日本の方向を決める一人

2010-03-16 00:00:55 | 市民A
fukusima今、日本の政治的指導者は三人いる。連立内閣だからだ。

一人は、もちろんY.鳩山氏(あるいは小沢氏)。もう一人は亀井静香氏。そしてもう一人は福島みずほ氏である。国民新党は、亀井静香的個人的政党という文脈の中にあるわけで、実際には全国政党とも言えないし、早ければ半年以内に消滅してもおかしくない。しかし、社民党はそういうことにはならない。歴史と、少数ながら強固な支持者が全国的に存在しているから、比例代表的な制度がある限り、国会議員を確保するだろう。

ところで、会社からほど遠くないところに、福島みずほ事務所が、転居?してきた。新橋の日比谷通り沿いで有名ラーメン店の隣である。転居に(?)をつけたのは、今までどこにあったか知らないためだ。

しかし、党首であるなら、わざわざ、こんなパチンコ店の新装開店みたいにしなくてもいいのではないだろうか、と思うわけだ。夏の参院選比例区で出馬するのだろうが、 個人的運動なんか必要なのだろうか。

何となく、普天間問題で、党首辞任→社民党離脱&大臣辞任→第三極政党へ参加、という匂いを感じなくもない。

それもいいのではないか、と思う。

元々、彼女は人権弁護士から土井チルドレンとして政界入りをしたわけで、別にルーツが旧社会党の闘士というようなこともないわけだ。日本を二つに割ってまで、あるいは日米関係を分断してまで基地を追っ払おうと考えているのだろうか。


去年沖縄に行った時に、色々と感じたのだが、米軍基地に反対している人たちの中には、「反米主義」だけではなく「反日主義」の人もいるということ。

もちろん明治以来の大日本帝国下では、間違いなく国の支配者の心の中には差別(というよりも区別)があったのだろう。満州開発には国家予算の多くをつぎ込む半面、沖縄の民衆は貧困のまま放置され、そして、戦争末期には見捨てられた。底流的な気持ちはよくわかる。

しかし、現在、沖縄県民を誰が差別しているのだろうか。あるいは、基地があることが差別というのだろうか。(あまり言いたくないが、日本国に併合される前の琉球王朝というのは、日本以上の搾取的封建王制だった。)


いずれにしても、来週後半からはこの問題で大騒ぎになるのが目に見えているわけで、最後は社民党の問題に帰結するだろうと思われるわけだ。


ところで、この事務所から日比谷通りを南へほんの僅か歩いたところに、浅野内匠頭長矩終焉の地という碑が立っている。1701年に起きた忠臣蔵の実録版だ。江戸城内で抜刀した浅野長矩が即座に逮捕され、江戸城不浄門から新橋にあった田村右京の屋敷にお預けになり、即日切腹となった。時の綱吉将軍は、犬には優しかったが不届き者の大名には冷酷だった。

さらに、そのまま日比谷通りを直進し、田町駅の近くに行けば「薩摩屋敷」がある。1867年に焼き討ち事件があり多くが犠牲になる。その後、薩長軍が幕府軍を倒し新政府が樹立される。

つまり約150年に一回、不吉なことが起きる道ということだ。

イザ!鎌倉へ

2010-03-15 00:00:40 | 歴史
御神木である大銀杏が倒壊したのが10日。一説では、無理やり頭の大銀杏を切り取られた元横綱である元朝青龍の怨念によるとも言われる(言っているのは一人だけだが)。



鎌倉に行ったのは、だいぶ前になるし、五島美術館の名刀展でも、12世紀の名品が出品されていたし、まあ鎌倉散歩にでも行ってみようかと重くもない腰を上げることにした。まあ、半分は、「ご神木とのお別れ」。そして、半分は「ヤジウマ」的か。

以前、クルマで行った時には公営駐車場の空きが見つからず、神社横の私設駐車場を使ったのだが、ゴーツクババアが、人の顔色を見ながら駐車料金を2000円とか1500円とかふっかけていて、「バチアタリめ!」と思っていたのだが、すでに天罰が下っているのか再びクルマで確かめにも行きたかった。

ところが、・・・

鎌倉は人の海だった。



クルマは大渋滞であるし、人の多さは初詣か東京駅のラッシュ並。

それでも人波を掻き分け、大銀杏のあった場所に近づけば、大型クレーンが入って作業中だ。どうも根元の方は、スパっと切り取っているし、折れた木の上部の方は横倒しのまま断面をきれいに切り直されている。何をやっているのだろう。

しかし、現場には近付けないので、これ以上何もわからない。

鎌倉市街は、JR鎌倉駅の北と南に延びる「若宮大路」というメインストリートがある。南の端が材木座海岸で、北の端が鶴岡八幡宮。ちょうど全長2キロ程度である。

材木座海岸というのも、そこの浜に一年で最初の鰹が上がると「初鰹」といって江戸の将軍様に早馬で献上される。その辺もチェックしたかったが、大混雑の中を2キロ歩くことは困難である。八幡宮以外には鳩サブレの直営店に寄っただけで帰ることにする。



