだろうか。デジタル化した作品集をモニターで見るという方式は、どこかに勘違いがあるような気もする。

思うに北斎の魅力は、「構図」にあると思う。何しろ奇抜だ。そして自由だ。たとえばゴーギャンやルノアールにしても、描いた絵を、画商を通じて売ってお金を得ることになっていた、ある意味で売れる絵を目指すということは、構図は絵画を買う人の趣味や奇想に大いに影響されるのだろう。浮世絵は印刷物として市井の市民に広く販売されていた。市民による粋の精神と美に対する熱狂があったからこそ、北斎が活躍できたのだろうと思う。

ところで、この美術館の建物だが、斬新風だが、あまり好きにならない。四角なビルが大地震で崩れかけて亀裂が走ったような感じだ。ここに美術館ができたのは、生涯に93回も転居した北斎だが、ほとんどこのあたりに住んでいたからだそうだ。転居の理由はよくわからない。家賃問題かな。
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今年の順位戦

2018-11-17 00:00:07 | しょうぎ
順位戦も半分以上進み、各クラスの成績を眺めてみると、

A級 豊島二冠が5連勝と先行。ただ、昨年も5連勝のあと1勝4敗。6人プレーオフでも3連勝の後、敗退の前例あり。全体が上中下の3グループに分かれているので、それぞれの目標が見えているような気がする。

B1 渡辺棋王が7連勝で、残り5局で2勝すれば昇級(実際には1勝でも)。2位争いは混迷だが2敗、3敗が6人。8勝4敗が目標だろうか。逆に降格ラインは4勝8敗かな。谷川先生は4勝4敗なので、全勝または全敗コースになった時のみ注目されるのかな。

B2 いまのところ特筆なしだが、うつ病から復帰した先崎九段は応援したいところだ。社会復帰がうまくいかないことが多いのだが、せめて降級した時に病気のせいにはしてほしくない。

C1 藤井聡太七段を中心に最もホットなリーグで、全勝者が3名。1敗が4名。2敗した者から不可になるのだろう。2月にならないと絞れない感じだ。

C2 そもそも毎年4人が入ってきて3人が昇級するということで、強い四段がたくさん残っている。現状44人で年に10人と対局ということで、運不運が関係する。こちらも全勝が3人、1敗が9人と前が見えない。このリーグは、2敗した段階で、泥沼の中を泳いでいるような感じなのだろうと推測。


さて、11月3日の出題作の解答。

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テーマは「押し売り」。飛車も竜も押し売りしなければならない。そのためには角が往復1回しなければならない。往復回数は2回しても3回しても詰むのだが4回すると「連続王手の千日手」で将棋のルール違反になる。あまり知られていない詰将棋のルールとして、「攻め方は最短手順を選ぶ」というのがあって、2往復は禁止される。

「押し売り」自体、法令に違反することがあるが、将棋の場合は「相手の嫌がる手が好手」ということなのだ。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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斜めに動く駒を使って詰ませるのは、難しい。最後はピストル使用。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。
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味噌ラーメンも時々

2018-11-16 00:00:51 | あじ
しばらく北海道に行っていない。となると、肌寒い日には味噌ラーメンを食べたくなるが、最近、味噌ラーメンにとって辛い時代が続いている。あまりに味が現代的じゃないからだろう。スープは濃厚系とか、動物由来と植物由来のダシをミックスしたり、一方、透明であっさり系とか。アメリカ社会と同じで、極端と極端に二極化しているのかもしれない(いや、多極化かな)。うっかり「味噌ラーメンが好き」とか漏らすと「昭和」マークのラベルを貼られてしまうだろう。あくまでも「隠れ味噌ラーメンファン」というスタイルがいいだろう。

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すすきのの味となればラーメン横丁の味噌ラーメンということで、代表的な店の一つが『満龍』。もうすぐ創業50年(1971年~)だ。さらに、首都圏にある東急電鉄と契約があって、東急系のSCに出店している。飛行機に乗るよりも電車の方が安いわけで、近くの『満龍』へ行く。実際、半年に一回位、味噌ラーメンを食べに行く。

ところが、満龍自体、すすきの感を薄めているようで、周りを見回しても「味噌」を食べている人は見当たらない。思えば、「平成」ラベルの人が多い感じだ。「辛みそラーメン」が人気のように思える。

といっても「味噌ラーメン」の味は、記憶の中の味噌ラーメンと同じだ。コーンやバターやチャーシューをのせないのはケチだからということではないから(念のため)。
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スローカーブを、もう一球(山際淳司著)

