東洋英和で何が起こっているのか

2019-05-16 00:00:06 | 市民A
東洋英和女子学院のF院長が学術上の不正行為で、懲戒解雇となった。なんともお粗末な話だが、まず院長というのはどういうポストかというと、詳しくはわからないが、理事長(あるいは理事会)に次ぐ地位であるだろうか。では学長との関係でいうと、院長の方が上。学長というのは、東洋英和女子学院の中にある大学の長であるからで、幼稚園。小学校、中学部、高等部、大学、大学院のトップの一人である。

F元院長の経歴を見ていると、例の日本で最も学生数が少ない大学の一つ(60人位)の東京神学大学の大学院を修了し、ドイツで勉強した後、いくつかの大学で教授を務め、3年前に東洋英和の教授となり1年後に院長になっている。55才のようだ。何か、あっという間に院長になったことが驚きだ。神のご加護でもあったのだろうか。

不正行為は、氏の2012年に発表した論文に不可解な記載があるとして調べたところ、架空の神学者や架空の論文による考察が行われたことが判明。論文ではなく創作であるわけだ。さらに無断盗用も発覚。無断盗用は、ありがちではあるが、架空の人物が描いた架空の論文を元に自説を展開したというから、独創的だ。

以前、高名な考古学者が自分で作った石器をばらまいてから、自分で発見したかのような行為が発覚したこともあったが、レベルは同程度かな。

東洋英和については、以前、「赤い靴はいてた女の子」の実在の女児(きみちゃん)の行方を捜し出した時に、東洋英和の系列教会である鳥居坂教会の青山墓地にある墓名碑に名前が刻まれていたことや、港区のカルチャースクールで女子中学の小さな机で講演を聞いたことがあったのだが、その時の話で、間もなく六本木のロアビルから東洋英和の敷地の一部まで使って市街地再開発(簡単に言うとヒルズ化)が行われることを聞いていた。最も積極的なのは東洋英和だ、とも言われていた。本件と関係があるのだろうか。

元院長といえば、池袋で母子2名が亡くなった事故でも逮捕されない元院長。上級国民と言われている。やっと、日本国民も自国の差別構造に気が付いたのだろうか。もっとも上級国民にはいくつかのパターンがあり、旧華族の直系男子があつまる霞会館、さらにその中でも旧公家だけが所属する堂上会(天皇家の直系男子も多数)といったハイソサエティがその一つ。

もう一つは中央官庁の最上位クラス。天下り先で事業上の大失態をしても、刑事罰はともかく民事訴訟の対象にはされない。監督官庁から手厳しく仕返しされるからだ。今回は、被害者は一般国民だ。ブラックボックスにはできないような気がするが。

板東、お遍路の入り口に立つも

2019-05-15 00:00:11 | たび
高松の栗林公園に行ったあと、寿司店に入って、その日は終わり、翌日はどこに行こうかと考える。高知方面、今治方面には行ったことがあるので、それでは徳島方面に行こう、と考える。徳島市まで行くと、日本列島の中央構造線の上なので、とりあえず鳴門方面とし、途中の板東駅でまず何か所か回ろうかと思うのだが、どうもネット上の断片情報では実感が伴わないが、とりあえず高松駅から徳島行きの3両編成の特急電車に乗る。高徳線である。

この高徳線だが、SUICAなどの交通系ICカードが使えない。しかも無人駅が多いようだし、単線なので、特急以外だと上下すれ違いに駅で待ち合わせが必要で、かなり時間がかかる。特急なのだが、高校生は通学に使っている。本数が少ないのだろう。

そして、板東駅は特急が止まらないので、普通電車に乗り換える。駅で降りると、改札の前で、乗っていた普通電車の車掌さんがホームを走ってきて切符を回収していった。たぶん、私が何らかの違法行為をしたのだろうが、よくわからない。

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古風な駅舎で、味わいがある。赤い郵便ポストも必需品だ。

そして、駅から15分ほどで最初の行き先に到着する。霊山寺という寺院である。何が有名かと言えば、ここがお遍路さんの八十八ヶ所巡りの第一番なのだ。このお遍路さんの一番は誰が決めたかというと、弘法大師さま(空海)。京大阪方面から船で来ると、ここが最初になるらしい。実際、一番と八十八番では大違いだ。お遍路をしようとする人は、普通は一番から始める。途中で止める人も多いだろうから、一番の方が収益に恵まれるはずだ。

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実際、霊山寺で観察すると、半分の方は、これからお遍路に出ようという人で、半分の方は、お気軽板東名所めぐりの人だ。しかも、お遍路については予備知識がない。