ところで、朝の新聞を読まずに出発したためわからなかったが、今後の方針として、三種類の蘇生法を試みるそうだ。

まず、倒れた方の上の部分の幹を輪切りにして、移植するそうだ。成功率90%だそうだが、90%でも5%でも同じではないだろうか。生きるか死ぬか。

次に、根元の方だが、短く整形して、根元から細い枝とか出てこないか期待するそうだ。

最後に、倒木の枝を100本ほど挿し木にするそうだ。

結局、同一遺伝子の復元ということなのだろう。

そこまで拘るというのも神道だからなのだろうか。遺伝子の保存はある家系でも最大問題だ。


一方、仏教は難しい宗教で、その解釈は宗派によって様々である。

「形あるものはいつか必ず滅びる。残るのは宇宙の摂理だけだ」という禅宗的な発想もある。


ところで、倒木の断面だが、遠目では年輪が美しそうである。老木の色ではない。

やはり、祟りか・・

名刀展(五島美術館)

2010-03-14 00:00:06 | 美術館・博物館・工芸品
世田谷区といえば、リッチマンの居住比率が高いことで有名だが、東急大井町線上野毛駅から五島美術館に向かって歩くと、やはりそんな感じだ。美術館の隣の豪邸には「五島昇」と大きな表札が目立つが、生き返ったのだろうか。

meitoそして、日本刀のこと。今回は40日間の特別展示(~3/28)ということで、刀剣収集家の福井家が昭和39年に寄贈したコレクションの中からのセレクションである。12世紀の作から18世紀の作まで30点である。

ところで、日本刀の常設館としては、初台にある刀剣博物館が有名だ。行ったこともあるが、どちらかというと日本刀を美術品としてではなく、戦闘用兵器として展示しているような雰囲気がある。この雰囲気というのはなかなか伝えにくいものだが、要するに各種の説明文書が、刀の美しさについて書かれているか、その機能について書かれているかといった点である。

その点、今回の展覧会は芸術性優先である。あまり、刀身の形状の歴史的変遷とかには触れられていない。刀という凡そ形状が確定している金属棒の放つ光や、刃先を天空に向け飾られただけで空間を切り裂く微妙なカーブが強調される。実用と芸術のはざまである。

しかし、そこは若干の知識があるからわかるのだが、12世紀、つまり源平合戦の末、頼朝が鎌倉幕府を開いた頃の日本刀は素朴である。やや、肉厚が厚いものの刀身の反りは既に現代と変わらない。この12世紀というのは、日本史の中でも、戦闘が激しく行われた時代である。そう思って注意深く刀身を見ていると、多くの日本刀の刀身には、敵と刃を交えたと思われる傷跡が残されている。当然ながら火花が散ったのだろう。刀の所有者が勝ったから現代まで残ったのか、逆に負けて討ち取られてしまったから刀が残ったのか、それはわからない。

時代が下って15世紀、16世紀。この時代も激しい戦闘が行われた時代だ。まだ南蛮渡来の鉄砲隊は現れない。この時代の特徴は、刀身の背に近いところに溝が彫られている。一人一殺といった時代ではなく、力のあるものがバッサバッサと長尺を振り回し、まとめて何人も斬り殺していた。その時に刀身に溜まる血糊が自動的に流れていくという経験的な工夫である。

多くの刀剣は戦闘に用いられたと考えられる。そして、江戸時代がきて、刀は兵器から美術へと変身していく。

江戸時代の刀身は、源平時代のものと似ている。シンプルな美を追求し始める。刀身には傷など見当たらない。たぶん、名匠の手で完成された一振りを、どこかの刑場で「お試し」といってトライアルを行ったキリなのだろう。

まあ、そういうわけで、30点の出品といってもなかなか肩が凝り、息が詰まるのである。

まあ、ありえない話だが、もし私が1本入手したならば、いつ、どこで、「お試し」を実行するか、色々と悩みそうである。

名人戦の「ふるえ」

2010-03-13 00:00:32 | しょうぎ
第68期名人戦が近づいている。

A級順位戦リーグは最終局まで挑戦者が決まらない混戦だったが、三浦八段が7勝2敗で年間対局料1億円超の羽生名人への挑戦権を獲得した。将棋連盟のHPには三浦八段の年間対局料が、第13位の1,598万円と記載されている。約7分の1である。

A級での三浦×羽生戦は過去1勝5敗と散々だが、22歳の時の棋聖戦で羽生七冠の一角を崩したことが有名である。

もっとも、「羽生に一手詰を決めた男」木村八段とか、そういう肩書きをつけられると、その肩書からなかなか逃れられないのが、この業界の常のようなので、「七冠崩しの三浦」から脱出するためにも、是が非でも名人のタイトルは欲しいところだ。

というか、誰でも名人になりたい。五期名人位に就けば「永世名人」という大称号に格上げになるのだが、棋士のほとんどは、そこまでは夢を見ないものだろう。普通は「1期だけでも名人になりたい」ということだろうか。例えば、名人になったとたんに、翌年の防衛をあきらめ、講演会の大安売りで蓄財活動をはじめたりする場合もある。

しかし、その「一度でも名人になりたい」という欲望が、タイトルを守る方からすれば付け目になるわけだ。挑戦者のいわゆる「ふるえ」である。通常数十手先まで読める達人が、1手先が見えなくなる。有名なのは、大内八段が中原名人へ挑戦した34期名人戦7番勝負。名人へ、あと数手で間違える。35年後、今期ついにC2クラス3度目の降級点に泣く。

