市ヶ尾彫刻プロムナード『塔』

2020-03-16 00:00:51 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市が尾駅から江田駅方向に2分ほど歩くと市ヶ尾駅前公園があり、ブロンズの塔がある。

ここで、塔の話の前に、なぜ「市が尾」駅の前に「市ヶ尾」駅前公園があるのかという謎がある。また、隣の駅の「江田」駅だが、このあたりの地名は「荏田」であり、江田という地名はない。だいたいの理由は知っているのだが、少し疑問があるので。このプロムナードシリーズが終わるまでには、なんとか・・

アーティストは伊勢克也さんという方で、こちらも東京芸大の卒業生で現在は女子美の先生をされている。自然や風景、人工物などの形からイメージを拡げた作品が多いようだ。



作品をネット上で調べると、やや平面的な作品が多く、代表作にはミニチュアサイズの「家」がある。数センチのサイズの家を並べて家並みを表現したりする。垂直に上に伸びる本作は異色だ。

金属製なので不安定でも崩れたりはしないが、東京駅にあったビアレストランでオニオンリングタワーを注文した時に、テーブルに運ばれてきた搭状に積み上げられたオニオンリングを思い出してしまった。



そして、塔の上にある物体を、拡大してみると、その頂にあるのは、どうも人間の様だ。手が見えないがコートのポケットに手を入れているのだろう。どうみても自ら塔から飛び降りそうに見える。駅の近くにこういう刺激的な像を建ててもいいのだろうか。

『自然と人間の共同作業で作り上げられた美しい建築物へのオマージュを込めて・・・。』というのが副題だそうだ。文字通りに理解するとバベルの塔になるが、人が上に乗っているのは想像なのだろうか。

市ヶ尾彫刻プロムナード『本を読むネコ』

2020-03-15 00:00:33 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
COVID-19の流行のせいで、ほとんどの美術館・博物館はクローズ状態。安全なのは屋外だけということで、ブログを書くにも苦労する。そこで思いついたのが、近隣の町である『市ヶ尾』にある『彫刻プロムナード』。資料によれば11の彫刻が、東急田園都市線の市が尾駅の周辺にあるようだ。

2019年6月16日『市ヶ尾おさかな広場の奇怪』の中で、そのうち一つの彫刻を取り上げているのだが、海外の有名彫刻家ということで、色々と情報を集めて書くことができたのだが、どうもすべてが有名な方というわけでもないような気もする。さらに不幸にして亡くなられている場合もあるかもしれない。何も調べていないので、実際には書けないかもしれないが、とりあえず青葉区(横浜市)のお散歩マップに記されている順に沿って書き始めてみる。

まず、駅の改札を出て北側、国道246側にあるのが、『本を読むネコ』。関孝行さんの作品。猫があぐらをかいて、電話帳サイズの厚い本を読んでいる。夏目漱石の飼い猫は自叙伝を書いたらしいので、本を読むネコぐらいでは驚かないが、何を読んでいるのだろう。どうも本には魚の絵が描かれている。料理の本かな。



ところが、実は、陽当たりが良すぎるために、うたたねしているわけだ。目を閉じているように見える。青葉区は、「文化的な街」と自画自賛していて、読書や花を植えることを推奨している。区の公会堂で地元在住の元作家である村上龍氏の講演会を開いたりしている。読書を作品にするとは高尚ということかな。

ところで、彫刻作家の関孝行氏のこと。60歳位の方のようだ。東京芸大を卒業する時に各学科の首席の方の作品を表彰して大学が買い取るサロン・ド・プランタン賞を受賞している。2007年頃のデータでは、すみだトリフォニー、青山の子供の国、日光杉並木公園、アメ横、新宿ゴールデン街、大阪千日前にも作品があるそうだ。

2000年頃のインタビューの中で、「何百年も何千年も経ったとき、土の中に埋まっていた作品が発掘されるなんてロマンチックでいいね」ということを語られている。土から発掘されるためには、駅が土に埋もれるような大事件が起きることを意味するわけで、あまりロマンチックではないような気がする。

そして2018年には千葉県長柄町の古民家ギャラリーで展覧会が開かれているのだが、だからといって生存証明にはならない。回顧展というのもある。色々な角度でネット上で調べると、市ヶ尾からそう遠くない場所にある横浜美術大学の学校紹介のHPの中に、講師として関孝行さんの名前があることがわかりほっとした。この駅前の石像が横浜美術大学との縁を持ったのだろうか。

