津山城に登る

2013-07-01 00:00:21 | The 城
岡山県の北部は美作の国と言われ、なぜか美作1300年記念の年だそうだ。西暦713年に独立したそうだ。そういえば、古事記も1300年祭。その頃、いろいろあったのだろう。その中心地が津山である。

ほとんど山の中に、町があるのが津山の特徴で、西欧の城郭都市に似ている。複雑な話はおいておき、その津山にあるのが津山城。岡山には884もの城跡があるらしいが、トップ3といえば、津山城と備中松山城と岡山城。それぞれに個性があるのだが、天守閣が残っているのが山城の備中松山城。米軍の空襲の犠牲になったのが岡山城。そして津山城の天守閣は明治6年の廃城令により翌年解体されてしまった。それぞれの運命ということだ。

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まず、津山城のみどころは、立派な石垣である。城門から石段を登っていき、多くの櫓の跡を辿っていくと両側に石垣が続いていく。この石垣に付着している汚れというのが、お城研究者にとっては重要な意味をもつのだが、石を組み直したりすると、汚れの跡が不均一になったりまだら模様になるのだが、もっとも高いところの平面にある本丸や天守台にいたるまで、大規模な修繕の形跡は見えない。


ただし、本丸跡は結構手狭なスペースで、津山藩の執務スペースがぎっしりと建て並んでいたようだ。江戸も後期になると、役人の自己増殖反応の結果、肥大化してしまったのだろう。江戸幕府も同様。

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そして、天守台の石垣は、明治の時代に一度崩れたものを並べ直したのだろう。まだら模様になっているし、中には石垣に使うべきではないような石も含まれている。仮に、天守閣の再現でも考えるのなら、予算の中には天守台の地盤強化費用が必要だろうか。

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そして天守閣の代わりに、櫓を再現している。なかなか雰囲気は出ているが、最大の問題は、天守閣ではなく、あくまでも櫓であるということだろうか。横綱と十両の差ほどの差だ。

この城を築いたのは森氏といって、あの織田信長のハニー・ボーイだった森蘭丸の兄弟の家系である。しかし、何代か後に将軍綱吉の時代に、森家は、江戸幕府のために今の中野警察のあたりに巨大な犬小屋を作る仕事を命じられ、あまりの難易度の高い仕事ゆえ27才の当主が跡継ぎの子供を作るヒマもなく、若死にしてしまい、当時のルールに従い、お家断絶という憂き目にあう。

森家の歴史、なんとなく可笑しい。犬にとっては、神か?