実は、名人戦7番勝負が4勝3敗で決着したのは、過去15回ある。つまり、3勝3敗になった回数である。挑戦者に最も「ふるえ」が発生するケースである。

15回のうち挑戦者が4勝目を取って名人位奪取したのは、僅か4回である。4勝11敗。千秋楽に7勝7敗の力士のほとんどが勝つ相撲とは正反対だ。

meijin50終盤の最後に「ふるえ」が出た大内八段とは別に、中盤の大優勢が、一手の心理戦を境に大崩壊していったのが1992年の第50期名人戦の高橋道雄八段。中原名人に挑戦し、3勝3敗と善戦し、最終第7局に至る。

この頃、中原名人は、私生活では、こっそりと小さな満足に陥っていたことが後で判明するのだが、この将棋では、序盤での横歩取り3三角戦法が空振りに終わり、飛車の往復運動で手損に至り、駒組負けになる。(この後、中原玉という名前の空中戦を開発していくのだが、もしかしたら発明者は「林葉玉」だったのかもしれない。)

67手目まで進んだところで、先手が下段飛車を2筋方面に展開して、1、2筋を突破すれば高橋名人誕生のはずだった。唯一の弱点は9筋の歩を突き越されていることだが、10手程前に先手が受けることは可能だった。ただ、だからと言って・・

ところが、不利な状態の中原名人が、三手一組のゆさぶりをかけると、高橋陣は、まもなく自滅し、大崩壊に至ることになる。

 △9六歩 ▲同歩 △9二香。

つまり、このままだと△9一飛から端を攻めるそぶりを見せたわけだ。ただし一歩損。だから、それで悪くなっているわけでもないわけだ。

が、有利と思っていた気持ちが一挙に崩れていくわけだ。▲6七銀と引いた手に対し、△9八歩 ▲同香 △4三角。またも一歩損の三手一組のゆさぶりだが、これ以降、挑戦者が一方的に自滅し、144手で後手が防衛に成功する。(動く将棋盤は、こちら

まあ、挑戦者が3勝3敗にしないことだろうが、それが難しいわけだ。


さて、2月27日出題の1題目の解答。



▲1三銀 △同玉 ▲3一角 △同角 ▲2二桂成 △同玉 ▲1二金まで7手詰。

後手の5三角の利きをはずす意味でもある。4手目に△2二合ならば▲1二金という隠れ妙手がある。

動く将棋盤は、こちら

第二問の解答。



▲2二桂成 △同玉 ▲1三角 △2一玉 ▲3一角 △1二玉 ▲2四角成 △2二玉 ▲1三馬まで9手詰。

7手目の角成は後手の3三角の利きを止めるためで、場所は限定である。

途中▲2四角不成でもいいだろうと思っても口にしないこと。友達をなくすだろう。

動く将棋盤は、こちら


本日の問題だが、ヒントを出しづらい。香車を歩に替える方法と書くと、書き過ぎかもしれないが、間違いのもとかもしれない。



わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と手数を記していただければ、正誤判断。

キンペイトー

2010-03-12 00:00:35 | あじ
kinpeito1金沢へ行った人から手土産を頂戴したのが、金平糖である。いかにも格調高い三色。黒、緑、白。黒糖味とか抹茶味。

しかし、よく見ると、表面に光る物が・・

拡大してみると、金箔である。さすがに加賀百万石である。

これぞ、キンペイトーである。

もちろん金平糖はポルトガル渡来の南蛮菓子で、ポルトガル語のコンフェイトの当て字なので、金箔付きでもコンペイトウである。

長尺物テレビドラマだった「利家とまつ」では、ポルトガル人より南蛮菓子コンフェイトを献上された信長は、それを利家に下賜し、恐妻家の利家は婚約者まつの機嫌取りに使う。テレビドラマでは、何かの慶事に二人で節分の豆のようにコンフェイトを放り出して喜ぶのだが、こうして庭に転がっていた一粒のコンフェイトをもとに、加賀名物の金平糖が始まる(わけじゃないだろう)。

信長の口には合わなかったのだろうか。ただし、利家以外にも配ったのだろうが、秀吉は出が貧乏人なので、妻に届ける前に、自分で食っちゃったのだろう。

日本のお菓子の歴史では、五つの味の融和が和菓子を作ったといわれている。1は日本古来の穀物系であり「だんご類」など。次に2として中国大陸から中華菓子が入ってくる。饅頭とかだ。その後、時代は下り鎌倉時代。3として中国大陸の禅宗から精進系のお菓子が入ってくる。そして、4が南蛮渡来菓子。カステラなどだ。さらに和菓子の繁栄は江戸時代の茶会に出されるお菓子のメニュウで洗練される。特に井伊直弼は、江戸で大茶会を開いていた。大老に任命される前は、むしろ、この茶菓子バイキングに命を懸けていた。毎年、数多くの新作メニューを披露していたそうだ。そして最後に明治以降の洋菓子の影響である。

kinpeということで、金平糖はカステラと同時期に日本に入ってきたということだ。


ところで、加賀料理というのは、一つの高級料理のジャンルを作っている。江戸時代の各藩は、それぞれが地方政府の機能を有していたのだが、藩ごとに料理のうまいところとまずいところがある。

それを考えれば、世界にも、料理天国の国もあれば、そうでない国もある。

例えば、料理天国は、中国、フランス、ロシアなど。まずい国は、英国や米国。米国では最近では、高級料理店が充実してきたそうだが・・まさにそのあたりに鍵がある。

料理の美味い国は、ほとんどが封建的王位制度の時代に料理が確立されている。

フランスも革命までは王朝だった。中国は、大明帝国、大清帝国である。ロシアだって王制だった。料理のつど、一皿ずつテーブルに登場するなど、召使いがいなければ、実行困難だ。民主主義の国では富が蓄積されないので、料理も平凡となる。