まず、山門だが、山門の二階に人が入れる(住める)構造になっている。これはよくある。そして大師堂がある。もちろん真言宗の中心人物である弘法大師を記念している。

そして、奥の方に荘厳な『本堂』があり、お遍路スタートする人は、ろうそくをはじめ仏教用小道具を購入して寄進することになっているように見える。実は私自身、宗派は真言宗であり。元首相のように「何かの償い」ではなく、「理由もなく」単にお遍路に出ても、何の問題もないのだが、やり方が調査不足だ。昨年の逃走容疑者はお遍路に扮して四国で時間稼ぎしていたが、そんなバイタリティもない。

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多宝塔と呼ばれる塔に向かって手を合わせて、失礼することになる。お遍路は心の中にとどめておく。

栗林公園は広大

2019-05-14 00:00:12 | たび
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで、三つ星評価がついている公園の高松市の栗林公園に行った。瀬戸内海の小島である男木島で山道を歩いた後なので、あまり歩きたくなかったが、成り行き上、仕方ない。

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調べると、日本で一番大きな公園ということになっている。75万m3。うち平坦な部分は16万m3。もっとも、東京都千代田区千代田1丁目1番地を宅地ではなく公園と解釈すると、お堀の内法で115万m3、外苑まで入れれば230万m3もある。その1万分の1だけでも切り売りすれば、就職の決まっていない留学生の母親の借金など解決するのにと思うが問題はそういうことではないようだ。

もっとも、西太后の愛した北京の頤和園は290万m3もあるので、どうやっても勝てない。池の向こう岸が見えないのだ。

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栗林公園はその規模からいって大名の拵えかと思っていたが、そうではなく地元の豪族の佐藤氏が16世紀の終わり頃に庭園を築いたと言われる。その後は大名の手に譲られ(あるいは奪われ?)生駒氏、松平氏がさらに改造を加え、明治時代以降は上級国民ではない一般市民にも公開されることになった。

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園内の池には鯉や鴨がいるが、ウシガエルがモウモウと鳴いていて懐かしい。

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奇景としては根上り五葉松というのがある。解説によれば、徳川11代将軍家斉から賜った盆栽の五葉松が大きく成長したものだそうだ。盆栽を地植えしたわけだ。将軍さまには内緒だ。

実は、この話で「もしかしたら」という予感が湧き出した。家斉公といえば有名なのが子沢山。16人の妻妾に産ませた子供は男子26名、女子27名の合計53人(55人説あり)と言われる。そして問題は27名の姫君(男子だって問題だろうけど)。結婚適齢期まで到達した姫は、諸大名の正妻として降嫁していた。その時、必要なのが持参金である。

持参金にはいろいろなものがあり、江戸時代の初期には、大名家から将軍の側室に入れるために逆に持参の品々を納入していた。それらがかなり幕府の倉庫に眠っていたものを、姫君の持参の品に転用もしていた。リサイクルである。それから、石高増というのもある。魅力的なのは幕府のご天領の一部を持参金とし徴税権を譲るわけだ。そして有名な話だが第21女である溶姫が前田家に嫁ぐときは前田家の藩邸に大きく赤い門をプレゼントした。これが東大の赤門になった。将軍の娘を側室にはできないので正妻とすると、正妻は江戸に住むことになっていた。門は加賀藩までは運べないが、盆栽は高松まで持ち帰ったのだろう。

そして、家斉と高松藩の関係を見ると、第16女の文姫が高松藩主松平頼胤に嫁いでいる。つまり五葉松の盆栽は持参金だったわけだ。

千年の時を超えて、というが

2019-05-13 00:00:51 | 書評
競技かるたの世界の漫画を実写映画にした「ちはやふる三部作」を見終わって、この作品にかかわった多くの人たちの『百人一首愛』がよくわかったのだが、三部作のほぼ最後に、限りある命の人間が、千年の時をはさんで一瞬で情景をわかりあえるのが「百人一首」という意味が共有されることになったのだが、本当に千年なのだろうかと調べたくなった。

というのも、昨年(2018年)11月23日の夜、東の空から上った満月が、藤原道長が「望月のように欠けたるところがない」と自画自賛の和歌を詠んでから1000年目の月だったのだが、うっかり見逃してしまったからだ。もっとも自分は欠けたるところばかりなのだから今更月を見てもがっかりするだけなのだろう。

そして、調べるといっても、それぞれの一首が、何年何月何日に詠まれたかは、ほとんどの場合に特定されていない。しかし、編者の藤原定家は、彼なりに調べた結果、それぞれの歌人毎に生年順に並べたそうだ。ということで、およその推定はできる。例えば1番は天智天皇、2番が持統天皇という大化の改新親子である。

