琉球王国の城(DVD)

2009-04-15 00:00:48 | The 城
naha城ファンではあるが、日本の城にあきたりず、琉球の城ってどうなっているのだろう、とDVDを観る。税込500円のDVDだが、よくまとめられている。

まず、城は「しろ」ではなく「グスク」と読む。

そして城跡の数が多い。本島だけに約200ヵ所と言われている。その多くは1200年代から1600年代のものであるから、本土の城よりも古い。

なぜ、多いかと言うと、戦闘行為を行ってきたから。

沖縄本島の北部(北山)、中部(中山)、南部(南山)といった地域ごとに王がいて、争っていたらしい。三山鼎立時代というそうだ。

多くの材料には石灰岩が使われている。結局は中山の王が統一することになる。その中心地が那覇である。

naha甲子園的トーナメント方式の頂点にたったのが、首里城で沖縄サミットと同タイミングで再建された。昭和初期には、この首里城一帯もすべて古来からの建物が残っていて、写真も多数あり、ほぼ新築時のとおり再建。地面がちょっと違うようにも思える。

そして「新と旧」の対比として島内の古城も徐々に整備が進んでいるようである。

が、いかんせん敗者である南山、北山地方は、その複雑な歴史すら失われそうになっているそうだ。いわば、アテネやインカのように失われた文明を調査する必要性を少し感じる。

城址がさらに崩壊したのは戦後、石灰岩でできた沖縄の石垣が、建築資材に好んで使われたかららしいが、それはセメントの原料になった、ということなのだろうか。汗水流して石垣を組んだ古代人のことが、頭になかったのだろうか。

ご先祖なのに・・


nahaそして、DVDを観ても、昭和初期には存在した首里城の数百年前オリジナルが、何らかの原因で消滅してから現在の首里城に再建されたのか、単に、「古い物はバッチイから新品に建て替えましょう」という思想だったのか、よくわからなかった。どうしよう・・

大名の子孫とも言い切れない新知事

2009-04-14 00:00:44 | 歴史
秋田県知事選挙は、ねじれ選挙の結果、佐竹敬久氏が当選したが、公約を次点候補のそれと比べてみても、ほぼ同じように感じた。というか、まったく同じではないかと思う。産業振興と若干の農業振興と弱者救済。公費削減と増税回避。すべての公約と同じで、実行できるかどうかは、『未来の話』である。

そうなると、一体、どこが勝敗を分けたのかと言えば、秋田市長であった安心感と、あとは「秋田の佐竹」という旧大名家の氏素性ではなかったのだろうか。遡って、秋田市長になっていたのも「佐竹氏」であったことが有利に働いていたとすれば、極論すれば、「藩主の復活」ということ。

しかし、血筋をたどれば、同じ佐竹であっても、敬久氏の流れは大名家と言い切れないところがあるのだ。佐竹北家だそうである。つまり、元々は佐竹の直流であったのだが、分家し、佐竹北家をつくり佐竹家の家臣となっていた。その後、明治維新の後、本家が五段階貴族(公侯伯子男)の上から二階級目に座ることになった余禄で家臣の佐竹北家はぎりぎり男爵の椅子を得る。佐竹本家の侯爵は鍋島(肥前)、山内(高知)という維新の主役と並ぶ大優遇措置である。その高評価は何であったのか。


佐竹氏を遡ると、源頼義に辿りつく。武家としての家柄は最高クラスである。平安時代後期には茨城県を支配していた。しかし、佐竹家の最初の失敗は源平合戦の第一ラウンドの治承・寿永の乱で、源氏の出なのに平家を応援したこと。その後、源頼朝による勝利が確実になると、一変して擦り寄るも、領地を取り上げられ、一介の幕府の家来となる。鎌倉時代は泣かず飛ばずの苦悩の時代である。

そして、室町時代に入るときには、運よく関東の雄、足利尊氏に取り入り、鎌倉府の重職を得るも、しょせんは足利脆弱政府の役人であり、勢力は小さかった。そして、ついに戦国時代になり、手段を選ばないダーティ手口で、競争相手を滅ぼし、茨城県全域を支配することができる。とはいえ、北に伊達氏、南に里見氏、西に北条氏、東は海だ。

大きく情勢が動いたのが秀吉の北条攻め。秀吉側について大成功。ついに50万石の大大名に到達。所領は茨城県が中心である。そして、成功の次には失敗が待っている。関ヶ原の戦いでは、当初、態度を明確にせず、後になって徳川側につく。徳川からの勧誘レターに喜んで応じたことが、単なる見せかけと発覚する。石田三成との二股交際レターが当主の目の前につきつけられたのは、呼びつけられた家康の面前だったとなれば、いいわけ無用である。そのまま秋田20万石に格下げである。年収1000万円のサラリーマンが地方の子会社で年収400万円になるようなものである。

もっとも、取り上げられた茨城県は、水戸徳川家に与えられたのだから、嵌められたようなものかもしれない。

そして、次のターニングポイントが幕末である。東北諸藩の多くが幕府側について、木っ端微塵になったのだが、佐竹氏では藩内の意見が二分されたのだが、藩主が倒幕を宣言。ところが、薩長軍が東北に到達するまでには、長いタイムギャップがあるので、あちこちで苦戦を強いられ、滅亡寸前に追い込まれる。ここで、家来もろとも佐竹家が滅亡していれば、秋田県知事選挙の結果は異なっていたのだが、やっと救援軍が到着し、危地を脱する。

これで、20万石の倍増や運よければ再び茨城の地に帰れるのでは、という大きな期待は、夢のまた夢ということになる。わずか2万石の加増と、名誉としての候爵位である。要するに、負けた藩を取り潰さなかったので、加増の財源がなかったわけだ。

困ったのは、巨額の戦費を外国商社から借金した藩の方である。その後、勝手に貨幣を鋳造するなど、秋田県では中央に対する反抗的な気分が残ったのである。

そして、新藩主(いや、知事)のオセロゲームは白?黒?

間違っても、天守閣再建というような野望は考えない方がいい。もともと天守閣はなかったのだから。

野球ネタ×2

2009-04-13 00:00:38 | スポーツ
1.僕のボール、返して!!!