そして、加賀が繁栄していたからこそ、うまい金平糖もできたわけだ。

イチョウ

2010-03-11 00:00:49 | 歴史
icho2生後1年も経たないトキ10羽が野生動物に襲われた3月10日、折からの未明の吹雪によって、鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れる。こちらは樹齢千年とも言われる。

三代で滅びた源氏政権の最後の将軍、源実朝が、謀殺された父の恨みとばかり、この銀杏の大木の後ろに隠れていた甥に暗殺される。1219年1月。大雪だったそうだ。なぜか暗殺に大雪はつきものだ。つまり、歴史書に残る大銀杏である。

もちろん、陰ですべてを操っていたのは北条時政である。娘である北条政子を初代将軍頼朝の妻にし、結局は子供を犠牲にして出身家の北条氏の繁栄をもたらした。

ichoこれも、奇跡的に偶然なのだが、同日、横浜の二俣川という場所にある運転免許センターに行っていた。この二俣川というのは単に川が二股に分かれるというだけの平凡な地名だが、1205年に血なまぐさい合戦が起きる。

二俣川古戦場跡ということになる。源頼朝の重臣だった畠山重忠が北条時政の謀略によって、二俣川方面に引きだされてしまう。百数十騎だったようだ。そこを1万人の北条軍が襲ったのだから勝ち目はない。

要するに、1192年にせっかく鎌倉幕府を開いた頼朝が1199年に落馬事故で亡くなってからは、北条家のやり放題だった。

北条時政と小沢一郎を直結して考えたくなるだろうが、それはまさに正解かもしれない。

早くも夜桜

2010-03-10 00:00:51 | 市民A
sakura


sakura桜には100を超える種類があるらしく、開花の時期や期間もそれぞれ異なる。

ソメイヨシノばかりが人気で、通常の桜の開花日というのは、ソメイヨシノの開花日のことのようだ。

ところで、地元の話題で恐縮だが、東急沿線の某駅の近くに、有名な早咲きの桜がある。国道をまたがる大横断歩道橋の横の山にある私有地の駐車場にある。植えられたものなのか山桜一本を残して開発してしまったのかよくわからない。

毎年、この桜が咲くと歩道橋を通る人たちがカメラや携帯で撮影を始める。かなり立派だからだ。そして、早朝にはこの桜の花に野鳥が集まり大騒ぎである。桜の木や花についた害虫を食べるのではなく、花の蜜を吸っている。

鳥が桜の花の蜜を吸うことは、この木に出会うまで知らなかったのだが、野鳥の立場でいえば、毎年一度のボーナスみたいなものだろうか。

夜の桜を写してみた。

sakura2ちょっと怖い色だ。

春なのに

2010-03-09 00:00:59 | 市民A
卒業生の中に、3人の天皇と4人の総理大臣を含むブルジョアジーの館とも言える小学校がある。その総理4人とは誰なのかは、本文最後に記載する。意外というか意外でないというか。

昨秋に迎賓館の前庭(中庭ではない)の公開があった折に、迎賓館から青山の銀杏祭り会場へ散歩中に、その小学校の正門前を歩いた。ちょうど文化祭の時期であったが、外部の人間の入門は固くお断りの立て看板があった。理由はインフルエンザとされていた。


例の不登校児童の話だが、一見謎である。

某男子児童が某女子児童をいじめるということが、実際にあったのかどうか、というのが第一点。

その場合、普通ならば、親が学校側に事情説明と事態正常化について申し入れを行う。

そして、学校は事実確認を行い、事実であれば、某男子児童に対して指導・改善行為を行い、事実でなければ、女子児童の親に「いじめの事実はない」と通告する。

その結果、親があきらめるか、ジャーナリズムに訴えるなどの大騒ぎを始める。「隠蔽なのか過剰反応なのか教師の無関心なのか」そんなところだ。

しかし、中には、第一段階を飛ばしていきなり大騒ぎを始める親もいて、「モンスターペアレント」とか呼ばれる場合もある。

違和感の第二点目は、今回の宮内庁の対応。宮内庁がいきなり不登校を公表し、「学校のせいだ」と言っているように聞こえる。まあ、両親が学校に乗り込むわけにはいかないのだろうが、何らかの代理人が学校に事前に調査の申し入れとか行っていたのだろうか。

何か、ジャーナリズムの上に乗っかって、宮内庁も小学校側も自らの正当性を訴えているように感じてしまう。もっとも宮内庁はれっきとした役人であるのだから、役人が民間企業に対するやり方そのものといえば、実に当たっている。

「おたくの会社の某役員は、言うことが厳しいねえ。そろそろ、子会社の社長にでも送り出して、霞ヶ関から見えないところに追い出してもらいたいねえ」といったところだ。

「おたくの学校のA君だが、・・・」

もしかして、不登校の事実がリークされそうになって、あわてて自己防衛的に作文したのかもしれない。


では疑惑の第一に戻って、「校内暴力」について。

単に、入学時のフィルターが破れていて、悪ガキを入れてしまったのか。あるいは、女児がやや女王さまになっていたのか。実際に彼女が学校で、「○子ちゃん」と呼ばれているのか、「○子さま」と一人だけ「さま付け」で呼ばれているのかよくわからないが、もともと特別扱いされない下々の平民の生活を知るために、市井の学校に行っているのだろうから、こういうことも想定内ではないだろうか。