2018-11-15 00:00:44 | 書評
短編ノンフィクション集である。有名な『江夏の21球』は、この9編の短編集の2番目の作品である。実は、江夏豊氏以外の8作に登場する主人公は、それほどの有名人ではない。高校野球のヒーローであったり、日本がボイコットした(正確には米国の指示の元、日本がボイコットした)モスクワ五輪の代表だったり。遅咲きのボクサーとか。

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この短編集が発表されたのは1981年を中心とした時期である。それから40年が経ち、主人公は70歳位になっているはず。ネットで調べただけだが、それぞれの選手が、今、どうなっているかを調べてみた。

まず、著者の山際淳司氏は1995年46歳で他界している。胃癌だった。早すぎる。1998年のサッカー日本代表がワールドカップに初登場する前だ。貴乃花は1994年に横綱に昇進したばかりだった。

実は、8作の中で、近況がわかったのは3人。

スカッシュのチャンピオンだった坂本聖二氏は、現役選手だった時に所属していた神奈川県のトヨタ系の自動車販売会社に40年間勤務して無事退職している。

本短編集のタイトルにもなっている「スローカーブをもう一球」の川端俊介投手は進学校の高崎高校のエースで、弱小チームを甲子園に連れて行っている。現在は、小学校教員ということのようだ。

ポール・ヴォルター、つまり棒高跳びの日本記録を出した高橋卓己氏も香川県の教職員(高校)とのことだ。
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エイト・デイズ・ア・ウィーク(2016年 映画)

2018-11-14 00:00:09 | 映画・演劇・Video
ビートルズのエイト・デイズ・ア・ウィークは1964年に発表された楽曲であると同時に2016年に公開された、ビートルズの記録映画でもある。

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映画の話だが、1963年から約4年間にわたってビートルズは、作曲、演奏、ライブそして映画と爆発的に活動を続けていた。主に当時のライブコンサートの映像を使って彼らの実像を明らかにしている。といってもそのほとんどは世間に知れ渡っているのだが、例えば、全米公演が30日で25会場のライブとなれば、相当タフなツアーであっただろう。


その前に、何度も見たことがあるのだけど、最初にアメリカに行って出演したのがエド・サリバン・ショーで、第一曲目が「オール・マイ・ラヴィング」。この曲は、演奏ナシで、いきなり「Close your eyes and I’ll kiss you ・・・」と歌いだす奇策を使っている。その時のために準備していたのではないかと思うほど、記憶に残っている。

それで、この映画が何を言いたかったのかは、よくわからないのだが、自分的に思うと、なぜビートルズが終っていったのか、というのを必然性をつけて間接的に説明しているのかもしれない。リンゴが映画の中で今さら言い出したのは、レコード売り上げに対する契約に失敗して、レコードが売れても収入が大きくならないため、必然的にライブコンサートの連続になったそうだ。

一方、人気はどんどん高まっていき、数千人のホールから1万、2万と動員数が増え続け、最後は5万人規模になって、野球場でコンサートをすることになってしまう。そうなると、音響器具の限界を超えてしまい、球場の真ん中で演奏しても、観客の悲鳴の中でとても音楽ではなく、単なる見世物になっていたと彼らは回想している。しかも、危険防止のために囚人護送車に乗って移動しなければならなくなる。

そしてツアーの途中でジョージがブチ切れて、「やりたくない」と言い始めていた。永遠に「シー・ラヴズ・ユウ」を歌い続けるのは嫌だ、という気持ちだったそうだ。

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そして、彼らはモデルチェンジのために休養を取り、再出発をする。契約形態を変えた話は映画にはないが、たぶんそうだろう。活動の場はライブからスタジオに変わっていく。

ところで、初期のビートルズが演奏する時には、前列にジョンとポールが立ち、ちょっと下がったところにジョージがいて、かなり後でリンゴがドラムを叩くのだが、ジョンとポールはしょっちゅう首を振り続けるのだが、単なる演出と思っていたが、本映画の中でリンゴの話を聞いて納得した。ライブ会場は終始、悲鳴と大音響が響いていて、ドラマーの位置では前の三人の音は聞こえなかったそうだ。逆に、前の三人はドラムが聞こえない。どうしたかというと、ジョンとポールの首振り運動や足のステップを見て、想像の中で、ドラムを合わせていたとのことだ。(言わなければ、わからなかったのに)

ところで、個人的に書くと、「ペニー・レイン」「ストロベリー・フィールド・フォーエヴァー」「オール・マイ・ラヴィング」あたりが好みである。歌うのは大変難しいが。
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狆はどこに行った?