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ところが、肝心の天智天皇の『秋の田の・・・』というのは、近代の研究により万葉集巻十にある作者不詳の一首が平安時代に変化して天智天皇御製ということになったらしい。となると天智天皇より少し前の時代600年代前半ということで1350~1400年前ということになる。

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一方、定家は自らを97番にし、99番後鳥羽院、100番順徳院とこれも天皇二人を並べている。後鳥羽院も順徳院も承久の乱に加担し二人とも島流しとなった。順徳院の歌は承久の乱以前であり1220年頃と思われる。つまり800年前。

ではちょうど1000年前、1020年頃は誰の時代かというと、歌は下手だった藤原道長の絶頂時代で、清少納言、和泉式部=小式部親子、紫式部=大弐三位親子など女流作家が華々しく活躍した時代だった。清少納言の父の清原元輔が42番、清少納言が62番。このあたりの順番は、近年の研究では順不同になっているらしいが、ほぼ100首の中央付近であるので、おおまかにいえば百人一首から千年というのは正しいと言える。

そして、「ちはやふる-結び」の中にも登場するが、収録首の中の二首が同時に詠まれたことがわかっている。

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しのぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで 平兼盛

恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見


村上天皇の天徳四年(960年)3月30日の歌合せの席に登場。どちらも片思いの悶々とした気持ちが詠まれている。判者の藤原実頼も甲乙付けられず、天皇の方を見ると、小声で平兼盛の一首を口ずさんでいるように見えたため兼盛の勝ちと判定した。こういう行為は「忖度」というのではなく「天気を見る」というそうだ。そう、天気予報である。

現在に至るまで、この二首の優劣は人それぞれということで、この争いに敗れた壬生忠見は、身分も低く、歌合せの席に出向く着物すら満足に揃えられなかったとされ、かるたの絵札でも貧相に描かれている。負けたことで鬱病を発症し、まもなく亡くなったとされる。こういったことを1000年後に言われるなら、服だけは借財してまでも整えるべきだった。

君も今日から考古学者!(横浜発掘物語2019)

2019-05-12 00:00:26 | 美術館・博物館・工芸品
横浜市歴史博物館で開催中(~6月2日)の『君も今日から考古学者!(横浜発掘物語2019)』へ行く。考古学というのは門外の人が本や雑誌や講演会で楽しむのは気軽だが、学者の方は毎日泥んこの戦いをしている。雨にも負けず風にも負けずだ。さらに少ない予算にも負けず。

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そういうのが嫌いな人ばかりになったら、考古学の研究は成り立たないわけだ。中には自家製の石器をばらまいてから発見した人もいた。発見率は100%だが、実際はそうはいかない。かけた土器のような土塊や、削った痕のあるように見える石ころを本物と見抜く察知力と眼力、さらに体力と気力が必要だ。

ということで、エントリー用にとりあえず掘れば何かでてくるはずの発掘遊びができるようになっている。横浜金沢海岸の潮干狩りよりもヒット率は高いはずだ。

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展示品も色々あるが、大人のこぶし大の炭化した塊が、知力を働かせるには絶好だ。炭素測定法で弥生時代のものとわかっているのだが、復元するとかなりの量の米を使っていることがわかる。同類の他地方の出土品の中には、握りの中に具が入っているものもあるそうだ。

弥生時代人は、主に米作をしていたと思われたが、男の多くは集落から毎日出て行って、動物やら栗の実やら魚介類やらの食糧集めをしていて、そのためのお弁当だったと思われている。現代でも会社に勤めながら自宅で農家をしている家族は多いが、2000年間進歩していないともいえるかもしれない。

もう一つの弁当の目的は戦争だったようだが、弁当一つで勝てるようなことはなかっただろうし、展示品は違うような気がする。

いずれにしても気になるのは、この弁当が、なぜ食べられずに化石化したのか。

単に、紛失してひもじい思いをしただけなのか。あるいは猛獣や別のに捕まったのか、タケノコ狩りをしていて足を滑らしたりして帰らぬ人となったのか。あまり楽しい想像はわかない。

ところで、この「おにぎり」だが、古語に「とんじき(屯食)」という言葉で存在する。源氏物語の第一帖桐壷の中に出てくる。「私は源氏物語を古文のまま、途中までは(あるいは全部)読んだ」と豪語している人がいたら、「ところで、『とんじき』って知ってる?」と聞いてみよう。知らなければ、全五十四帖のうち、第一帖すら到達しなかったことがわかるのだが、それを指摘して相手を怒らせるよりも、「この人の発言は、すべて大盛になっている」と認識するに留めた方がいいだろう。