あるいは、既に学習院の定員をブルジョアジーだけで埋めようとしても、無理になっているのではないだろうか。歴史的使命は終わりつつあるということだろうか。


この小学校の卒業生の中で
天皇になられた方々:Taisho、Showa、Heisei
首相になられた方々:Konoe、Tojo、Aso、Y.Hatoyama

ウディ・アレンの夢と犯罪

2010-03-08 00:00:34 | 映画・演劇・Video
yumetohanzai3月20日から公開される「ウディ・アレンの夢と犯罪」を先行試写会で鑑賞。

まず、この題名(邦題)は、いただけない。「夢と犯罪」ではなく、「ウディ・アレンの夢と犯罪」である。くどい。

原題は「カサンドラズ・ドリーム」。この映画の冒頭と結末に登城する小型ボートの船名である。この船を手に入れる為に元手を投資したドッグレースの勝犬の名前を船名にしたのだが、教養のあり余っている方ならご存知と思われるが、「カサンドラ」はギリシア神話に登場する王女である。悲劇の預言者として有名だ。

このような暗喩的な表現が、映画のあちこちに登場する。英語民ではない私でも気付くことが多いのだから、英語原住民は、ウディ・アレンのブラックジョークをもっと楽しめるのだろうか(というか英語力の問題じゃないかもしれない)。

公式HPは既に存在するのだが、それを読まれると、かなりのネタバレなので、『映画』と『相撲』の充実さだけは他のポータルサイトを寄せ付けないgooから引用すると、次のようになる。


ウディ・アレン監督が『マッチポイント』『タロットカード殺人事件』に続くロンドン3部作の締め括りとして撮りあげた人間ドラマ。野望や冒険心を胸に秘めた男女が華麗なる上流階級の世界に足を踏み入れていった前2作とは異なり、今回の舞台は労働階級の人々が暮らすロンドン南部の街。新天地である異国の文化、風俗、風景を好奇心いっぱいに探検しながら、ニューヨーク時代から変わらぬ人生哲学を下敷きにした軽妙なドラマを紡ぐアレン節はますます快調に冴え渡る。そして、対照的な性格の兄弟を、ユアン・マクレガーとコリン・ファレルが演じる。(作品資料より)



三部作の最後ということは、英国から帰国して、また米国で映画を作るのだろうか。さんざんハリウッドをこきおろしているので、心配だ。

yumeto2そして、作品の方だが、やはり筋立てがすばらしい。途中の1/3のあたりで、予想も付かない方向に走り出す。すべての始まりは、雨宿りの木の下で始まる。実際は、「終わりの始まり」だったわけだ。これ以上触れると、露出度過剰になるのでやめる。



全体に感じたことだが、「ドストエフスキー」のパロディじゃないだろうかと・・


そして、主役たちが思い巡らせていた将来の夢が、「カリフォルニアのホテルオーナー」というのは、謎めいたイーグルズの名曲の歌詞の最後の部分と関係があるのだろうか。

”Relax said the nightman.
We are programed to receive.
You can check out any time you like.
But you can never leave.”


映画の後、思いついた格言
 
 「弱気人間とは仕事を組むな」
 「過去は忘れて、前向き人生」
 「懺悔人間に、『時効延長』無用」
 「夜道の公園は危険だらけ」


ところで、映画とは離れるが(離れていないのかもしれないが)、この「カサンドラズ・ドリーム号」は、機帆船である。機動(エンジン)でもあり帆船でもある。エコシップである。維持費が安そうなので、私も欲しくなった。瀬戸内海で海上タクシーでも始めるといいかもしれない。

広い意味で言えば、ペリー提督の黒船4隻も蒸気船でもあり帆船だった、とされるのだが、実際には4隻のうち2隻だけが蒸気船であり、残りの2隻は単に帆船。蒸気船に見せかけるために、帆を立てずに海中に沈めたロープで蒸気船と連結していた。よく見れば、2隻の距離がいつも同じなのだから見破れそうなものだが、子供だましに引っかかった。


実際に購入資金をドッグレースで稼ぐ前に、自家用船の船名を考えてみた。「沈まぬ太陽」の会社でも沈む時代だから、よほど沈みそうもない単語が必要だ。

「陸山丸」とか、・・

やはり、購入とりやめだ。

ジャックの塔

2010-03-07 00:00:56 | 美術館・博物館・工芸品
kaiko2横浜名物の一つが「三塔」である。

キングの塔は、神奈川県庁。クイーンの塔が横浜税関。そして、ジャックの塔といわれるのが、横浜開港記念会館にあるレンガ造りの時計塔。札幌の時計台よりも迫力は数倍上だ。

たまたま、この横浜開港記念会館のそばに行ったので、入場料無料につられて、建物の中に。この建物についての謂れが解説されていた。

大正6年に建築されたそうである。そして、6年後に関東大震災。特に横浜の臨海地区には、外国人や洋風建築が多く、その多くがレンガ造りであり、江戸末期からのほとんどの建物が瓦礫と化した。