右脳パズル次の一手

2020-03-14 00:00:54 | しょうぎ
将棋教室の教材つくりのため、『右脳パズル次の一手』を読み直す。20年近く前に読んだ本だが、定跡とか序盤局面はほぼなく、中盤の終わりから最終盤までの局面につき220問も収録されている。各問題につき候補手が3拓で与えられているので、だいたいわかるが、見当のつかない問題もある。



ところが、せっかく準備を重ねているのに、公共施設での教室は将棋に限らず全面的に休止となってしまった。将棋は対面競技だし駒は両者が触れるので、もっとも危ない趣味なのかもしれないと自嘲的になってしまう。


さて、2月29日の出題作の解答。





いわゆる桂の打ち換えである。

動く将棋盤は、こちら。(Flash版)

GIF版。
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今週の出題。

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持駒に銀が多いが、実は4枚しかない。節約して使うしかない。マスクと同じだ。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

もし五輪が、・・・

2020-03-13 00:00:17 | 市民A
「もし五輪が、」の後に続く言葉が、いまのところ「中止になったら」という状況だが、もう少し海外の状況が深刻になると「開催できたら」ということに変わるかもしれない。

中国の感染が止まったとしても、感染力の強さからいえば、いつ再燃するかもしれない。スペイン風邪の例を出すのが正しいかどうかはわからないが、二周目の流行の方が深刻になることもある。

WHOがパンデミック宣言したのは米国の大統領がのんきなことを言っていたからだろうと思うが、ウイルスの特徴から言って、検査法やワクチン、特効薬などが開発されないと、常に不安に脅かされた状態のままだろうが、それらが整うのには半年から2年は必要だろう。

では、五輪はどうなるのかというと、楽観的に言っても2020年夏には新型コロナは収束しないだろう。さらに夏に開催するためには開会式(7月24日)の3ヶ月前には決めなければならないのではないだろうか。どこの国のチームも2か月前には直前トレーニングに入っているはず、既に間に合っていないのかもしれない。

橋本五輪相が国会で「2020年内なら開催都市が期間を遅らせることができる」という趣旨の発言をして、世界でザワツキがあったが、あれは確信的に「日本からは辞退しない」と匂わせたものかもしれない。つまりIOCが完全中止できないだろうという予測のもと、悪くても延期に持ち込もうという作戦のように思える。

さらに高橋理事が「1年後か2年後」と思わず言ってしまい、森氏が慌てているが、それはなんとなくコントのようにも見えるわけだ。

いくつかのパターンを考えてみる。

1. すでに変更困難なので予定通り行う。
 東京で行い、陽性反応が出た選手は出場させない。選手村を隔離し、観客は制限する。緊急隔離用にホテル数棟を借り上げておかないといけないかもしれない。

2.1年後か2年後か4年後か12年後に延期
 2020年は中止にするが代替案が出される。1年後と言い切れるかどうか不明であるが、2年後になると冬季大会と重複する。4年後も8年後も次の開催地が決まっている。いっぽう、1年、2年先であれば、逆に五輪景気が細々と先送りに続くことになる。

3. 中止する
 もっとも簡単だが、副作用が大きい。ただ、日本の経済的損失というのは、おもに「儲けられない」という利益喪失型であり、あるかどうかも不明なレガシー効果の消滅とかも含まれているわけだ、一方、古くなった競技場が新しくなったとか地下鉄に転落防止柵が完備されたとかは損失とは言わないはずだ。一方、IOCの損害も大きいはず。そして、何かあったら五輪中止というような前例ができれば、それこそ立候補都市がなくなって五輪そのものの開催も困難となるかもしれない。


中止ではなく延期の場合、選手選考がやり直しになり、既に選ばれた選手がかわいそうという意見もあるが、逆に選ばれなかった選手は大喜びになるのだから、どちらがいいのかもよくわからない。

個人的には5競技のチケットを購入していて、「少なくてもチケット代は返してもらえるかな」と心配している。(休業中のスポーツジムからは「休業中の会費の払い戻しに500円の手数料が必要」と発表され、驚いている)

モノはなくならないのか

2020-03-12 00:00:57 | 市民A
紙製品が売り切れている原因は山陰地方の保健所員のネット上の一言ということになっていて、真偽はわからないが、「モノ不足」の話は慎重に書かなければならない。

今でも、朝のドラッグストアではマスクを買いにいっても買えないので、手ぶらで帰りたくない顧客が腹立ちまぎれに紙製品を買っていくらしく、家の近くの大型店は、マスク用の入り口と紙製品用の入り口がわかれていて、どちらも列がなければ入荷していないということだ。