そして、実は「とんじき」というお弁当屋さんが東京都北区に実在する。まさかと思うが創業年を調べようかな。

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会場の最後に石斧のレプリカが置かれている。これを持ち帰って何か悪事に使おうと思っても無理だ。刃もついていなければ、プラスティック製なので、おもちゃということ。本物は材木を切り、石を削って材木に固定しなければならない。もし作れてもそれをもって東京メトロに乗ると、時節柄、家に帰れなくなるはずだ。

先手で千日手を狙う奇策

2019-05-11 00:00:21 | しょうぎ
知人が、GWは第29回世界コンピューター選手権を見ると言っていたので、どこで開催されるのかを調べると川崎駅の近隣だった。横浜に住んでいるので、川崎駅で観戦して、その後、よく行く沖縄料理店に行こうかな、と知人に確認したら、「会場で見るのではなく、ニコ動で見る」という意味だったとのこと。人間の言葉は脳の中で生成されるのだが、思考法はひとそれぞれなので、なかなか正確に意を伝えるのは難しい。

そして、色々とネット上で調べても、会場のチケット入手方法はわからないし、そもそも、何かのショーが行われるのかどうかもわからない。ということで、数日後に結果をチェックすると、やねうらお氏率いる『やねうら王』が辛くも優勝したそうだ。その世界では有名人だが、初優勝とは意外。

で、氏のサイトを読むと、対局ごとに細かく設定やプログラムの微調整を行っているようで、結局、人間が対戦相手の棋譜を確認しながら戦っているようなことが書かれている。終盤の強い相手と対戦する時は、序盤の時間をあまり使わないとか、・・

そして、決勝リーグの最終局は奇しくも4勝1敗同士の対戦となる。やねうら王×Kristallweisen(略して『白ビール』)。やねうらお氏によれば、勝った方が優勝だが、引分け(特に千日手)の時のルールを確認したところ、他チームとの対戦結果から『やねうら王』の優勝ということがわかり、急きょ引分けの評価値を高めた結果、千日手狙いの手が選ばれたらしい。

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図が千日手の局面で、遡ると『白ビール』の角が2二にいるときに、『やねうら王』の左銀はまだ八段目にいた。そこで3六歩を▲3五歩と突いたわけだ。すかさず『白ビール』が△1三角。罠にはまったわけだ。『やねうら王』は歩を守りにくい。しかし▲3七銀、△3五角、▲4六銀と進む。この後、△4四角、▲5五銀、△3五角、▲4六銀で同一局面になり、4手一組を3回繰り返し4回目の▲4六銀で37手目に千日手が成立。ルールにより引分けとなり『やねうら王』が優勝。

しかし、少し考えてみると、図から▲1三角がある。▲1五歩では△1五同歩以下の角と銀香交換になり、機を見ての△8三香打が激痛になる。その他、特段『白ビール』が急に不利になる手も見つからない。

『白ビール』のプログラム上、4回目に手を変えようとしていたのだが、1回目の手が「▲4六銀(上)」に対し、4回目の手が「▲4六銀(引)」なので、まだ千日手になっていないと勘違いしたか、あるいは千日手にした方が、わずかに現局面より有利と評価したのか。

いずれにしても当事者たちの発言というのも次回大会に向けての布石のような気もして真偽につき虚々実々といったところだろうか。


さて、4月27日出題作の解答。

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初型図から4六飛を捨てる(持駒にはできない)。そして再構築を始めると、途中で桂と銀がいない方がいいことに気付く(打歩対策)。順番に片づけ盤上の飛と銀を持駒の飛と銀に交換することになる。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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手数は一桁。本当は盤上の桂は置きたくなかったのだが妥協した。妥協したため簡単になってしまう。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見を頂ければ正誤判定します。

ちはやふる-結び(2018年 映画)

2019-05-10 00:00:47 | 映画・演劇・Video
3部作の3作目(『上の句』、『下の句』、『結び』)。1作目と2作目は、連作的に2016年に上映された。漫画からの実写として、高校1年生の新設かるた部の高校日本一に向けての戦いと、一歩届かなかったくやしさを描いていた。

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幼馴染の広瀬すずと野村周平の演じるかるたヒーローに脇役が絡んで、青春の一瞬とかるた競技のすばらしさが印象に残る作品だったが、この3作目『結び』は、1、2作目の成功と、その時の若き出演者たちが例外なく、演技力も成長し、多くが主演を張るようになった2年後に再集結し、漫画にはなかった最終章を演じる。