たとえば、新規開店したばかりだった、ユーハイムのレストランや、花屋さんを開いたばかりのサカタのタネ。建屋壊滅である。特別損失。カールさんもサカタさんも瓦礫の山の中で命だけは助かった。下敷きになった人たちの物語はそこで終わりだ。

kaiko3この開港記念会館も大被害を受けたのだが、奇妙なことに、こわれて焼失したのは建物の方で、時計台の方は無事だった。

その後、昭和2年に再建され、大空襲の被害を奇跡的に免れる。戦後は米軍に接収され、米軍お抱えの映画館になる。その後、日本に引渡しが行われる。再度、大正初期の勇姿が戻ったのは平成元年である。

館内に残るステンドグラスは昭和2年の再興時のもので、横浜に入港する米軍のポーハタン(PAWHATAN)号を表現したものである。

まず、幕末のペリー黒船艦隊として、第二回目の黒船来航の時の旗艦船である。そしてこの建物のすぐ近くにあり名称が紛らわしい『横浜開港資料館』の場所で「日米和親条約」が締結される。

kaiko1そして、次の来航が日米修好通商条約締結のため。条約は、ポーハタン号の艦内で調印された。

さらに、批准書交換のため、日本側使節団は、咸臨丸とポーハタン号に分乗してアメリカへ向かっていったわけである。

そういうわけで、この艦船は、日本史には欠かせない一隻ということになる。なにしろ、今までに日米間の二国間で調印された重要な条約は、三つだけ。日米和親条約、日米修好通商条約、日米安保条約。その他は、多国間条約である。各種軍縮条約や降伏文書署名などだ。三つのうちの二つに関係しているわけだ。

ただ、なんとなく、その後、この建物が米軍に占拠されたり、マッカーサーが横浜のホテル(ニューグラント)を本拠地にしていたことなど、何かと因果がありそうな感じである。何しろ、横浜大空襲を免れ、ステンドグラスも無傷だったわけだ。

将棋界で最も長い日(付録:短い日の人)

2010-03-06 00:00:28 | しょうぎ
3月2日、順位戦A級リーグ戦最終第9局が行われる。1年間のまとめ。羽生名人への挑戦者1名とB級への降級者が決まる。NHKは衛星第二で1日三回にわけて実況中継。午前、午後、深夜11時からである。

午後の部を録画し、夜に早送りしてチェックしたあと、深夜観戦に突入した。

miuragoda1結果は、三浦八段が郷田九段を破り7勝2敗として、A級在位9年にして、名人挑戦権を得る。その他、挑戦者になる可能性を残した戦いが二局。谷川×高橋戦と丸山×佐藤戦。

まず、谷川×高橋戦。両者5勝3敗なので、勝って6勝にして、三浦八段の負けを待ってプレーオフのチャンスありだった。しかし、対局場に現れた高橋九段の服装がちょっと変だ。紺ブレザーに白の綿パンのように見えた。スーツでなくていいのだろうか。バンクーバー五輪エピソード1の、国母選手みたいだ。その心、不明だ。

かつて、大内九段が名人位を掌からこぼしてしまったのと同様、高橋九段も最終局を優勢に進めながらも自滅したことがある。燃えないわけはない。とはいえ、服装との因果関係は不明だ。

tanitaka1そして、局面は、受けの高橋が攻め、攻めの谷川が守るということになる。(木村×井上戦も攻守逆転指しだ)。どこがどう狂っていたのかわからないが、リーグ戦の途中まで大本命だった谷川が負ける。5勝4敗となったのだが、これで10人中6位となった。勝っていれば2位だった。何か、この1敗が、来年の大不幸の原因になるような予感がする。

そして、問題の三浦×郷田戦。郷田九段は、先日の竜王戦で寝過ごして不戦敗という大失態を演じている。もし、きょうも寝過ごしたら・・・かなりヤバイだろう。

しかし、テレビでみる郷田九段の顔色は、やや眠そうなのである。寝過ごさないために、前夜、眠っていないのだろうか。それも危険だ。

わたしの推定だが、きょうの対局に備えて、昨年の「一番長い日」のビデオを見て、挑戦者決定の瞬間を確認していたのではないだろうか。昨年の主役は自分だった。

戦いは、急に三浦八段が開戦した。切れそうで切れない攻めを繋げるも、反撃が始まる。最後は三浦八段が必死をかけたところで、郷田九段の王手ラッシュが来たが、詰まなかった(詰んでいたことが後でわかると、味が悪い)。

ところで、三浦八段だが、この八段という段位が珍しい。将棋界は、プロになると四段で、このA級リーグに這い上がると八段になって、運がいいと名人になったりする。とりあえずの新人棋士の目標として、「まず八段になりたい」ということになっている。

が、実は八段棋士は14人しかいない。九段位をバラマイタため、現役九段は24人いる。また七段は44名、六段が31人。五段が21人、四段は20人だ。つまり八段は最低人数なのだ。

三浦八段の9年間のA級成績だが、通算すると、40勝41敗。可もなく不可もない。最も降級の危機に近づいたのが、9年前の最初のA級リーグの時だ。第10位と一番下からのスタート。

実は開幕後3連敗。迎えた第四局は羽生。何と、貴重な1勝を得る。しかし、そこから3連敗。順位10位で1勝6敗では、ギブアップするところだが、最後の2局に連勝して3勝6敗とする。それでも大抵の年ではダメなのだが、幸運?があった。

2勝7敗が二人いた。先崎八段と加藤一二三九段。先崎八段は、まあA級の席料が高すぎたということだろうが、元名人加藤一二三九段の場合は、加齢との戦いということだったのだろう。たまたま、その時に降級したわけだが、その前年だったかもしれないし、その後の年だったのかもしれない。たまたま、その年に降級したため、三浦八段が生き残った(もちろん羽生戦の勝利は大きい)。