宮崎アナ、貰ったウイニングボール捨てちゃった2009年04月10日08時40分 / 提供:Sports Watch

プロ野球選手と女子アナウンサーの交際は多い。4月7日に放送した日本テレビ系列『踊る!さんま御殿』では、今春から始まる新番組『サプライズ』の番組宣伝として、山中秀樹、脊山麻理子、宮崎宣子ら日テレ・アナウンサー陣がゲストで出演。先輩・山中アナは、かつて宮崎アナが巨人(現・北海道日本ハム)の左腕・林昌範と交際した後に破局をした、その別れ際を暴露した。

「“なんてハートのないヤツだ”と感じるとき」をテーマに、さんま&ゲスト陣の軽快なトークが繰り広げられる中、脊山アナは、宮崎アナが“彼氏と別れると、交際中に貰ったプレゼントを全て捨てる”というエピソードを披露。宮崎アナが赤面すると、傷口に塩を塗るかの如く、山中アナは「ハートのない話だと、(宮崎宣子が)巨人の選手と付き合っていた頃、初勝利のボールを貰ったんですが、別れちゃったんですよ。そしたら、悩んだ訳です。これは燃えるゴミなのか、燃えないゴミなのか」と、当時交際していた林にプレゼントをされたとされるウイニングボールを破棄すべく、ゴミの分別で悩んだ過去を明かされてしまった。続けて、山中アナが「(結局)燃えるゴミで出したんだよな?」と尋ねるや「だって、布じゃないですか?」と苦笑いを浮かべた宮崎アナであった。


巨人の林というのは、林昌範投手のこと、あの二岡選手と一緒に日ハムにトレードになっている。そして、2007年には、テレビ東京の亀井京子アナと結婚されたそうである。亀井アナから、「初勝利のウイニングボールを見せてほしい」とか、言われなかったのだろうか。ちょっと心配。

あるいは、二股交際発覚で、「怒りのボール捨て」ということだったのだろうか。

いずれにしても、大切なボールを他人に渡すときは、データバックアップと同じだ。「コピーをとっておくこと」。あるいは「コピーの方」を渡せばいい。


2.不調の理由

上原「大リーグ初勝利」のウラ
 小倉「(不調は)自分で演出して…」2009/4/ 9

<テレビウォッチ> 今シーズンからMLBのボルチモア・オリオールズに移籍した前巨人の上原浩治投手が初登板。「最新の映像が入ってきました」と中野美奈子アナが伝えると、「オレね、上原気になるんですよ」と司会の小倉智昭。

とくダネ!家の主がそうのたまうのだから、とくに野球に関心なさげな出演者からも異論など出る幕もなく、映像は即ボルチモアのボールパークに切り替わる。

対戦相手はNYヤンキース。気になる松井秀喜野手との2度の対戦は、上原が無安打に抑えた。放送時点の4回裏まで進んでいた試合は、オ軍が大差でリード。上原の勝利の可能性が高かった(その後、上原は5回で降板、勝ち投手となった)。

「ほお~」とますます興を覚えた様子のオグラが巨人ファンの芸能リポーター、前田忠明にコメントを求めると、「いやあ、こんなにやるとは思わなかった」。限界説もささやかれた昨シーズンの不調ぶりが印象に残っているのか、「いや、ハラ(監督のことらしい)がなあ……」。とにかく、ぶつぶつとこぼしていた。

オグラは番組のエンディング時に、上原の話題を蒸し返した。やはりオグラは見抜いていたようだ。「オレ、上原って、一シーズン(昨シーズン?)は自分で演出してダメになってたと思うんだよね」


同様の疑惑を持たれているのが、野茂英雄。

野茂の日本在籍の5年間の成績(1990年18勝8敗、1991年17勝11敗、1992年18勝8敗、1993年17勝12敗、1994年8勝7敗)
ドジャーズでの成績(1995年13勝6敗、1996年16勝11敗、1997年14勝12敗)

米国のスカウト陣も大変だ。本当に不調なのか、演出不調なのか。

牽制球の方がボールが速かったら、動かぬ証拠ということになるだろう。あるいは、英会話の勉強とか・・

海賊展

2009-04-12 00:00:49 | 美術館・博物館・工芸品
kaizoku横浜市歴史博物館で5月10日まで開かれている「海賊展」のこと。この場合の海賊とは、東京湾の海賊のことである。と言っても防衛大臣のオヤジのことではなく、戦国時代の海賊のこと。

ところで、海賊話といえばソマリア沖の海賊退治。自衛隊がやっと出動した。この件についていえば、単に海賊退治と割り切ってしまえばいいのだと思う。実際、日本関連船という妙な単語を編み出したり、武器使用のマニュアルとか作っているようだが、だいたい、相手は海賊で無法者もいいところである。例えば、行きすぎた攻撃をしたといって、どこかの国と戦闘状態に入ったり、どこかの国の顔に泥を塗って将来への遺恨を残したりすることは、まったく考えられないわけだ。単にソマリア政府が解体してしまい、正規沿岸警備隊が海賊化しただけである。背後関係なし。堅いこと言う必要はないだろう。

というように、とかく海賊は嫌われるだけである。展覧会をしても、海賊礼讃調にはならない。それよりも、海賊の歴史を調べること自体が難しいはず。都合の悪いことは歴史から消されることが多い。

たとえば、東アジア史上、忌み嫌われていた「倭寇」。元々は日本人だったのだが、そのうち「ニセ倭寇」が多発することになる。半島人であるが、そんなことは間違いなくあちらの歴史書には書かれていないだろう。だいたい歴史の始まりが日韓併合からだったりする国だ。

わが国では瀬戸内海賊。例えば、しまなみ海道にあたる伯方島。地元の人は、工業の町というが、島の最高地には「ふるさと創生1億円制度」で作られた、伯方城ならぬ海賊の砦が復元している。本当は海賊の島で、歴史を覆い隠そうとしていながら1億円の公共事業に目がくらみ、海賊砦を作ってしまった。

そして東京湾の海賊だが、小田原の北条早雲による関東統一に関係がある。東京湾西側の東京・神奈川は北条方勢力が支配し、東岸の千葉は里見氏の縄張りだった。両者は市川のあたり(つまり東京湾の最も奥)で何度も地上戦を戦っている。その二大勢力は海上でも激突している。

北条側は伊豆国や紀伊国から傭兵として山本氏や梶原氏がやってくる。一方、里見側は、正木氏や安西氏などこちらは内房地区の漁業関係者の出が中心である。

そして、両者は抗争をつづけ、沿岸の漁村の人々は、両者に上納金を納めることによりなんとか生き延びていた。

そして、結局は、劣勢だった里見氏が、秀吉による小田原攻めでは秀吉側についたことで、逆転勝利。とはいえ、江戸時代になって、お取りつぶし同様の仕打ちを受け、鳥取県の倉吉においやられてしまうのだった。

カニバリズムモデルかな

2009-04-11 00:00:33 | しょうぎ
将棋世界誌の発行が日本将棋連盟から毎日コミュニケーションズに移る。将棋連盟の出版部が廃止になるからだ。これをもって、「選択と集中」というべきか、単に「合理化」というべきか、よくわからない。

事業資源を集中すべき分野があって、不採算部門を整理して資金や人間を収益分野に集中するのが「選択と集中」だが、収益部門がないのに不採算部門を片付けるのは「合理化」とか「リストラ」と言う(本来、「リストラ」というのは再構築を意味するはずだが、米国でも単に首切りのことを「リストラクチュア」と言ったりするようだ)。