本来、原作になかった脚本を前二作とうまくつないでいて、ストーリーを大きくしたのは、監督の技量なのだろうが、新たな登場人物が、そのストーリーをつなぐために重要な役割を果たしている。「東大生名人」が登場したのには笑えたが、徐々に視力を失っていきながら聴力を磨いていった名人。彼が言った百人一首の魅力である「1000年の時を超え、一瞬にして現代に伝える情景」。すばらしい!百人一首を選んだ藤原定家。影の脚本家は彼なのではないだろうか。

そして、エンドロールの中で、主演の広瀬すずの演じたヒロインは、その後、かるたクイーンになり、数年後に母校のかるた部の監督になることが明かされるのだが、実はこの映画の1年前の「チア☆ダン」でも、彼女は全米チャンピオンになった高校を卒業後、数年後に母校のチアダンス部の監督になる。二つも監督をかけもちすると、さぞ忙しいだろうと、心配になってしまう。

男木島アートの島

2019-05-09 00:00:06 | たび
昨日の続きだが、瀬戸内国際芸術祭2019の直前に島を訪れれば、良いことがあるだろうと漠然と考えたのがいけないのだが、常設展示物以外を見ることはできなかった。

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さらに、食事処も週末のみ開いている店が多く、その上、水曜日はほぼ全部の店がお休みになる。そして島を訪れたのが水曜日だった。

ということは、次の船便までの2時間を徒歩による島めぐりに費やすしかない。アートの島になる前は「灯台くらいしか見るところがない」と言われていたようで、灯台まで片道30分歩くべきだが、前の仕事では灯台をたくさん見ることになったので、足が灯台方面には向かわない。

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まずは島の高台にある豊玉姫神社に行くことにするが、極めて細い道で、さらにかなりきつい坂だ。難攻不落の山城(やまじろ)に登るような感じだ。ただし距離は短い。

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そして、男木島の豊玉姫は、海彦・山彦伝説の中の山彦(山幸彦)の妻(あるいは愛人)という役回りである。二人の間には男の子が生まれるのだが、その出産シーンを見てはいけないと豊玉姫に言われたのに、山幸彦は、こっそりのぞいてしまうわけだ。そうすると、豊玉姫の真の姿を見てしまうわけだ。姫の姿はサメだったわけだ。サメは魚類だが卵で出産するのではなく体内で孵化して魚の形ながら、あたかも哺乳類のように出産する。

そして、この男の子の孫が神武天皇ということだ。つまり天皇が男系子孫に限るというのは、実は先祖が魚類であることを皇室が知られたくないからだ。

そして、伝承によれば、豊玉姫=乙姫、山幸彦=浦島太郎、竜宮城=沖縄ということだそうだ。つまり、天皇家の先祖は浦島太郎ということになる。


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それから常設アート作品だが、船着き場の男木交流館。見た通り屋根が奇抜だ。

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歩く方船。

このあたり風が吹き抜けている。近くに猫がいる。

そして、島を去るのだが、本来は女木島に行くつもりだったが、気が乗らないわけだ。女木島随一の観光スポットは島の中央の高台になる「鬼の洞窟」。鬼が住んでいた洞窟があるそうだ。しかし、そこには鬼の模型が並べられているようだが、本当は、鬼というのは日本の先住民に違いないわけだ。そんな俗物を並べないでほしい。

そして、女木島で下船せず、一路、高松港へ。そしてそのままうどん店に急ぐ。空腹のため、うっかり肉うどんを注文した結果、だしの味が判らずじまいになってしまった。

男木島は猫の島と言えるか?

2019-05-08 00:00:49 | たび
瀬戸内海の島々はアートの島として生まれ変わりつつあり、瀬戸内国際芸術祭2019の始まる数日前に高松から数十分のところにある女木島(めぎじま)と男木島(おぎじま)を拝見させていただこうと思い立つ。始まる数日前ではなく数日後に行くべきなのだが、それではGWになってしまう時期だし、それは困難な予感があった。

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高松から「めおん」というフェリーで20分で女木島、さらに20分で男木島。つまり男木島には女木島経由でないと行けないわけだ。どちらから見るかという問題があって、時間的には男木島からの方がいいような気がした。実は違うのだろうが。

そして、男木島はアートの島であることの他、『猫の島』と言われているそうだ。猫がたくさんいるわけだ。そして、それを目当てに行く人が多すぎて、みなさん餌を持っていくため猫が増えて、地元の島民の生活に影響が出て、「猫を減らそう」ということでもあるようだ。といっても猫を食べモノで集めて、漁網でバサッとやるわけにはいかない。法令で猫の虐待は犯罪となっているわけだ。