今回の名人戦だが、三浦八段と言えば「羽生七冠王を崩した男」である。もっともその時は棋聖戦5番勝負だった。七番あればたぶん負けたのだろう。

ところで、羽生さんだが、色々なタイトル戦で苦労中である。仮に全タイトルを失ったときにはなんと呼ばれるのだろう。『九段』とは呼ばないような気がする。本人が『引退』するであろう。しかし、タイトル戦で負けなくとも、スポンサーの新聞社が破綻してタイトル消滅ということは十分起こりうるかもしれない。

「タイトル戦対局料未払金債権については、債務者である破産新聞社の資産があまりにも小額であるため、『タイトル料は1万円、対局料は1局100円と認定いたします』。これにて破産処理は、一件落着!!」とか・・


ところで、「一番長い日」の裏側では「一番短い日」が行われていた。

まもなく引退する有吉九段である。竜王戦の対局で、開始後わずか17手で反則負け。16手目を自分で指した後、相手がトイレに立った隙に、17手目も指してしまう。つまり連続2手指しとなる。

どうも竜王戦、色々なことが起きる。


さて、2月20日出題作の解答。



▲2八金 △同銀成 ▲1七金 △同玉 ▲3五角 △2六桂 ▲1四飛まで7手詰。

初手▲1七金も魅力的だが、ちょっと届かない。さらに、本題の本当の作意は5手目以降。▲3五角ではなく▲5三角と気を利かすと△4四歩で参る。

さらに、▲3五角に△2六に合駒を打つと、1四の桂を取られて駒余りとなる。6手目の後手の桂逃げがテーマという、あまりにも情けない問題なのである。

あえて弁解すると、ある棋士から、「詰将棋の解答は、初手と最終手と手数だけを記せば、正解と判断できるのだろうか」と問い合わせがあり、その「反例」を作ってみせた、ということなのである。

動く将棋盤は、こちら

本日の問題。



あれこれいじっているうちに、何が主題なのか、わからなくなってしまった。かえって解きにくくなってしまったかもしれない。

わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

萬珍樓でランチ

2010-03-05 00:00:30 | あじ
manchinro1中華街には、年に数回行くが、週末にフラっと行っても、有名店には長い列ができている。

しかし、たまたま平日に、近くに所用ができてビジネスランチの機会を得る(というか、作る)。目指したのは、指折りの老舗で、かつ外観は堂々たる威容を誇る名店、萬珍樓 (まんちんろう)である。

一般的に、中華街でうまい店を探すとなると、「大きな店がいい」と言われている。よく、通は「隠れた名店」を探すといわれるが、それはそれで正解なのである。

なぜ、大きな店がよくて、さらに隠れた名店探しもいいのかというには理由がある。

まず、大きな店のこと。簡単にいえば、うまい店にはお客様があつまってきて、お金を落としてくれるから、店構えや調度品が高級になり、さらに優秀なコックを高給で引き抜ける。だから味=集客力=店構えということになる。

次に、名店探しの方。これも正しいのだが、二つの理由がある。まず、有名店の店だからと言って、誰の口にも合うわけでもない。もともと中華料理と言っても、広州、上海、四川、北京といった主だった種類のみならず、様々な調理法がある。すべてが口に合うわけでもないし、さらに好みの味は微妙に人様々である。

manchinro2さらに経済的理由もある。有名店でランチを食べる分には、驚かないが、ディナーを食べようとすると、驚愕のお値段になる。コース料理の定価が、お一人様12,000円からとか書かれていたりする。そういう時に、そこそこの味のお店を知っていると、夜でも5,000円以内とかで終結できる。

そして、お昼のランチなので、店構えの方で選ぶことにする。

創業は、明治25年だそうだ。古い。もっともライバルである聘珍樓(へいちんろう)の方は明治20年なので、これには敵わない。早慶戦みたいなものだろうか。この店も、休日には絶望的に混んでいる。

だいぶ前に来たことがあるが、その時よりもメニューの選択肢が減っているように感じた。コストダウンのために、効率化アドバイザーとかの入れ知恵なのだろう。メニュー選びは中華料理の楽しみの最初の一歩だ。妙なところの合理化はやめた方がいいと思う。

manchinro3そして、注文したのは、一品料理とソバである。

メニューの名前は覚えていないが、『グリーンアスパラと蟹肉のとろみがけ』。ソバは『野菜炒めと牛バラ肉のつゆソバ』ということになる。

「アスパラと蟹肉」は、大盛りで登場した分を小皿に取りつけてみた。

「つゆそば」の方は、うっすらとした記憶では、以前頼んだ時に「洗面器」のような丼がでてきたことを警戒して、事前に確認する。

何ら問題なし。

老舗の味は変わらず、量だけが変わったわけだ。

江戸300藩 殿様のその後(中山良昭著)

2010-03-04 00:00:06 | 書評
300han大作である。新書315ページではあるが、そこに江戸大名288家の末裔の消息を訪ねている。ある家は断絶、ある家は総理大臣になる。また、サラリーマンになったり政治家になったり。破産する者、交通事故で亡くなるもの。犯罪者もいれば、学者となる者もいる。