また、本日の表題の「カニバリズム」だが、蟹をバリバリ食べることではなく、源語は「人食い」のこと。転じてビジネス上は「共食い戦略」を指す。「共食い」にもいくつかに分類され、たとえば「安い製品を出したら、高級品が売れなくなった→小型パソコン、第三のビール」、「今年売れた商品が、来年の売上げの阻害要因になる→ユニクロ」、「ネットでニュースを配信したら、新聞が売れなくなった」「休日割引を始めたら平日の売上げが落ちた→ゴルフ場」。「新しい路線が開通したら古い路線の売上げが落ちるだけだった→某私鉄」などである。

主に、市場が飽和して、さらに簡単には利益を得られない状態のときに起こる。

そして、将棋世界誌のことを考えれば、「週刊将棋(毎日コミュニケーションズ)」が始まったことにより、売上げが落ち始めていた、と聞いていた。しかも、最近は週刊将棋も売上げ減少中と聞いていた。原因はわからないが、ネット中継のせいかもしれないし、翌日にはプロ棋戦の結果を連盟が公開している。影響は大きいのだろう。

週刊将棋と月刊将棋世界というのは、今まで別会社が発行していたからこそ存在していたのであるから、今後、同一社内で並立させるのは難しいのではないだろうか。

私見だが、「将棋世界」は保守的過ぎるのである。数十年前から抜本的な変更はなし。狙っている読者層はよくわからない。多くの層を一種類の雑誌でカバーしようとするから、読む気にならない記事が多すぎる。したがって割高と感じて売れないし、売れないから書店にもならばない。

実は、今月は一冊買うつもりで、大型書店を何軒か回るも、どこにも売っていない。これでは、全国数ヶ所の書店を除き自宅配送している「詰将棋パラダイス」と同じような状態である。最初の一冊を買うのにも大苦労である。どこの書店で売られているか公表してほしいところである。実はしょうがないので図書館に調べに行く。調べにいたのは、最近はじめた「詰将棋サロン」への創作投稿先の確認なのだが、

確認すると、昇段コース以外の郵送先は毎日コミュニケーションズになっている(昇段コースは手放さないのだろう)。詰将棋サロンの郵送先も変わっていたのだが、実はもっと大きな問題があって、あて先を控える必要がなかったわけだ。

選考基準が発表される。

いまさらながら、詰将棋の選考基準が発表になっていた。きわめて意外である。どうも近代将棋が廃止になってから、詰将棋を作った人が将棋世界への投稿に切り替えたのではないだろうか。選者の気に入らない問題が大量に届くようになり、「それでは発表しておくか」ということではないだろうか。

その基準を読んで、唖然としてしまった。まったく基準はずれの作品を投稿していた。こんな基準だ。

1. ペンネームは認めない。
2. 初型は10枚前後とし、最大で12枚とする。
3. 持ち駒は、5~6枚までとする。
4. 配置は、6×6以内とする。
5. 双玉はきわめて狭い門で2年間に1作だけ。
6. 入玉もきわめて狭い門で、月間2問まで。

ということは、私の持っている以下の自主基準とは大きくことなるわけである。

1. 本名は使わない。
2. 使用駒は手数+1枚までとする。7手詰なら8枚以内。
3. 持ち駒は少ないほうがいい。特に、1枚が好ましい。
4. 配置はなるべく盤面の中央とする。
5. 入玉・双玉大歓迎。

つまり、お呼びじゃなかった、ということだった。

気分を捻じ曲げて、基準に合わせることは可能だろうが、まあやめておく。

頭の固い人たちの最大の欠点は、他人の言うことを聞かないために、そのうちに忠告する人もいなくなることだろうか。


さて、3月28日出題作の解答





▲4二飛引成 △3二香▲ 3三飛成 △1一玉 ▲3一竜 △2二香 ▲同竜 △同玉▲2三香 △3一玉 ▲2二香成 △4一玉 ▲3二竜 △5一玉 ▲5四香 △5三角(途中図1) ▲同香不成 △6一玉 ▲5一香成 △同玉 ▲6二角 △6一玉 ▲7一角成 △同玉(途中図2) ▲4六玉 △1七香成 ▲7二金まで27手詰

途中の△5三角が受けの巧手である。

が、さらに角を取ってから罠を打ち破かなければならない。最後は、ちょっとあっさりがっかりかな。

動く将棋盤はこちら

御室桜には一歩早かった

2009-04-10 00:00:26 | 歴史
sakura1日頃の不信心のせいか、正確に自分の宗派を知らなかった。真言宗なのはわかっていたのだが、色々調べてみると、真言宗は、約10程度の派に分かれているそうだ。そしてその中の「御室(おむろ)派」だということだそうである。

どうして、同じ真言宗なのに分派したかというと、密教が難しすぎたからだそうだ。空海は、当代切っての天才少年だったそうなので、彼の思想が弟子に完全に理解されなかったのだろうか。だから、後世、各派に分かれたのではないだろうか。(勝手なことを書くと、天罰が下りそうだ)

真言宗御室派の本山が京都にある仁和寺(にんなじ)。平安時代から有名な寺院だ。宇多天皇の時に完成し、天皇は後に法皇として、この寺に住んだとされる。宇多天皇はこの寺を有名にしたほか、別の神社の大恩人でもある。諫言により無実の菅原道真公を福岡の大宰府に追放。おかげで彼は学問の神様に崇められ、受験シーズンには全国の天神様は大儲けの図である。

さて、今までに京都の名山の多くには行っているのだが、仁和寺は交通の流れが悪いこともあり、未踏の地だった。罰あたりである。近く行かねばなるまい、と思っていた。何しろ、仁和寺に行かずに高野山とか比叡山とか行ってはいけないような気がしていた。

そして、この仁和寺の名物と言えば、『桜』である。時は満開のソメイヨシノだけではなく、稀少な種である「御室桜」の群生地である。

たとえば、早咲きの桜と言えば「河津桜」が有名であるが、この「御室桜」が有名なのは、逆に「遅咲き」。ソメイヨシノが終わった頃に開花する。


sakura1つまり、ソメイヨシノのピークが終わった頃に行けば、両方とも咲いている状態を観ることができる可能性もあり、逆にどちらも咲いていない可能性もあるはずだ。

しかし、ちょっと後ろ向きの仕事が忙しくて、ちょうど花見のシーズンの今、時間を取ることができそうもないと、今年の花見はあきらめていた。

が、

突然、近くに仕事ができた。


仕事上の関係のある会社の関係者のことで、ある場所に単色のネクタイと封筒をもって行き、ノートに名前を書いて、夜と昼と各1時間ずつ、椅子に座っている仕事である。

ということで、時間があり余ってしまうので、自然と仁和寺へ足が向かってしまったわけだ。

まず、京都駅から山陰線に乗る。人生初の山陰線だ。ちょっとさびしい電車である。戦後の引揚船は舞鶴港に帰ってきたそうなので、この線で京都まで帰ってきたのだろうか。そして、行くあてのある人は東海道線に乗り、行くあてのない人もとりあえず東海道線に乗る。