といって、フェリーの中には猫の写真を写そうとハイテンションの人が数多くいるようだ。肌の白い人や本格的に黄色い人、その他この島で何らかのCM撮影をしようとしているグループ+数人の女性モデル。さらに、数日後に始まるフェスを先取りしようとする私。

ということで、本日は、猫の写真に限って話をすると、いわゆる島の観光資源とは異なる場所に猫が住んでいるわけだ。普通に考えると、猫が島の高台の森の中にひそみ、人間は海岸の漁港の周りに居住する、と考える。

しかし、猫は高いところにも僅かにいるのだが、大部分は海岸の方にいる。漁港の岸壁の上を歩いていたりする。小魚とかありつけるのだろうか。実際には、本土からの観光客には餌を持ってこないように告知してあるし、全国の猫愛好家からの寄付金で島民がキャットフードを買ったり、増殖防止策を施しているそうだ。戦後のベビーブームに驚いて卑劣かつ俗悪な政策を行った日本政府のようだ。

猫の写真はGIFアニメ化したので、
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↑スマホの方は、画像の1タップを1回または2回!↑


島の猫たちの一般的態度だが、野良猫のような鋭い眼光ではないのだが、といって飼い猫や猫カフェのような媚びるようなしぐさでもない。カメラマン&カメラウーマンには難しい課題だ。「孤独を楽しむ猫」というのが正しい表現なのだろうか。

トラットリアで蕎麦を

2019-05-07 00:00:18 | あじ
倉敷の美観地区からそう遠くないところに「蔵pura」という場所があって、何軒かのレストランがある。最近、その場所に、イタリアンなのに蕎麦を出す店があるということで、暖簾をくぐることになる。店名は『トラットリア武野屋(たけのや)』。どうもランチの時間は蕎麦屋に近く、ディナーの時間はイタリアンに近いメニューのようだ。

イタリアンで蕎麦というと、代表的なのがスパゲッティを中心としたパスタ類だが、それは小麦粉でつくるわけで蕎麦粉は使わない。クレープは蕎麦粉だが、クレープを細く切ってお湯でゆでたりはしない。よくわからないながら、料理を注文すると、イタリアンと和食の混合メニューである。別に混合でも一向に構わないがドリンクに悩む。

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地ビールを飲んだ後、ワインにするか和酒にするか。どちらを選んでも食事と合わなくなるので、蕎麦にこだわり、蕎麦焼酎「十割」を注文する。当然ながら蕎麦湯割りなのだが、関西の蕎麦屋では蕎麦湯がない店が多い。さらに、蕎麦湯を知らない蕎麦店まである。少し心配だったのだが、想像以上のものが出てきた。何か茶色の木屑のような破片が浮かんでいる。確認すると、『蕎麦の実です。』とのこと。今まで飲んだ蕎麦焼酎の中でも指折りのすばらしさである。実はこれを飲むお客さんは、ほとんどいないとのこと。

実際、こんな簡単な飲み方でも自宅で作るとなると簡単ではない。蕎麦湯を作るには蕎麦を茹でる必要があるが、蕎麦を茹でた後は、蕎麦を食べなければならない。焼酎飲んでる場合ではないわけだ。だから、次々と蕎麦を食べにくる蕎麦屋の片隅で、キスの天ぷらを肴に蕎麦焼酎を飲むということになる。その他、肴に向いているのは、塩とかワサビとか揚げ玉なのだが、これらだけを注文すると、嫌われること間違いない。

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ということでいくつかの、日伊料理を食した後、イタリアン蕎麦を注文。このお店の紹介者と二人で行ったので、二種を注文、トマトソースとバジルソース。蕎麦の味がはっきりわかるのはバジルソースの方かな。しかし、どうも周りのテーブルを観察すると、イタリアンを食べている人はあまりいないようで、単に和食と蕎麦の店として認知されているようだ。

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ところでトラットリアより格上はリストランテ、格下はオステリアとかバール、タベルナ、ビストロということになるのだが、例えばサイゼリアはどれに当てはまるのかというと、難しい。どこにも入っていないようにも思える。料理もお酒もおいしいのだが、チェーン店なので、独自メニューがなく、種類が少ない。最近、業績が激落しているようだが、「おいしいのだが、飽きた」ということだろうか。これは大問題なのである。おいしくないから行かないという理由なら対処法は簡単だが、メニューが少ないというのは簡単ではない。