トイレットペーパーとマスクの違いは、需要量の予測である。早い話がトイレットペーパーは需要が増えるわけではないので、需要と供給の大きな差がなければ、当面は切れない。マスクの方は需要予測量はかなり多そうだが、誰も怖くて推定していない。何人が一日何枚使うかという簡単な計算式だが、その簡単な計算ができないわけだ。

で、あるはずの商品はいつまでもあるか、という話なので、誤解がないように慎重に書かないといけない。

まず、心理的な話。原因が何であれ紙類が棚にないと不安になるわけだ。値段が少し高くてもなくては困るものがある。過去を思い出しても、なくなるものは、トイレットペーパー、ラップ、洗剤など消費関連財だ。いずれも消費量はいつも変わらない物で生産が変わらなければなくならないはずだ。といっても買い占めが行われる。買っても腐らないからだ。さらにマスクは増産したから大丈夫と官房長官が何度も言っても店頭に現れないことから、疑心暗鬼が発生している。

次にサプライチェーン的に商品を考える。これはトイレットペーパーに限らないわけで、すでに中国からの物流が途絶えた状態で、さまざまな悪影響が出ている物もある。

話をまたもトイレットペーパーに戻して考える。トイレットペーパーの生産だが、全部国産だから大丈夫ということなのだろうか。形のある製品というのは、原料を購入して、それを加工して、流通段階でトラックなどで運び、店頭に商品が並んで、消費者が買いに来て、自宅まで持ち帰るということになる。

輸送という面では、原料の工場への輸送、工場から店頭までの輸送、顧客の持ち帰りと最低三段階が必要だ。

まず、原料だが、古紙とパルプが原料である。古紙は国内の古紙であり、パルプは大部分がカナダ、アメリカからのチップでの輸入になっている。つまり二ヶ国からのパルプの輸出できなくなると、紙製品の生産不足になるし、いずれは古紙の量にも影響が出る。日本は加工貿易の国だから原料輸入先に何かが起こると困る。原油は備蓄しているのだが限りはあるし、精製しなければ使えない。多くの物資は備蓄されていない。マスクの備蓄が600万枚ということがわかったが、1億2000万人で割ると、一人当たり0.05日枚だ。20人で1枚だ。

次に、工場だが、いわゆる生産者ということだが、生産部門でも物流部門でもその他のどの部門でも働く人は同時に消費者でもあるわけだ。工場に人が集まれないようになると、生産は縮小される。物流部門でもそうだ。外出禁止になれば宅配業者に頼むしかない。しかも中国のように最寄りの店にのみ買い物に行けるようなルールになると。物があっても買いにいけないというようなことになる。特に物流部門は人に依存しているのだから感染者が増えればドライバーも減少する。工場や輸送手段はテレワークということにはならない。

こういう点が、あらゆる産業や商品の裏側に隠れているわけだ。

ところで、実は、既になくなったものもある。たとえば学校の授業だ。授業がなくなって副作用ばかりが強調されている、しかし、副作用の中に「学力の低下」を心配する声が上がっていないことこそ大いに不思議なのだが、それは国民の学校教育に対する共通知があるからだろう。

文字通り超過した『Project EXCEED』

2020-03-11 00:00:24 | スポーツ
東京マラソンの大迫傑選手、名古屋ウイメンズの一山麻緒選手。感動的なレースであったが、なんとなく「靴が走っている」ようにも見えたのだが実業団+協賛企業がスポンサーになって作った報奨金制度の財源が無くなってしまった。今年オリンピックが予定通り開催されるとすると最後の奨励金権利者が一山選手ということで、まあ総財源の誤差範囲ということだろう。この制度の総称が『Project EXCEED』ということで、まさにEXCEED(超過)ということ。2015年に定められたルールは「靴」によって、粉砕されたということだろう。

と、思っていたが・・

規則を確認すると、報奨制は二つに分かれていて「突破褒賞金」と「挑戦奨励金」となっている。さらに挑戦奨励金は設定タイムによりAとBに分かれる。

突破褒賞金は男女ともに日本記録突破した選手が1億円と実業団チームならチームに5000万円。挑戦奨励金Aは男2時間6分59秒以内、女2時間21分59秒以内は1000万円とチームに500万円。Bは男2時間7分台、女2時間22分台で500万円とチーム250万円ということである。