花園駅で降りて徒歩15分。ところが道を迷って古墳の中を歩くことになる。枯葉の下で小動物がうごめく音が聞こえるのだが、眼を合わせないように上を向いて歩く。

そして、仁和寺に到着し山門をくぐると、さっそく満開をちょっと過ぎたソメイヨシノがある。そして、お目当ての御室桜はというと、・・・

sakura1ほんの数日早かったわけだ。膨らんだ蕾である。しかし、ちょっと見ただけでは、何一つ咲いていない。地元のガイドの人はがっかりしている観光客に、「あと3日ですね。つつじは満開ですけど。」となぐさめにならない言葉をかけている。

御室桜はまとまって約200本が植えられているのだが、やっとの思いで、全体の0.1%の気の早い桜の枝を見つけたのである。

この桜の花びらの白色のことを「オムロ・ホワイト」というそうである。なかなか美しい色合いである。ソメイヨシノの白にはピンクの中にほんの僅かに光沢があり、見る者の心を覚醒させるのだが、オムロホワイトは、あくまでも柔らかな色調である(といっても、残り99.9%の蕾が一斉に開くと別の色なのかもしれないが)。


ところで、仁和寺と言えば、吉田兼好が著した『徒然草』の中にさまざまな逸話が登場するのだが、この吉田兼好は、私が迷い込んだ双ヶ岡古墳群のある雙ケ岡丘陵に山荘を建てて住んでいたそうである。家を建てるなら夏向きがいい、とか書いたのだ。そして、坊主の悪口。よほど仁和寺の坊様とは不仲だったらしく、自分の墓石も置かせてもらえなかったそうだ。

sakura1彼の人生を振り返ると、神主の家に生まれたものの、武士になり、そのうち出家して兼好法師と名乗る。法師ならば宗派はどこか知りたいが、よくわからない。たぶん、仁和寺とは喧嘩ばかりして、うさばらしに『徒然草』を書いたのだろうか。晩年は権力者になびいたりしている。西行法師のように漂泊するわけでもなく、結局、「何にもなり切れない人生で、一冊の著書だけを残したエッセイスト」ということになるのかもしれない。

横浜には駐車場は、ないですから

2009-04-09 00:00:44 | マーケティング
highway高速道路が「1000円乗り放題。ただし、ガソリンは使った分は有料です」方式は、宴会で、「3000円食べ放題、ただしアルコールは別」というのと、本質的には変わらないだろう。

横浜に住んでいて、「さて、どこに行こうか」と考えても、さっぱり思いつかない。箱根に行こうとすれば、厚木インターか御殿場インターで降りるのが普通だが、それでは、メリットは極めて少ない。伊豆の方は高速がない。

静岡に行っても特に横浜より行きたいわけじゃないし、かといって東京の北に行くのも厄介だし、よく考えれば、「横浜」自体が観光地なのだし、時間があれば行きたい場所も、横浜市内の方が多い。例えば、中華街にフカヒレを安く出す店が現れたり。

ところが、簡単に行けないのは、横浜市内には慢性的に駐車場が不足していること。それと、運転したら老酒を飲めない。酒なしの中華料理なんて、かなりもったいない話だ。

ところが、GWになると、一律1000円をいいことに、名古屋・静岡・山梨方面から中華街にやってきそうである。地元の人でも駐車場がないのに、これ以上増えたらどうなるのだろうか。

さらに中華街にもっとも近いインターは、首都高横浜線「横浜公園IC」であるのだが、ここが難しい。下の道も一方通行だし、高速道路は、その周りがあちこちに分岐になっていて、東名方向に向かおうとしても、うっかりすると横須賀に行ったり、東京に行ったり、千葉県に行ったりしてしまう。

かといって、中華街の周りを何回周回運転しても、メシは食えないし、近くには日本三大ドヤ街もある。

本当は、比較的あいている駐車場もあるのだが、混むと嫌なので、教えないことにする。どうしても中華が食べたい人は神戸か長崎に行った方がいい。

また、あわててETCを取り付けるような人がカーナビを付けているとも思えないが、カーナビがあっても簡単じゃない。なぜか、横浜には変な地名がある。例えば、軽井沢。茅ヶ崎。

一方、同じ横浜でも、青森県の下北半島には横浜町というのがある。つい最近まで村だった。そこまで1000円で行ったら大もうけだ。空気はきれいで魚は旨い。対人関係に疲れた人にはちょうどいい。近くに原発もあり、恐山に行けば先祖と話をすることもできる。上空をミサイルが飛び越えることもある。

早くも流行語大賞予測

2009-04-08 00:00:58 | 市民A
まだ、3ヵ月強ではあるが、いくつかの流行語大賞候補が登場。

1.侍 ・・・ もちろんWBC。五輪の時は、監督名がJAPANの前についていたが、さすがに「それは変だ、野球は選手がするのだから」という当り前のことに気づいたマスコミが侍ジャパンと命名。しかし、まだサッカーは監督の名前がJAPANの前についている。ただし、野球は武士道的な試合はしなかった。武士の風格の藤川なんか途中で見切られていた。サッカーの方が、質素な得点の試合をしている。

2.飛翔体 ・・・ まったく聞きなれないことばだ。飛翔というのは鳥か飛行機のように翼のある物体を指し、ロケット系には使わないのではないだろうか。一歩譲っても、「飛翔物体」というべきではないだろうか。飛翔体という言葉がもっとも似合うのは「スーパーマン」だろうか。

3.誤探知 ・・・ 誤情報が出没しなければ、この単語が世に出ることはなかった。意味不明の言葉であるが、戦争のはじめには、こういうことから勃発することが多い。源平合戦でも水鳥の羽音とか牛の角に松明とか、そういうのが勝敗に影響したとされる。結構、危険。

4.昭和くさい ・・・ 甲子園のエースが、負けたチーム(掛川西)にダメ押しの暴言ブログ。準エースには飲酒疑惑も発生。さらに、この事件を騒ぎ立てたスポーツ紙の親会社の中堅新聞社の社長は掛川西出身との声。そういえば、甲子園の出場選手は平成生まれなのですねえ。