万歩書店を覗く

2019-05-06 00:00:39 | たび
日本で一番大きな古本屋と呼ぶ人もいるのだが、万歩書店に行く。場所は、岡山駅から山陽線を一駅下った北長瀬駅から徒歩15分。国道沿いだ。そこに行く前にブックオフもある。

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実際、建物の敷地は広く、横幅が大きく、縦幅はもっと大きい。もちろんジャンル別に書棚はあるのだが、入りきらない本は横積みに重ねられている。確かに日本一かもしれないが、全国の古本屋を知らないので断言できない。神田には何階建てかになっている店もあるのでなんともいえない。

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店名の「万歩」は一万歩も歩いても全部捜し歩けないことを示しているようだ。


ただ、在庫が多すぎるようにも見える。両側の書棚は地震でもあれば、一気に崩れ、本の中に眠り込むことになるだろう。救出されるまで本を読めばいい。

実際、長く探している詰将棋の本を探すことができず、店員の方に聞いてしまった。要するに将棋コーナーは充実してはいなかった。詰将棋本は一冊もなかった。

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一万歩を歩いても何もならないので、二冊だけ購入する。ファンタジー系か、あるいは悪魔本か。

足王と言っても靴じゃない

2019-05-05 00:00:36 | 歴史
「駿足」という子供用の運動靴が売れているようで、「足王」というと新しい靴の名前のようだが、実は神社の名前。(ついでに地下足袋メーカーに「力王」というのもある。)岡山県の赤磐市にある神社で、足の神様が祀られている。岡山に用があったので、ついで旅で足を伸ばす。岡山駅からバスで30分で、神社の前に到着する。

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この神社の由来だが、一応の起源としては江戸時代の末期に稲作の神様である手名椎之命(てなづちのみこと)と同じく稲作の神様である足名椎之命(あしなづちのみこと)の二神を祀って社を建てたそうだ。豪農であったそうだ。

本来、農業労働に手と足は重要な役割を果たすのだが、鎌や鍬といった道具は、それなりに危険で事故もあったのだろう。また腰を曲げての作業では、あっちが痛いこっちが痛いということも想像できる。

いつの日か、この神社に祈願すると、足の病気が治るという話になり、参拝者が鎌を納めるようになった。たぶん神社としては大量の鎌をもらっても困るはず(数千の鎌が鎌殿と言われる倉庫の中に眠っているそうだ)。鎌をお金に換えるのは難しいだろう。

農業の必需品である鎌は、病気の根を刈るということの象徴となっているようだ。といって鎌をもってバスに乗るわけにはいかないので、少額金員にて代用したのだが。

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実際にバス停の高さに神殿はあるのだが、そこから下り階段をかなり降りていくと鳥居があり、よく狛犬がいる場所に足の石像が左右一対並んでいる。自分の足の病気の部分と同じ場所を石像に探してなぜると病気が治ると言われている。整形外科医の敵だ。

右の足首と左の膝に捻挫の古傷があるので、左右間違えないように気をつけて触ってみる。くれぐれも水虫がうつらないように気を付けなければならないが、足の裏を触ることはできないようになっている。神社ではなく皮膚科にいくべきだ。

しかし、この足の像にたどり着くまでかなり階段を下らなければならず、帰るときは今度は階段を登らなければならない。足が悪い人には酷な話だ。


ところで、この赤磐市の隣には和気町がある。歴史上、有名になったり(紙幣の肖像にもなったりした)、無名になったりする人物がいる。和気清麻呂(わけのきよまろ)という人物である。清麻呂氏は、女性天皇が破戒僧である道鏡に取り入られ、道鏡を天皇にする企てに発展したときに、姉と一緒に必死に抵抗して、それがため鹿児島県に流されたのだが、天皇が亡くなった後、道鏡が失墜し、再び都に戻り重臣となり、平安京への首都移転チームの一員として活躍する。和歌の方は、うまくなかったようだ。

この大部分が実話の中に、神話的な話があって、配流地へ籠に閉じ込められて送られるときに足の腱を切られていた(実際は足が萎えたのではないだろうか)のに、多くのイノシシが彼を背中に乗せて運んでいるうちに足が治ったということで、京都にある護王神社(和気清麻呂を祀っている)も足が病気の人が通っているようだ。

なぜ清麻呂の評価が揺れ動くのかというと、天皇制との問題がある。彼がふんばらなかったら、天皇制はまったく権威のないものになっただろうし、続くこともなかっただろう(復活はあるかもしれない)。それで、どうなったのかというのは難しいが、違う日本にはなっただろう。かといって、武家時代の為政者は天皇を煙たく思っていただろう。