そして、「靴」の叩き出した東京マラソンの記録は、日本記録突破の大迫選手に1億円、奨励金Aの二人に1000万円ずつ、奨励金Bの六人に500万円、チームに総額2000万円ということになった。このうちチーム賞は重複が二つあるのでマイナス500万円として計1億7000万円。さらに1月の大阪国際マラソンで松田選手(2度目)とチームにA賞として1500万円が贈られている。

そして、名古屋ウイメンズの結果、一山選手には1000万円、チームには500万円が渡されるということなのだが、財源不足で約800万円しか払えないので、追加の協賛金を募集ということらしい。

詳しい財源は、いつの間に消えてしまった日本実業団陸上競技連合のHPに書いてあったのだが、メモを確認すると、この財源は大きく3種類あって、実業団陸上競技連合の留保金が1.5億円。企業協賛金が累計で2億円強。アールビーズスポーツ財団が日本記録更新の時は1億円の半分の0.5億円を負担することになっているそうだ。日本新は3回なので1.5億円になる。このスポーツ財団も日本記録更新者に1億円支払うと発表しているが、両者で半分ずつということ。

つまり2015年度から2019年度の5年間の財源計は、1.5+2.0+1.5=5.0億円ということになる。

一方、支払額は、2015年度は女子(福士選手)にB賞500万円+チームに250万円の750万円。2016年度はゼロ。2017年度は設楽選手に1億円とチームに5000万円、井上選手とチームにA賞で1500万円。松田選手とチームにB賞で750万円の年度計1億7250万円。2018年度は大迫選手に1億円、服部選手とチームにB賞として750万円で計1億750万円。これに前述の2019年度賞を足すと、750+0+17250+10750+18500=4億7250万円ということになる。

財源との差は2750万円のはずだ。(上述のアールビーズスポーツ財団との契約は2007年9月に締結している。この契約がなければ1億5000万円さらに不足していたことになる。)これが残高800万円ということは、計算の合わないのは1950万円。毎年の表彰式の費用なのだろうか。今年度の表彰式は時節柄やめた方がいいし、2回も満額もらえたのに五輪に行けない女子選手と満額もらえないのに五輪に行ける女子選手が同席するというのも不都合だろうか。

ランナー(あさのあつこ著)

2020-03-10 00:00:26 | 書評
文字通り、陸上競技者の話。高校2年生の男子、加納碧李が主人公。長距離ランナーである。

この小説、評判が二分される。80点か20点(もしかしたら100点と0点?)。続編のランナー2では確かに碧李は走り出していくのだが、第一編の本著では「走れないランナー」として描かれる。1年生の大会で結果を出せず、休部中。しかし、本当は走りたいのだが、彼の走りは、自分の意の向くままいつまでも走り続けるというもの。ゴールまでの距離とか関係ないわけだ。ある意味純粋だが、競技として考えれば、スタートからゴールまでの距離だけを全力で走り切るのがセオリーだ。頭ではわかっていても体が理解できない。



そして、彼には走ることに打ち込めない家庭の事情があった。母による妹への家庭内暴力。それには母の勝手な理屈があるのだが、社会的には到底許せない行為だ。碧李は母と妹の間に入って、家庭の崩壊を食い止めていた。

しかし、秘密であった暴力も妹の風邪の治療を行った病院で医師が体の傷を見つけたことから、元陸上競技の選手だった医師は事情に気付き、碧李の心をやわらげようとするわけだ。

ということで、本書はスポーツ小説というには、あまりにスポーツ的ではないわけだ。一分一秒でも早く走るヒントを得ようと本書を読んだランナーにとっては勘違いの一冊になるはずだ。

また、家庭内暴力というのは、本当に小説向きではない。暴力や犯罪というのも、多くは何らかの理由があって始まることがあり、だからこそ小説になるのだろうが、家庭内暴力を小説に書いても、そこに読者を納得させられるようなストーリーを組み立てるのが難しい。ある意味、その底なし沼にスポーツマンを組み合わせたことにより、なんとか成立したのだろう。

ただ、家庭内暴力が解決されたのかどうか、碧李は5000mで目標のタイムに到達し、競技会に出場することができたのかどうか。この重要な2点について、作家はうっかりして、結論を本書に書くことを忘れてしまったようだ。

運命の女(2002年 映画)