今後、「裁判員制度」「篤姫離婚」「総選挙」あたりで、新語登場なのだろうか。

歴史時代書店『時代屋』

2009-04-07 00:00:57 | マーケティング
jidaiya1若い女性の歴史ブームは本物なのか、あるいは単に一過性で『篤姫』の記憶とともに壇ノ浦海面のあぶくのように消えてなくなるのかよくわからない。歴史上に名前を残した有名人物は、何らかの実績があるからで、それなりの豪勇さがあるからこそ有名なのだから、女性に人気があるのも当然なのだが、歴史の本格的なファンは、個々の英雄よりもその英雄を取り巻く無名の庶民に目を向けるのだが、歴史ブームがその段階まで深化するのかどうかよくわからない。

ともあれ、ブームの発信地の一つである歴史時代書店『時代屋』に行く。以前、川崎の支店でポイントカードは作っていたのだが、神田小川町の本店の方ははじめて。神田の方で、「伝説の黒トンカツ屋」探しを続けているので、そのついでに。

まず、一階は書店。といっても95%は歴史の本。歴史小説の文庫のような軽いものから歴史研究のハードカバー箱入りの専門書まで。時節柄、半島北部の現代史とか山積み。もちろん、取り揃えられた半島北部物の平積み表紙を見ていると、『開戦前夜』・『ジョン、討つべし』的な論調が多い。景気がいいが、これから核兵器搭載の攻撃用ミサイルを買い揃えるには、時間とおカネが必要だろうが。

普通の書店だと、書店の中に歴史コーナーがあって、5分ほどながめていれば済むのだが、何しろ、書店中が時代劇である。よく考えると、例えば時代小説といっても、ほとんどドキュメンタリーという書き方の作家もいるし、歴史の脱魂換骨、脱骨換魂みたいな作家もあるし、NHKと組んで、勝手に歴史学者になりすます人物もいる。歴史とは関係のないミステリを江戸の町に展開する作家もいる。

歴史考証とか硬いこと言わずに、「風雲、葉一郎の乱暴狼藉日記」とか書き始めればいいのだろうか、な。

結局、本気で買い始めると、数百万円の買い物になりそうなので、「歴史読本:日本の名城(残存12城特集)」と500円のDVD「今蘇る戦国絵巻17・琉球の巻」の2点だけにしておく。ポイントは少し増えた。

jidaiya1そして、二階。途中に階段の形状の異なる段があって、足を踏み外さないように注意が必要だ。忍者対策らしい。二階は主にグッズコーナー。Tシャツなど。窓際には喫茶室があるが、煙がもうもうと漂っていて、近寄れない。

さらに、階段の裏側に秘密の小部屋があって、武器の取引が行われている。

といっても、一目でおもちゃとわかる刀剣、兜で、まあ安物である。本物だと、本屋では売れない。その武器庫のなかで、唯一、本物に近そうなのが「手裏剣」。刃は付いていないものの、ほぼ色合いも形状も本物の歯車型である。ディスプレーも発泡スチロール製の頭部模型にグサッと突き刺さっていて、380円の値段のタグの他に、注意書きが付いてる。

「危険!!投げるな!!」。

しかし、手裏剣を買って、試しに投げない奴がいるわけないじゃない。

最近、日本も物騒なので、護身用に1ダース買いおきしておこうかと思ったのだが、『手裏剣の投げ方』のDVD(5600円)も買うと1万円を超えてしまうので、次回、軍資金を用立てしてからにする。

ところで、この書店、店員のことを「奉公人」というそうだ。店長は殿様の気分になれるのだろうか。セクハラの温床?

伊藤元重学部長、不況脱出法を語る

2009-04-06 00:00:29 | 市民A
2697e173.jpg伊藤元重氏は経済学者である。普通なら伊藤元重教授と書けばいいのだろうが、現在は東京大学経済学部学部長である。学部長というのは、偉い肩書きなのだが、この職をやっていると、教授の仕事は殆んどできなくなるのだろうが、大丈夫だろうか。私の書棚にも一冊、経済学の教科書的な一冊がある。結構、今は、大学の教科書にも使われているのではないだろうか。オバマ政権の要職であるローレンス・サマーズのおじさんであるサミュエルソンの『経済学』もいいと思うけど、いささか古くなってしまった。

さて、その伊藤教授の講演を聴くことになった。一応「経済リポート」という題名であるが、昨今の事情からいって、じっくり経済学の勉強をしようという人はあまりいないだろう。リーマン・ショック以降の世界同時不況の影響と、脱出への道程が知りたい人ばかりだ。

まず、文豪トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭の言葉から始まる。

「幸福な家庭はみな一様に似通っているが、不幸な家庭はいずれも、とりどりに不幸である。」

この言葉を、国の経済にあてはまると、こういうようになる。

「経済がうまくいっている時には、すべての条件が整っているが、条件が一つでも欠ければ、経済成長モデルは崩壊する。」ということ。

つまり、経済システムのすべてが悪くなくても、一部が壊れただけでも大不幸に陥ったりするわけだ。現在は、日米欧それぞれ抱える問題が違うというのが現状と見ているとのこと。

日本:最大の問題は企業、特に輸出企業にダメージがあること。

米国:金融、ビッグ3以外の基本的な産業構造は健全だが、消費者が痛手を追っている。

欧州:問題は根深い。EUが中核国から拡大をしてきた過程で新規加入した国の経済がダメージを受け、他の国がそれを負担するようなことになっている。

次に、景気回復までの期間は、「かなり先だろう」とのこと。理由は、「山高ければ谷深し」と、やや経済学的じゃないが。

世界経済のキーポイントは「米国の産業基盤」と中国の「内需」だろうと予測されている。


それでは日本経済の問題である企業業績のこと。なぜ、急に大赤字が発生しているかということ。

「過当競争の末の過剰輸出」が、特に自動車・電機業界で起きている。バブル期に他の産業分野では、M&Aの大嵐が吹いたのだが、自動車・電機ではそれが起こらず、相変わらず国内で過当競争を続けている。その結果、「何でも買ってくれる米国」へ製品が流れ込んでいた。そして、北米市場が凍りつくと、製品が売れなくなる。

「自動車・電機」に頼りすぎている産業構造。国内には多くの産業があるのに、この二つの産業が輸出の中心になっていた。

「円高」については、本来、120円から80円までの間で、大きな波を描いて行ったり来たりしているのだから、現状はちょうど真ん中に位置する。今までが円安のゾーンにいただけで、これからは円高のゾーンに入るだけである、とのこと。

ということで、「自動車・電機」の業界でも、今後、M&Aが進み、さらに海外展開が加速されると思われるが、そうなると製造業に勤務している国内1000万人の従業員の雇用が大問題になるだろう、と予想している。

そして、一方、内需を見ると内需不足が不況の一因になっている。さらに少子高齢化で物が売れない。そのかわり、貯蓄が多い。年間可処分所得と貯蓄の比率を見ると、ドイツ、フランスは可処分所得の2年分の貯蓄率に対し、英国・米国は3年分。日本は4年分の貯蓄があるそうだ。原因は将来への漠然とした不安ということ。