まず、著者が一体どうやって調べるのだろう、というところから労力を感じる。栄誉のエピソードは集めやすいが、不名誉の記録については一族の人間は語らない。聞いた話は事実かどうか確認しなければならないが、人の記憶なんてあやふやだ。

そして、実際には、多くの家は明治維新以来150年近く経過し、後継ぎもいなくなっている。殿様の頃は、江戸に本妻をおいても、地元には二号や三号を抱え、何とか子孫を作っていた。なにしろ男子がいないだけでお家取りつぶし。一夫一妻制度のモラルなんて後回しだ。

そして、時代が変わり、お値段も上がって、とても元大名貴族では愛人の維持ができなくなる。


また、旧大名というのは、江戸時代においては典型的な「資産富裕層」だった。明治維新後も一見富裕層だったのだが、「持つ富裕層」であっても「稼ぐ富裕層」ではなかった。その後、第二次大戦で資産価値は下がり、戦後は物価が上がる。高度成長とバブル崩壊という二度の資産ダメージが起こり、さらには高率の相続税制の結果、「持つ富裕層」は、もはや没落する以外なくなっている。

ただし、都心部に住んでいて通勤時間がほとんど必要のない名門一家だけは、あと100年後も今の地位を堅持しているのではないかと思われるわけだ。7~80年後までの当主も内定しているようだし、オリンピックのつど、一門の繁栄を祈願するメロディが流れることになっている。

縄文の思考(小林達雄著)

2010-03-03 00:00:16 | 書評
jomon超労作である。

縄文時代に生きた人たちの視線に立ち、考古学を超越して彼らの残した痕跡からその生活や思想、さらには信仰まで思いをめぐらせる。

現代日本では明治以降の中央集権的思想によって、封建制度のルーツである弥生時代から続いている現代の王権とそのピラミッド社会の中で発生した文化を総称して『日本文化』としているのだが、弥生時代とは大きく異なる社会である縄文時代人あるいはアイヌ人の文化をもって、『源日本文化』と考えている。

例えば、縄文式土器。

岡本太郎も縄文土器を見て、高い芸術性を感じたのだが、普通に使われていた土器にも、まったく使用上無駄というよりも邪魔になるような大きな装飾された突起が付いている。もはや器ではなく、芸術である。その後、日本ではシンプルな実用陶器の世界に向かう。

さらには、住居の中におかれた『炉』。実は、この炉も食料加工用にはほとんど使われていなかったらしい。調理は屋外だった。では、炉は何のためにあったのか。

一家の象徴ということだそうだ。何世代にもわたって囲炉裏の火を消さないという文化は、ごく近くまで日本に残っていた。

そして、祭壇。

一体、誰に何を祈っていたのか。

さらに、犬と猪。

明らかに飼っていたようだ。ただし、犬は人間とほぼ同格として、愛玩の対象ではなく、仲間として価値観を共有していた。猪は食用だ。


一般に、縄文時代を追いやるようにして弥生時代が到来したかのような説が多いが、今をときめくアングロサクソン系の人たちは、まさに縄文時代人と同じような生活を過ごしていたのだろうか。

新型マスク

2010-03-02 00:00:40 | マーケティング
花粉症の季節がきた。憂鬱の始まりである。

今年は昨年の10分の1の飛散量といわれているのだが、だからといって被害が10分の1になるわけじゃなくて、2分の1ぐらいになるのだろうか。

憂鬱の中にも毎年登場するのが、新型グッズである。

mask1今年登場したのは、インナーマスクである。

マスクと言ってもずいぶん小さい。鼻の中に詰めるタイプである。

鼻の穴に詰め込むタイプ。プラスティックの網に薄いフィルターで張り付けられていて、これが花粉を99%シャットアウトするそうだ。99%というのが、ちょっと・・

少し漏れても、『1%分』という言い訳なのだろうか。

左右のネットが小さなブリッジでつながっている。

3枚というか3個で約500円で、洗って3回使えるということになっている。

何がいいかというと、ゴルフの時に便利そうだ。マスクだと足元が見えにくいし、何しろ、あまりマスクのプレーヤーを見たことはないし、ゴルフ場には花粉で赤茶色に変色した杉の木がゴマンと生えている。

ゴルフに限らず、屋外活動にはシチュエーション的に非常に良さそうな感じだ。

ただし、鼻水を防止する機能はないと明記されている。だから、くしゃみが始まってから鼻に詰め込んでも手遅れ。もちろん、どこかの国の国籍でオリンピックに出場した選手が競技中に鼻血を出した時にも役に立たない。

しかし、・・

鼻の穴の大きさや形は、人によって千差万別。どうなっているのだろう。確か、テレビでお笑い芸人に転身した森泉さんが使っていたのを見たのだが、彼女は巨穴派ではないだろうか。どちらかと言うと私もそちら側。

マスクはフリーサイズと書かれていて、奥の方に押し込めばいいと書かれているが、奥の方が広いのではないだろうか???


で、ゴルフ場で醜態を演じる前に、一回使ってみた。

やはり、どうやってもフィルターの周りが隙間だらけになる。奥に押し込んでも同じだ。何となく形も違う。我慢して一日使ってみたが、雨がちの一日だったので、果たして効果があったのかどうか、よくわからない。

使用後、洗ってみたのだが、無理に奥まで押し込んでいたため、全体が変形してしまい、とても二回は使えそうもない感じだ。

さらに、大幅かつ根本的な改良が必要な感じだ。

リコールしたり、社長が泣き出したりしないのだろうか・・