2020-03-09 00:00:46 | 映画・演劇・Video
原題は『Unfaithful』。一単語だ。内容的に言うと『不倫』と訳せばいいのかな。主演のダイアン・レインとリチャード・ギアに対してちょっと失礼かもしれない。せめて単語を二つ三つ並べてあげたいところだ。とはいえ、『運命の女』というのは奇妙な邦訳だ。むしろ、『運命の男』とか『運命のタクシー』とかの方が正確だ。


二大スターだけに、不倫行為に至るのはこの二人だろうと想像させるが、実は違う。二人は夫婦のわけだ。リチャード・ギアは中小企業の社長で、ダイアン・レインは一児の母で専業主婦。(一家にはさらに色の黒い女性が家政婦として働いている。こういうのが何気なく描写されるというのが奴隷王国の名残だろう)

ダイアンはこどもの誕生日プレゼントをニューヨークの街で大量に買い、郊外の自宅に帰ろうとすると、突然の強風に襲われ転倒。膝から血糊が流れ出すケガをしてしまう。その時、どうしてもタクシーを捕まえることができず、通りかかった男性に救護される。

そこから、急激に不倫が始まるのだが、なんとなく夫のリチャード・ギアは妻の様子に小さな不審をいだくようになる。「約2時間の映画なのに、不倫開始とほころびが見えてくるのが随分早いな」とか「リチャード・ギアはこのまま間抜けな間男役を続けるのだろうか」とか、「何か別の犯罪に加担している夫が、この二人に罪を着せようとしているのかな」とか立体的な思考をしてみるが、そういう観客の思惑とは裏腹に、ダイアンはベッドのマットをきしませ続けるわけだ。

そして、不思議なことに約1時間経過した頃に不倫関係を夫は知ることになる。

そして後半が始まる。前半部は妻が隠し事をして、後半部は夫が隠し事をするわけだ。夫は妻の愛人宅にいって、相手に説明を求めるのだが、噛み合わない話に思わず暴力行為に至り、油断していた妻の愛人の頭部を一撃。なんとなく慣れた手口のようにも思えたが相手は血まみれになって死んでしまう。

これはまずいと、リチャード・ギアは隠蔽工作を始める。指紋を拭きとったり、留守電に残る妻の声を消したり、死体を毛布に包んで、ゴミ処理場に運んだりする。しかし、なにぶん計画性のない行動だったので、妻の電話番号のメモが残っていたのだ。

その結果、警察は何らかの情報を得ようと、刑事が何度も自宅を訪れるわけだ。

二人は、とりあえず不倫事件を棚上げすることにし、殺人事件の容疑から逃れようとするが、徐々に捜査の手が伸びてきていることを感じているわけだ。

最後のシーンは、二人が車の中で、「このままメキシコに逃げようか」という相談をするのだが、その場所は警察署の前の信号なのだ。


この二人がこれからどういう行動を取るのかは、一人一人の観客の想像力にゆだねられることになる。フランス映画みたいだが、そもそもフランス映画の古典的作品が下敷きになっているそうだ。

1. 警察署に出頭する。
2. メキシコに潜入して、偽名で生活する。
3. 警察を焼き討ちして今までに集められている証拠を刑事もろとも灰にしてしまう。

三者一択だ。

品川太成展

2020-03-08 00:00:50 | 美術館・博物館・工芸品
横浜市青葉区あざみ野にある横浜市民ギャラリーで4月26日までの予定で開催中の「品川太成展」。

大倉山梅園と王女様のご婚約者一家のご自宅があることで有名な大倉山駅の近くの「アートかれん」に所属して活動中の品川太成さんの個展。今までも代官山や象の鼻でも個展を開いている。



描いているモチーフとしては、バス、電車、人間の顔が多いということ。厚塗りのアクリル絵具を使って筆致を際立たせ、明暗の表現に特徴があるということで、キャンバスと絵具にこだわらず紙を使ったりパステルを使ったりということだそうだ。

本展の展示場所は、二階のオープンスペースなので問題はないのだが、実は本館の一階、二階や別のスペースでは、別の展覧会やイベントが開かれるはずだったが、3月分についてはほとんどが中止や延期になっている。

新型コロナウイルスの影響とは思うのだが、関係者には申し訳ないが、世界で最も安全な場所ではないかと思うほど閑散としているのだが、見栄で中止するのではアーチストに申し訳ないような気もする。

将棋順位戦のこと

2020-03-07 00:00:02 | しょうぎ
将棋界のピラミッド型身分制度の毎年の組直し事業である『順位戦』が年度末を迎え、クラス別に次々と結論が出てきている。