今の状況は、「おカネがないから物が買えなくて不況になっているのではなく、おカネを持ち過ぎていて不況になっている状態」とのことだ。(もちろん個別論では例外は多いだろうけど)

そのための政策提言として、無税贈与を短期間設定(例えば3000万円までとか)して、住宅投資などを活性化させること。消費税を増税して、ドブに捨てることなく、社会福祉を充実させることによって、過剰貯蓄を減少させることが必要だそうだ。

産業構造も内需型産業を育成し、輸出産業からの労働力のシフトを行って医療・食料・環境・住宅などの新しい産業(特に中小企業)を育てることが重要ということだそうだ(私見:優秀な中小企業の経営者というのが数少ないのだが)。

そして、1969年の田中内閣以来続いた重厚長大産業主導型構造に終止符を打とう、とのことである。


まあ、実行するには、なかなか思い通りにならないことが多そうだが、あえて個々には書かない。

ナショナル・ジオグラフィック120年の歴史

2009-04-05 00:00:42 | 美術館・博物館・工芸品
nj1月刊誌ナショジオ(日本版)を読み始めてから2冊目なのだが、ちょっと日本人の興味と違うかなあ、と思っていて、たまたま、銀座で開かれている「ナショナル・ジオグラフィック120年の歴史」という展覧会に行ったのだが・・

まず、会場が銀座三丁目のフォーナインズ・ワークス。ガス灯通りに面しているというような地図を頼りにギャラリーを探すと、地図の場所に「999.9」という看板が見える。9が4つでフォーナインズということがわかる。しかし、・・

そこは、メガネ屋さんなのである。

一瞬、たじろいだがナショジオ120年展のポスターがあったので、会場の2階へ階段を上ると、そこには、今までに発行された日本語版の全冊子が並べられている。といっても日本語版が刊行されたのは1995年4月のこと。14年分約170冊が揃っている。展示されている冊子は全部手にとって読んでもいいのだが、会場には椅子がないので、立ち読みになるし、大体何を読んでいいのかさっぱりわからないので、結局、黄色の縁取りの雑誌の表紙を見比べてみるだけになる。

会場の片隅には、英語、日本語以外の他国語バージョンも展示されている。世界31ヶ国語で180の国で読まれているそうだ。国の数は200位なので、31言語以外の国民は、母国語がマイナーであることを思い知るしかない。中国語バージョンと日本語バージョンを比べて、検閲や伏字、塗り字がないかどうか調べようとか思ったが、どうでもいいのでやめる。

そして、会場は3階会場のショップスペースへ続くのだが、驚くことにショップというのは、メガネのショップなのである。メガネの森の中を通り抜けるとナショジオ発行の豪華本やDVDの販売コーナーがある。豪華本は「世界旅行」系とか「世界史」系が多く、旅行系の本は、「秘境」「食道楽」「宗教」といったところであり、世界史系は、「秘密文書」、「戦争記録」、「聖地」といったところである。第二次大戦のところあたりは、欧州戦線はかなり緻密に書かれているが、日本の方は、ごくあっさり。トージョーを始めとする拡大主義者が中国攻撃のついでに米国とも戦い始め、負け始めたのに戦争を長引かせ、最後は原爆が炸裂して昭和天皇が戦争終結を宣言した。というような筋書きになっていた。

ようするに米国人にとって、日本は「裏口」なのだろう。

さらに、米国人はあまり海外旅行をしないのだが、その代わりにナショジオを読んで、満足するのだろう。


nj1ところで、この31カ国語に広がった最初は日本語だったそうだ。つまり1995年に日本語版を出す前は英語版だけだった。なぜ、日本語から世界市場への拡大を始めたのかよくわからないが、たぶん、米国人の常識ともっとも遠い国民をリサーチすることで、世界展開の可否を判断したのかもしれない。そういえば、スターバックスの世界展開の最初も日本からだった。

そして、メガネ店の話。9999というので、9999円のメガネかと思っていたら、4万円台のフレームが並んでいた。店名をよく見ると999.9となっていた。どうも金の純度から命名した店名らしい。そろそろ金縁メガネの似合う年になったので純金フレームを店内を探したものの、そんな下品なメガネは見当たらなかった。やはり、日本だ。

第一回詰将棋解答選手権での信じられない一言

2009-04-04 00:00:53 | しょうぎ
毎週土曜日には、将棋の話を書いていて、今週は何を書こうかと、1週間前から考えていた。

棋士会の件は先週、推測を書いたものの、今のところよくわからずじまい。女流棋士になるためには、LPSAからのツアープロを目指すしかなくなったようだが、強豪女子小学生を紹介するには、そちらのコースでいいものか思案中。将棋世界が毎日コミュニケーションズ社から発行されることについて考えてみようかと思ったが(言いたいことはたくさんあるが)、会社の近くの大型書店である「虎ノ門書店」、「書原」、「福家書店銀座店」には以前から置いてなく、唯一「文教堂新橋店」で売っているのだが、行ってみれば1週間前に閉店していた。(どうも5月発売分からマイコミ社みたいだった)次期将棋連盟会長(もしかしたら最後の将棋連盟会長)の候補者も、情報入手できず。史上初の後手勝ち越しも、ある意見はもっているのだが、頭の中で、まだ整理がついていない。

そんなことで、詰将棋解答選手権のことだが、3月29日に行われた第六回大会のことではなく、6年前に行われた第一回大会のこと。先日のWBCでもそうだが、第一回があって第二回があり、そして第六回があるわけだ。(確かサッカーのワールドカップも第一回は13カ国の参加である)

実は、第一回と第二回には無謀にも出場してみたのだが、だいたい、Aクラス(べスト10)でもなければ、CクラスでもないBクラスということがわかったので、個人的には、あまり夢がないので3回大会以降は失礼している。それに第一回大会では、二問も解答記載ミスをしてしまい、つくづく嫌になった(二問が正しく書けても、上位に入賞できるわけでもなかったのは、AクラスとBクラスの差があったからだろう)。


この選手権の特徴は、詰将棋を解くのに「盤と駒を使ってもいい」ことである(パソコンソフト使用は禁止)。


ところが、実際には、多くのプロ棋士は駒を動かしたりはしないで、せいぜい盤面に並べて見るだけが多いようだ。「駒を動かすと、かっこ悪い」というのが理由とされているが、実際やってみると、正しい筋を並べて確認する場合は駒を動かした方がいいのだが、筋そのものがわからない場合には、駒を動かすと、何が何だかわからなくなる。

私だって、使用駒が10枚くらいまでだったら、盤どころか問題用紙すら凝視することなく、眼を閉じて頭の中で解いてもよさそうである。というか、頭の中だけで、詰将棋を作ることも、よくある(会議中など。クルマの運転中は危険である。)。