2018-11-13 00:00:22 | 市民A
最近のペット事情は、猫>犬となっているようだ。といっても、猫と犬は、ほぼ同数でその時のブームでどちらかが多くなるといったところのようだ。米国大統領選挙のようなもので、共和党も民主党も45%ずつの固定票があって、残りの10%の浮動票をどちらがとるかということのようだ。47対53だったら、浮動票の比率は2対8といった具合だ。

ということで、犬族の話(動物の話であって、政権の犬とか会社の犬の話ではない)。

具体的には『狆』のこと。読めますか? 「ちん」と読む。ちん、というのはもう一つ月偏の別の漢字もあり、書き間違えると大変なことになる。何年か前の8月15日の正午からラジオ放送されたメッセージの、最初の単語が、この漢字だった

ところで、なぜ狆のことを書くかと言うと、横浜の幕末から明治の歴史を調べていて、外国人が大型の洋犬を連れて日本に来たということが驚きをもって見られていたということからだ。現代では珍しくないが、洋犬は室内をウロウロしたりこどもと遊んだり、家族のように扱われているわけで、日本の従来の犬文化と異なっていたからだ。当時の犬の研究では、多くの犬は「里犬(地域犬)」として群れを作ってわけだ。なかには住民から残飯をもらったり、恐ろしいことに行き倒れの人間なども犬のエサになっていたようだ。つまり、犬と人間は近くに住んでいて、付かず離れず状態だったそうだ。おそらく日本の家は外と中は別の空間で、靴(あるいは草履)を脱いで座敷にあがるのに洋館は外と中とは連続的空間になっているからだろう。

ただし、狆は別格。れっきとした座敷犬だったわけだ。ずっと遡って江戸時代の前半に徳川綱吉が生類憐みの令を発した時、綱吉が飼っていたのは、この狆だと考えられている。

狆は日本で改良が行われた犬種のわけだ。

ところが、上記の地域犬と洋犬の対立軸のため、いつの間に狆は日本からはいなくなっていったそうだ。そのため海外に流出していた狆を逆輸入しているのが今の実態だそうだ。

ところが、今や海外で日本犬ブームが始まっている。秋田犬とか柴犬とかだ。となると、狆にも目が向けられるのだろう。元々、長い期間を経て座敷犬となった犬種なので、適用力は高いはずだ。

もっとも、愛犬家の多くは、家庭内で一番偉い地位を既に犬に譲っているわけだ。綱吉の事を笑うわけにはいかない。
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小林一茶居住の地

2018-11-12 00:00:32 | 書評
清澄通りを両国から森下方向に歩くと、『小林一茶居住の地』という立て札があった。北信濃(柏原)から江戸に出てきて苦労して俳諧師として有名になり、ここに住処を得て、そして年を取ったので故郷に帰って、大自然の中で平穏な気持ちで俳句を量産した、というハッピーリタイアメントの話かと思ったのだが、調べると、とんでもないことになっていた。

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まず、1763年に柏原の農家に生まれた一茶だが、幼い時に母親が亡くなり、父が再婚した継母と折り合いが悪くなり、不幸にも実家を追い出される。15歳の時に江戸に奉功に出される。そして、10年間窮乏生活を送る中で俳諧師の道を歩き始めていた。おそらく25歳頃から一流の俳人になっていくのだが居住地は安定しない。本来、俳人は旅に出ることが多いので、立派な家には住まないのだが、一茶の場合、もっと世俗的な大問題を抱えていた。遺産相続問題。

父親は、先妻との子である一茶を江戸に追い出し、後妻との間に男子(一茶の弟)を得、3人で農作に務め、地元では豊かな農民になっていた。ただ、父として一茶への負い目があったのだろうか、死の床で、二人の子供に均等に財産を分けるように遺言状を書き、両者に渡した。

これにより勤勉な農家と江戸の俳諧師との間に、相続問題が勃発し、しばしば信濃に行って交渉することになる。つまり、詩作の旅と交渉の旅である。そういうわけで、江戸の住所も転々とするが1804年から1808年までの5年間が、この立て札に住んでいたわけだ。その前には寺に住み込んでいたが厚意をもっていた住職の急死で、宿なしになったりしている。

そして、やっとの思いで借家ではあるが庭付きの一戸建てに住むことになったのだが、やっと安住して生活が落ち着いたので、本格的に遺産相続問題に着手することにする。その結果、1808年に200日も留守にしている間に、大家が怒ったのだろうか、江戸に帰ってくると、自分の家のはずが、他人が住んでいたわけだ。おそらく、家賃を前払いしなかったのだろう。そうして、またも江戸市中何ヶ所かを転々とすることになる。

そして、必死に交渉した結果、やっと信濃に家を確保し、生家に戻ることになるのである。

立て札には美しい話が書かれているが、実態はかなり人間的な醜い話だ。ただ、信濃では良い句をたくさん詠んでいるわけで、一茶自身はどう思っていたのだろうか。
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