A級は、渡辺三冠の全勝以外は5勝4敗と4勝5敗が八人となり、4勝5敗の木村王位がB1に降格。たまに4勝5敗で犠牲者が出る。また羽生九段が2度目の負け越しとなった。翌年も同じ星だと危険かもしれない。

ところでC1だが、昨年も藤井聡太七段が9勝1敗で昇級を逃したが、今年は9勝1敗が3人となり、二人も犠牲者が出た。

ところで、C1とB2は来シーズン(つまり2020年開始のリーグ戦)から昇級枠が2から3に増加する。以前からいわれているが、原則C2に参入するのが年4人、C2からC1が3人なので、毎年一人ずつC2に滞留する。C1は3人増えるがB2には2人なので、C1でも一人滞留する。滞留者が増加し、やる気がなくなる若手が増える原因と言われていた。ただ、今回のC1、B2の滞留防止対策だが、そういった根本問題ではなく特定の誰かを一日も早く名人にしようという将棋連盟の基本戦略にもみえる。

なお、昇級(降級)枠は5年に1回の見直しということも決まっている。5年後には新たな藤井二世が登場することを期待しているのだろう。あるいは、既に天才少年(or少女)が見つかっているのだろうか。

さて、2月22日出題作の解答。





飛車を打つ場所を決めるまでに工夫が必要。玉方の1六歩は冗長にならないための配置だが、それを置かなくても盤の端まで追いかければ詰む。2週間の船内隔離の後、さらに2週間の入院のようなことになる。

動く将棋盤は、こちら。(Flash版)

GIF版はこちら。
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今週の問題。

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必至問題なら、▲7二桂成だが、王手を掛け続けなければならない。5六歩の意味は?

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とコメントをいただければ、正誤判定します。

リアスの碁石

2020-03-06 00:00:00 | あじ
年始めの囲碁将棋大会で将棋の部のボランティア審判をした時に、参加記念としていただいた「リアスの碁石」という茶菓子をいただく。囲碁のことは詳しくないが、岩手県の大船渡の海岸が古くより碁石海岸と言われていて、復興記念として毎年囲碁大会が開かれているそうだ。2019年は第六回で、棋士の他にも山下洋輔氏の演奏もあるし、囲碁神社参拝などもあって、5日間にわたる大イベントのようだ。

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その大会を記念して斉藤製菓という会社が考案したのが『リアスの碁石』である。

そもそも碁石海岸というのは、海岸が砂浜ではなく、ツルツルした碁石のような石の浜に見えることから名付けられたそうで、実際にこの浜の石を磨いて碁石を作っているという意味ではないそうだ。

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HPによれば、12個入りで1350円ということで、包装を解くと、薄い円形の菓子である。ただし、表面に囲碁の盤面がプリントしてある。思えば、プリントされた食べ物を食べたのは、六本木のラーメン店の海苔の表面に人生訓が白文字で書かれていたこと以来かもしれない(本当はプリントではなく焼き込まれたものかもしれない)。

HP上は中には黄身餡の中にチョコチップが入っていているのだが、実感としては白餡の中に小豆が入っていて、内側も白黒にこだわったのだろうと思ったのだが、どうも舌の勘違いだったようだ。

海洋法による管轄権、クルーズ船の真の責任者は

2020-03-05 00:00:13 | 市民A
ダイヤモンド・プリンセス号は全乗客、全乗員が下船した。ロボット航海士がいるわけではないので、誰かが乗船し、どこかに移動することになるのだが詳細は不明だ。そもそも英国のP&Oという船舶所有者が三菱重工(当時)長崎造船所で竣工した船体を米国のカーニバル社に貸しているはずで、船員は通常はP&O社が手配しているはずだが、貸した先で手配することもある。特徴のある英語を話す船長はイタリア人だそうだ。だいたいそうだろうとは思っていた。

報道では、「船の上は日本ではなく船籍のある英国なので、意のままにならなかった」とか厚生省の役人が言い訳をしたり、評論家が「国際条約が必要だ」とか言っていて大いに違和感を感じていた。領海内だし、しかも港内にいるわけだ。

国連の海洋法条約では、管轄権はかなりきちんと決まっているわけだ。

話を整理すると、まず「海」というのは4種類に分けられる。内海(含む港湾)、領海(12海里)、排他的経済水域(200海里)、公海。そして管轄権の方は「立法」「執行」「司法」と三つに分かれる。どこの国の法律を適用し、誰が管轄して、誰が最終的に裁くのかということなのだが、簡素化して、まとめて「管轄権」ということにしておく。裁判については裁判所で行うほか、海運集会所で行う場合があるが、省略。