ということで、盤駒があっても、プロは、やたらに駒を動かしたりしないのにも、それなりに理由がある。


ところが、駒を動かさない別の理由を考えていた棋士がいたのだ。


詰将棋の世界では高名なX四段(当時)が、第一回大会にも登場していたわけだ(他にもプロ棋士はいて、帰りがけに賞金ではない「封筒入りの何か」をポケットに笑納されていた)。確か教室型の机の配置で、X四段は正面に向かって右側の方の席だった。そして、当日のルール説明を行っていた若島正教授に対して、誰も質問するはずのない「ある質問」を行ったわけだ。


「駒を動かすと、隣の席の人に見られてしまいます」。

まったく、将来、名人戦で優勝した時のスピーチが楽しみである。


さて、3月21日出題の解答。



▲4二金 △2三玉 ▲4五角成 △3四飛 ▲1三飛 △2四玉 ▲1五銀 △2五玉 ▲1七桂 △1六玉 ▲2四銀 △2五玉 ▲1五飛成まで13手詰。

4手目に飛以外を合い駒に使うと、▲1四飛成という手段が生じ、早詰めになる。

銀と桂の王手で、不安な場所(△1六玉)に玉を追い出してからまとめに入る。

動く将棋盤は、こちら



今週の問題は、嫌われそうな場所に設定してみた。案外、難しい可能性もある。10分で高段者、30分で有段者、とか書くのだろうか。

最後は、「小粋な一手」という感じのはず。

わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。

衛星でも撃墜してしまえばいい

2009-04-03 00:03:51 | 市民A
テポドン型のニセ衛星の発射準備が進められている。本来、衛星を打ち上げる必然性のない国なのだから、ミサイルの発射実験に決まっている。

ここにきて、米国筋から、「ミサイルではなく、衛星」というような情報が流れてきている。米国がなぜ、そういうかというと、日本が「衛星でなくミサイル」と断定して、勝手に日本海上空で撃墜しまうと困るからだ。一応、飛ばすだけ飛ばさせて、ミサイルの弾道を研究し、自分の国が狙われた時のために、参考にしておくつもりなのだろう。打ち上げ直後に日本が撃墜してしまうと、データが入手できないからだろう。

それで、あえて書くと、「衛星でも撃墜してしまえばいい」のかもしれない。

しかし、それではジョンちゃんに、「敵対行為」と認定され、お代わりの「ノドン在庫900発」を打ち込まれるかもしれない。1発あたり100人がなくなるとすると9万人である。

だが、それだけである。日本人9万人の犠牲者と引き換えで北朝鮮は滅亡するわけだ。滅亡のパターンは、米軍による反撃爆撃、米軍上陸、中国軍も上陸。国土分割というようなことだろう。米国も中国も、半島で武力衝突をする気にはならないだろう。動機がない。

ところで、日本は首相自らが外交努力を続けているが、たとえばASEAN諸国などは、それほど熱心に発射阻止を言っているわけでもない。

なんとなく感じているのだが、日本と米国による太平洋支配について、快く思ってはないのだろう。

地図を見ればわかるように東アジアを北から、日本列島、沖縄、フィリピン、台湾、フィリピンと完全に封じ込めているわけだ。

そしてイージス艦。世界のどこの国でも必要なものではないようだ。

 米国   74
 日本    6
 スペイン  4
 ノルウェー 2
 韓国    1
 台湾    計画中
 オーストラリア計画中

これが世界のイージス艦の配置である。

スペインとノルウェーがどういう意図なのかは不明だが、残りは環太平洋諸国である。特に、日米両軍は広い太平洋のどこかで好き勝手に合同演習を行っているわけだ。まるで暴力団の縄張りみたいだ、と思われているのだろう。韓国・台湾・オーストラリアは仲間に入りたいのだろう。

吉村昭:わが心の小説家たち

2009-04-02 00:00:03 | 書評
吉村昭を年間1冊読んでいたように思っていたが、最近は3冊くらい読んでいる。何しろ、厚い。そして、内容が重い。ちょっと文体が冷たい(というか、怖い)。本を開いて、読み始めると、その文体で、前に進まない。そして、時代考証的に小説の背景説明が濃密なので、しばし、我慢が必要だ。そして、やっと文体に慣れてくると、今度は内容が重い。人類の性(さが)みたいなものになるのだが、遠藤周作みたいなのじゃなくて、時代の荒海の中で木の葉のように吹き飛んでいく人間を描くことが多いから生半可ではない。



そして最期は、体に差し込まれたチューブを自分で引き抜いて人生に結末をつけた。


彼が、自分の文体、小説のスタイルを築きあげていった過程で、愛読していた小説家、そして小説を紹介した本である。

森鴎外:歴史小説を書くのに、原典を探しだし、その原典を鴎外がどのように小説に仕上げたかを吉村昭は調べている。原典といっても鴎外から見れば素人の作者である。原典から感情や個人の類推を捨象して、自分なりの小説に変換するわけだ。

志賀直哉:吉村昭は志賀直哉の文体を大いに参考にしているそうである。特に、暗夜行路。若い時に読んでも面白くなかったそうだが、年をとって読むと俄然わかるようになっていたとのこと。暗夜行路の主人公(ほぼ志賀直哉本人)はあちこちに住まいを変えるのだが、それを追って吉村昭も旅をしたそうだ。そして、志賀直哉の「食べ物の描写」を大いにけなしている。味に興味がなかったようだ、と。

川端康成:一見、似ていないが、読んで芸術的に楽しむ文体だそうだ。文章の手抜きがうまいとのこと。そして、みるところ描写するところが、普通の作家とはかけ離れていて、特に死体の描写がすごいとのこと(確かに、先日読んだ「名人」でも、死んだ本因坊の顔を写真機で写す描写が不必要に長々と書かれていて、小説全体の流れの中で違和感を感じていた)。でも、絶対にまねのできない文章だそうだ。

岡本かの子、平林たい子、林芙美子:この三人の女性作家は永遠に日本文学の宝であり、作品が少ないからといって、だんだん読めなくなるのは大いに残念とのこと。特に、林芙美子は47歳で心臓麻痺で死ぬのだが、「仕事のし過ぎ」が原因とされているのを、大いに評価。死ぬほど書くのは作家の本望ということだそうだ。そういえば、書けなくなって自殺する作家は多いが、書きすぎて死んだ作家とは聞いたことがない(売れなくなって死んだ作家というのも聞かない)。

梶井基次郎:文章が新鮮ということらしい。実は、梶井基次郎も志賀直哉も読んだことがない、というか読み終わったことがない。吉村昭の読みにくさってそういうところからきているのかもしれない。個人的には、少しダラっとして、わずかに遊びやつやがあるような文体が好きなのだが。これらの作家に再挑戦してみようかな。

太宰治:斜陽は失敗、人間失格は成功だそうだ。斜陽を書くには太宰は田舎者過ぎるとのこと。精神的にはニセ貴族と見破っている。吉村昭が昭和23年、21歳の時のこと。結核末期患者として生死の境を行きつ戻りつしていた時に、太宰の自殺の報に触れたそうだ。自分は必死に生きたいと願っているのに、方や自殺してしまった。何ということか、と大いに違和感を覚えたそうだ。

そして、手術を受け徐々に健康を取り戻し小説を書き始めるようになり、「星への旅」を筑摩書房で応募を開始した太宰治賞に投函。最初の受賞者になったそうだ。(身代わりなのだろうか)

舞の海の頭頂部にシリコンを入れたのは誰?