こうして、1945年の夏までは、「天皇」と「政権(国家)」という二つの機能の軽重によって清麻呂の評価がなされていた。そして、現在は「国民」という軸が生まれたわけだ。つまり、「国民」「天皇(皇室)」「政権(国家)」の三権分立になったわけだ。そして、天皇と政権とは直接関係を持ってはいけないのだから、必然的に天皇は国民との関係を強化することになるのだろう。

DROPという違和感

2019-05-04 00:00:33 | しょうぎ
最近、将棋教室に外国人の小学生が現れたので、あわてて将棋単語の英語読みを確認する。一応、以前に覚えたことがあるのだが、使わないものは日々に疎しである。そして、ある単語に違和感を感じている。

「DROP」

この単語にSを付けるとドロップスといってキャンディになる。語源はオランダ語らしいが、Sを付けないと、単に「落ちる」「落とす」というような意味である。ほとんどの日本人が知っている英語だ。

これを将棋に使うと、駒を打つことになる。囲碁に使っても石を並べる意味。しかし、駒を打つときにDROPでは、うっかり駒を落としてしまうというイメージだ。本来は、駒をパチッと盤上に打ち込むのが打つなのだから、違和感がある。

そもそも駒を打つというものの、駒を打っているわけではなく、駒を使って盤を打っているわけだ。

そして、外国人少年はいつの間に来なくなってしまったのだ。


さて、4月20日出題作の解答。

0504k


0504kk


手順前後すると詰まない(あたりまえだが)。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

0504m


上に追うのか、下に追うのか。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見を記していただければ、正誤判定します。



醤そば(HISHIO)

2019-05-03 00:00:16 | あじ
小豆島(しょうどしま)の地産醤油を使った醤(ひしお)そば。HISHIOというラーメン店で食べられる。本店は小豆島だが、岡山駅の近くにある高島屋の裏に店舗がある。隣もラーメン店という激戦区だ。

醤そばは濃厚だ。島醤油とカタクチイワシの煮干しが当店の味の二大オリジンであり、この醤そばは島醤油系。島そばというのが魚介系でカタクチイワシの煮干しがベース味だ。たまにしか食べられないので、どうしても濃厚な醤そばの方を注文してしまう。

hisio


麺は細麺で固ゆで。四角い角のはっきりした麺である。癖になりそうな味なのだが、癖になっても簡単には食べに行けない。

ところが、人気フーズサイトで読むと、「替玉」を注文すると、一杯目の麺とはまったく異なり、茹ですぎて形が崩れたようなものが出てくる、と書かれていた。

替玉するほどの元気はないので試しようもないが、そもそも替玉とは頼まれてすぐに出すのだから、頼まれてから茹でるわけにはいかず、どうしても鍋の底に沈んでいるような麺を集めて出すのではないかと思う。替玉は何にしてもまずい。

タケノコ不作の原因は

2019-05-02 00:00:05 | 市民A
先週末に、近隣地区の公園の竹林で、『タケノコ狩り』があった。公園の管理組合の方が乱獲を避けるために、管理している。さっそく大型スコップを持って駆けつける。

ところが、地元情報というか見ればわかるのだが、タケノコの本数が少ない。

代表者の方のあいさつでも、今年は塩害の上、盗掘があったので、一人1本も難しいかもしれない。皆様、きょうは『タケノコ狩り』ではなく『タケノコ探し』を楽しんでください。と絶望的なスピーチがある。

全国的に言われているのが、『裏作』ということばで、昨年が取れすぎだったので今年が裏作になったとか言われる。果たして真の理由はどれだろう。

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ともかく、用意ドンとなり、参加者各位は竹林に散らばるのだが、さっそく小さなタケノコを発見。ここで迷うわけだ。この小さなタケノコを収穫すべきか、もっと大物を狙った方がいいのか。よくあるパターンだ。

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といってもボウズになるのは嫌だから、1本を確実に決めてから大物を探すことにするが、周りの土を掘っていると、この小さなタケノコが抜きにくい場所にあることがわかってくる。したがって30分ほど格闘することになる。その間に大物タケノコは絶滅してしまう。

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つまり、本日の収穫はミニ1本ということになる。


ところで不作の原因の一つとされる盗掘だが、1回見たことがある。こどもを二人連れた両親が楽しそうにタケノコの盗掘をしていた。

実際、タケノコの生えている地面の所有権が誰のものなのかはわからないが、少なくても自分の土地でないことは明らかなのだから、犯罪である。親がこどもに、犯罪行為を教えているわけだ。『万引き家族』ではなく『盗掘家族である』。