まず、内海(瀬戸内海とか)と港湾だが、これは旗国主義ではなく当該国の管轄である。ただし、通例的には船内の統制組織については認めることになっている。

次に領海。こちらは通過する場合か寄港する場合によって異なる。例えば中国籍の客船が中国からアメリカに向かうため、津軽海峡を通過する場合、日本国になんらかの不利益が発生する場合は日本が介入することができるが、そうではない場合、自由航行を妨げてはならない。一方、日本の港湾に入港するために領海内に入った場合、なんらかの不利益(感染とか)がある場合は管轄できる(とはいえ、実際には入港を待つか入港させないことが多い)。

排他的経済水域及び公海の場合は旗国主義が適用になる。

ということで、ダイヤモンド・プリンセス号は横浜港内にほとんどいたのだから、管轄権は旗国(英国)ではなく日本であるわけだ。しかし、管轄権があっても適用する具体的な法律が不足していたのだろう。熱がある乗客や乗員は強制入院になるとか、客室に2週間押し込められるというような既存の法律はないはずだ。


そして、日本に管轄権があるということは、一体、どの組織のどういう役職が、この船が大黒ふ頭に着桟中に管轄する責任者なのかということ。

各港には国土交通省に属する海上保安庁が任命した「港長」という職務があるわけだ。横浜港は東京港と一体化して京浜港という組織になっている。この京浜港の港長というのはルールとして、横浜海上保安部長があたることになっているわけだ。つまり、あの巨大客船を一体的に管轄すべきと思われる役職は、今のところ表には登場していないように感じるわけだ。

公園に昭和の香りが

2020-03-04 00:00:47 | 市民A
昨日、朝より近隣の探索に出かける。というかマスクの補充のためドラッグストアの状況を確認しようと歩き始めたのだが、ドラッグストアの前は異様な状況になっていた。

開店1時間前だったのだが、いつものようにドラッグストアの前には人の列があったのだが、そこに並んでいたのはオバサンやオジサンではないわけだ。小学生たちだったのだ。

要するに、小学校が突然に児童を締め出したため、行くところがなくなったのをいいことに、親たちは家族を手分けしてドラッグストアの攻略に乗り出したわけだ。

しかも店頭には、「きょうはマスクの入荷がないこと」と、「紙製品は一家族1個だけ」と紙に書かれて貼り出されている。つまり小学生たちはトイレットペーパーなどを買って帰るわけだ。しかも、そこには教師はもとより大人はいないわけで、同級生同士らしく、朝から大騒ぎだ。集団感染だろう。

次のドラッグストアには列はないのだが、大人と小学生が一緒にストアの前の紙を読んで、肩を落として帰っていった。近づいてから読むと、「マスクも紙製品もない上に入荷もない」という内容の貼り紙だ。たぶん、こどもを列に並ばせて、大人の方はマスク探しの旅を続けるつもりだったのだろう。

実際、わたしもマスクを手に入れることはできなかった。マスク自体、今は3枚入りが中心で、買いに行く日に1枚使うとして、3日に一回買わないと在庫が減っていくことになる。幸い、紙製品も洗剤もラップも米もイタリア製のパスタも在庫を補充したので、当面の問題はマスクに絞られている。

午後になって、違う方向に歩いていくと公園が大変なことになっていた。小中学生であふれているわけだ。行く場所がないわけだ。屋外は安心といっても、こんなにいたら大丈夫だろうか。公園は学校ではないので、管理者がいないのだが、それぞれグループごとに集まって遊んでいる。なんとなく昭和の時代を思い出す情景だ。

ビデオレンタル店にはこども用のビデオを何本も借りようとしている親子がいる。ところが、レンタル店が久しぶりなのか、セルフレジの操作で苦戦している。GEOはPONTAカードで、蔦屋はTポイントカード。セルフだと結構複雑だ。うまくできないのか他の常連風の客に聞いている。そういう時に限って聞かれた方が手にAVを持っていたりする。

県立高校の校門のそばに生徒が大勢いる。きのうから休みのはずなのに不思議だ。帰宅後調べると、急きょ卒業式をしたようだ。その前日には高校のHP上に卒業や進級の判定上、必要な生徒には出席してもらう旨発表されていたのだが、一夜のうちにすべてが片付いたようだ。