2009-04-01 00:00:06 | スポーツ
1612a250.jpg先週、NHK相撲解説者の舞の海秀平氏の話を聴いた。相撲と解説の大きな違いは、「勝負がはっきりつかないこと」だそうだ。後で、解説を自分で聞き直してみると、語彙が少ないことと、次の取り組みの力士が土俵に上がっているのに、まだ前の取り組みの話をしていたりと、なかなか反省点が多い、ということだそうだ。まあ、あまりそういう反省までしている人は少ないだろう。「自分は国語の勉強をしなかったから・・」という言い方は、誰かへのあてつけのようにも聞こえる。

まず、解説の方の話では、「力士の人格を傷つけない」ということと「感情に走らない」ということが重要だそうだ。「みのもんた式」では、いけないそうだ。ごもっとも。

話は、最近の不祥事のことになるのだが、NHK解説者らしく、危ない方には話は及ばない。具体的な話ではなく抽象的になって、「相撲界は社会の変化の速度についていけない」と言われていた。(異論あり。若麒麟など見ていると、社会の変化以上にぶっ飛んでいると思うけど)

また朝青龍については、「いないと、盛り上がらない」「今までの相撲界の常識と違うことが多く、一石を投じている」と微妙な言い方で。支持しているのかいないのか、よくわからない。ただし、稽古が少ないので長くはもたないだろう、との予言。

今後、期待の力士は「稀勢の里」と「豪栄道」だそうだ。「稀勢の里」は強気が売りで、「豪栄道」はパワーはないが、相撲の巧さが売りだそうだ。


そして、舞の海が幕内で活躍するまでの自伝的な話になる。

まず、出身は、青森県の鰺ヶ沢(このブログでは過去に二回ほど登場した地名。太宰治とか赤い靴はいてた女の子に関係あるのだが省略)。相撲の盛んな町で、神社で行われる小学校の相撲大会ではよく優勝していたそうだ。

しかし、やはり相当なヤセ型だったので、中学では、ついに団体戦のメンバーからはずされることになる。そして悩みぬいた結果、退部届を出し、放課後、帰宅しようと校門のところまで行くと、そこに、怖い相撲部の先生がいて、「やめちゃいかん!!」ということになる(津軽弁で)。そして地元の木造高校でも補欠。もう足を洗おうかと思っていると、いつの間に日大相撲部へ推薦入学ということになったそうだ。

聞いていて笑ったのは、日大相撲部というのは「相撲の東大」だったそうだ。要するに相撲部屋と同じ。合宿で飯を食いまくって稽古に励む。競馬の厩舎みたいだ。そして4年が過ぎ、卒業にあたり、高校で社会科の先生になる予定だったそうだ。

が、舞の海氏が大相撲の世界に入ろうと思ったのは、大相撲を目指していた1年後輩が不幸にして急死したことによるそうだ。とりあえず、新弟子検査を受けるか、と、検査に行ったのだが、一回目は身長不足で失格。規定では173センチだったのだが、わずかに足りなかった。この時には髪の中に鬢付け油を固めて身長を水増ししたそうだが、折からの気温上昇で、油が流出。検査場で大破綻したそうだ。

そして、満を持して二度目の検査に行くために考えついてのが、頭にシリコンを注入して臨時的に背丈を延ばすこと。そして、ある美容整形医に頭部改造手術を任せることにした。

ところで、普通、シリコンは女性の胸に入れるものと相場は決まっているが、請け負った手術は頭の上である。他人事ながら、よくやるよね。胸とは随分違うような気がする。

舞の海は、当初、「ちょっと麻酔して、眼が覚めたら手術が終わっている」ようなものと思っていたらしい。

が、それはとんでもない間違いだった。

まず、検査の一ヶ月前から施術は始まる。頭の皮を剥がすそうだ。そして剥がしたところにビニールの袋を入れて、また頭の皮を縫い合わせる。そして、何回かに分けて、外からその頭の中の袋に少しずつシリコンを注入していくそうだ。

そして、猛烈に頭は痛み、一ヶ月間、24時間のたうち回りながら、医師からは「やめてもいいんだよ」と脅かされたそうだ。

ちなみに、その袋は取り出されたのか、まだ頭皮の内側にあるのか、はっきりしなかった。取り出すためには、もう一回、皮を剥がさないといけないだろうと思うのだが。


舞の海氏は、3年で関取(十両以上)に上がれなければ、辞める気だったそうだ。どうしても体格が見劣りするからだ。とうとう100キロには到達しなかったそうだ。ところが、もともとの自分の型である「左差し下手投げ」というのが、十分通用して、10か月で十両に上がり、さらに3場所で幕内に上がったのだが、ここからが、彼の苦闘である。なにしろ大型力士ばかりである。小錦や曙は体重が3倍。研究に研究を重ねて「技のデパート」と言われるようになったのだが、彼の思考法の一端がわかったのは、土俵のこと。

私は、「土俵は円型」だと思っていたのだが、彼はそう思っていなかったそうだ。

「土俵は円柱」と思っていたそうだ。変化技は右と左ではなく、上と下への変化も考えたそうだ。潜ったり、ジャンプしたりということだ。

曙戦の秘話を話してもらったのだが、地方巡業などで少ない土俵で稽古をするときなど、曙に稽古相手に指名されないように、他の力士の陰に隠れていたそうだ。何しろ、大きな力士が嫌いなのは、怖いからではなく、土俵が狭くなって、自分の動き回る場所がなくなるからだそうだ。横綱に指名されると仕方ないので、土俵に上がると、両手で一突き。一秒で終わるそうだ。

そこで、本場所で当たる時に秘策を繰り出す。立会に変わるのだが、右とか左ではなく下。しゃがんだそうだ。すると両手は頭上を通り越していき、眼の前には曙の無防備なまわしがあったそうだ。

そして、あれこれと苦闘した結果、ついに技を出しつくしてしまって引退。ということだそうだ。幕内通産241勝287敗の負け越しだが、一つ勝つことに彼ほど苦心した力士はいないのかもしれない。未だかつて誰が、「土俵は円柱だ」などと考えたものがいるだろうか。

ところで、頭にシリコン袋を縫い込んだ医者って、誰なのだろう?