しかし、卒業式ってそんなに重要なのだろうか。むしろ、卒業式までのふわふわとした気持ちと次の進路が始まるまでのモラトリウム的時間が重要なような気がする。個人的には高校の卒業式も大学の卒業式もMBAの卒業式もなかったのだが大した問題は起きていない。

色々なものが店頭から消える問題も書きたかったのだが、稿を改めることにする。

少年たちの終わらない夜(鷺沢萠著 小説)

2020-03-03 00:00:21 | 書評
作家鷺沢萠の初期の作品集を読む。河出文庫で読むが、単行本としては1989年9月に出版されている。1989年といえば、バブル景気の最高点、年末には日経平均38957.44円にまで到達。そして、そこから日本はあらゆる意味で急降下を続けていったわけだ。1968年生まれの著者は、この年21歳になっているのだが、『少年たちの終わらない夜』に含まれる4編の短編は、ちょうど登場人物の少年少女が18歳から20歳になる頃の生態。つまり大人になっていく頃をテーマにしている。



舞台は、東京で高校卒業後、主に都内の大学に通う勉強をしない学生群の中の日常(といっても、たいしたものではなく、パーティやクルマに乗ったり、朝まで遊んだり)がテーマだが、30年経った今、冷静に読むと、結局は社会全体がバブルだったということなのだろう。

AMAZONの書評など読むと、多くは批判的なものが多いが、嫌なら最後まで読まなければいいではないかと思うのだが、本当は好きだから読んでいるのだろうとも思える。バブルの時代でもバブルに乗れなかった人もいるし、まあ、酒を飲んでスポーツカーを運転するような小説は、現代では出版社によって破かれて、書き直しを命じられるのだろうか。

そして、生きていれば今年52歳になるはずの作家が自殺したのは2004年の春。35歳だった。生活が乱れていた(というよりも酒とマージャンにはまっていたに過ぎないらしい)とはいえ、何の予兆もなく唐突に首を括ったことは今に至るまでその真相を知るものはいないのだが、一応自称メンタリスト(資格あり)の一員であるのであえて想像すると、彼女は高校生の頃に既に作家デビューし、芥川賞の候補には4回もなっていた。4回の落選の時の受賞者を見ると、小川洋子以外は受賞後大きな活躍をしているようには思えない。

心のどこかに暗澹とした気持ちが重い鎖のように沈んでいたのではないだろうか。ある意味では川端康成に受賞懇願の手紙を書いて、かえって逆効果になった太宰治的。そして2004年1月に発表になった受賞者は19歳と20歳の女性作家だったわけだ。

彼女たちの作品「蹴りたい背中」「蛇にピアス」もまた自分たちの同時代を書いた作品なのだが、なんと異質な内面的な小説であるわけだ。ある意味でバブル崩壊の前と後ということではあるのだが、鷺沢はその時から、変貌した日本社会に対峙する気力を失っていったのではないだろうか。

怖過ぎるのにも程がある『リカ』

2020-03-02 00:00:00 | 映画・演劇・Video
大人の土ドラシリーズはフジテレビ系の東海テレビで制作した土曜夜11時40分からの1時間ドラマ。なんとなく男女間の複雑にもつれた糸玉のようなストーリーが感じられ、観なかったのだが、昨年10月から11月にわたり、『リカ』が前編と後編が4本ずつ(合計8本)放送されたので、とりあえずビデオに録画して、第一話から今ごろ見始める。真の主演は、高岡早紀が演じる雨宮リカ。いつもインモラルな役ばかりだ。

rikaそして、リカは看護師(ナース)として春山病院に潜り込み、老齢の病院長の甥に、勝手に思いを馳せ、異常なストーカーに変貌していく。そして、自らの想いを遂げるために、邪魔をする病院内の看護師たちや重病で入院中の患者を殺害し、さらには病院長やその甥、甥の婚約者、同僚医師やその娘など約10名を殺害し、さらに病院に放火して自らの証拠を隠滅してしまう。

数字に自信はないが、第4話ではまとめて7人も殺害したように思える。病院で起こりそうな数々の殺人方法が用いられるのだが、リカにとって問題解決方法は、殺人のみである。

さすがに深夜の放送らしく、殺され方もリアルだし、血が噴き出したり、首に絞殺の紐あとが残っていたり・・。

重要登場人物は、殺されるためにドラマに出演しているような有様になったので、後編を見る元気がなくなってしまった。気が弱いのだ。深夜に観ると、眠れなくなるので健康にも悪い。朝ドラの時間帯にシフトしてほしいな。「一日の初めは連続殺人を観てから」。