古本五種五冊

2007-02-13 00:00:23 | 書評

465776d4.jpg最近、続けて五冊の古本を入手した。すべて、ソースが違う。もちろんAmazonでは用が済まないから苦労した結果でもある。「Jcross」や「日本の古本屋」を使っている。それぞれの本にはそれぞれの理由があるので、多くは今後のブログネタに消化されそうなので、本日は詳しく内容は触れないが、簡単にこれらの本の曰く因縁を書いてみる。

1.朝鮮史(梶村秀樹・講談社現代文庫)
  ブックオフで数百円だったと思う。 実は、だいぶ前から「朝鮮史」を読もうと思っていたのだが、探してみると、これがない。大きな書店には朝鮮史の類が並んでいるが、そのほとんどが、20世紀から歴史が始まる。奇妙なことに、過去のことがまったく書かれていないのだが、ちゃんと歴史ストーリーになっている。つまり、占領され、民族が独立したことから朝鮮が始まったように書かれている。

 もちろん、そうではなく、バルカン半島のように、大国(ほとんど中国)に占領されたり、内戦を続けたり、国内がいくつもの小地域に分裂したりしたはずだ。確か、非常に難しい歴史だったということは知っているのだが、読み直ししたかった。

 1冊だけで、歴史を語ってはいけないのは、歴史の常識なので、さらに追及予定。長く気をつけていて、店頭で発見したもの。

2.中国人と名古屋人(岩中祥史・はまの出版)

 東急の駅構内で購入。新古本。500円位だったか・・定価は1500円。1995年の初版なので、10年以上前。題名がおかしすぎる。普通は、「中国人」と対比するなら「日本人」とか「ユダヤ人」とか、かなり大きな民族対比となるべきなのに、一都市である名古屋と較べるとは。

 著者はまず、明治の人権主義者である内村鑑三を引き合いに出す。キリスト教博愛主義に満ち溢れた大先生だが、なぜか、妙なことを言っている。「人間はすべて罪人だが、愚かな者でもキリスト教を信じることで、救済される。しかし、中国人と名古屋人だけは救いようがない」というようなことを言っているわけだ。酷過ぎる。というか、それは真実のような。

 何が書いてあるかというと、その救われない二つの人種に共通するのが「道徳心の欠如」と「あざとさ」ということで、それを一冊245ページを使って延々と記載するのである。

 時は、この本が出版されてから10年経つのだが、果たして何か変っているのだろうか。

3.花筐(坂田武雄の足跡・大木英吉・坂田種苗株式会社)
 ここから先の3冊の本は非売品である。だから定価はない。それぞれ1000円程度で購入。

 この本は、到着後、後で郵便振替。 まず、坂田武雄氏の伝記だが、現在の「サカタのたね」の創業者である。今や、この社は世界のベストテンに入ろうかと言う日本最大の種屋さんである。現代農業では種は買うものになっている。種の雑種交配を防ぐことが一つ(品質の管理)。そして、ハイブリッドシードは、もともと種をなさない。一代限りである。

 坂田氏は1888年生まれ、日本とアメリカの間を行ったりきたりして、ドラマチックな大貧民ゲームを演じていたのだが、なかなかその素顔を追うことができなかったのだが、とりあえず、会社でまとめた公式伝記を発見。この本は昭和56年の刊だが、この時は93歳で存命となっている。

 もちろん、会社の公式伝記だけでは、資料不足ということなので、今後、どうなることやらだ。

465776d4.jpg4.老耄語録(頴田島一二郎・灯叢書)
 この本には驚く。封筒に入ってきた。まさか注文した本とは思わなかった。先払いで代金を振込むと送られてきたのだが、「開けてビックリの豆本」だった。全部で500部限定の44番と奥付けに書かれている。

 まず、題名の「耄」という字は「もう」と読み、もうろくのことである。つまり年寄り。1983年の刊なのだが、作者82歳ということになる。この作者が書いた「カール・ユーハイム物語」を調べ直したのが、「おおた版カールユーハイム物語」なのだが、その際、この著者のことをもっと知りたかったのである。

 ところが、よくわからない。色々と調べると、まず読み方が「えたじま、いちじろう」である。1901年に東京神田で生まれ、京城中学卒。和歌の道に進み、1931年文芸時報社に入り、投稿歌集ボトナムの編集にあたる。その後、不明の時期があり、戦争協力をしていたらしい(想像)。1945年に京城で終戦をむかえ、戦犯にならないように逃避行を続ける。以後46年間尼崎に居住。歌集ボトナム編集長にもなっている。1993年に横浜市戸塚区で没。92歳。戦前は6冊の小説を書き、歌集は戦前戦後に計7冊。戦前の小説のうち何冊かは、駐留軍により没収されている。「カール・ユーハイム物語」は72歳の時の作である。

というように、人生のあちこちがわかっているのだが、全体がつかめない。そして、この奇妙な姓と奇妙な名前。尼崎、神戸、神田、横浜戸塚の電話帳を見たのだが、この姓の方は見当たらない。一二郎という名前からは12人の男兄弟がいるようにも読めるが、女も産むだろうし多すぎるかもしれない。などと、とりとめもないのだが、このエッセイを読むと、少しは見えてくるのではないだろうか。

5.将棋紳士録(昭和49年版・斉藤銀次郎編)
 これも、問題の本である。予約してから池袋の古書店に取りに行く。なにしろ、郵送は箱代と郵送料と振込み手数料で600円も要求されたので、古書店のある夜の池袋に行く。まだ銃撃戦は池袋までは拡大していないようだ。

 そして、何が問題かというと、この本をまとめた「斉藤銀次郎」という棋士は、この本が出版されてしばらくで、日本将棋連盟を除名されている。いまだに除名された棋士は二人だけである。一人目は阪田三吉であるが、彼は後年、名誉回復されている。つまり、今のところ除名されたままなのは、この斉藤銀次郎だけなのである。そして、この斉藤氏のひ孫弟子が渡辺竜王であり、斉藤氏の師匠(石井氏)の孫弟子が米長会長になる。

 一説では、単に、斉藤氏が同僚に執拗に借金を要求し、いつまでも返さなかったという正統的な話もあり、また一方では。この「将棋紳士録」が除名の原因という説もある。確認してみたかったのだが、この本は要するに、全国の有段者の個人情報(住所)がナマでそのまま収録されている。現代ではありえない書である。

 そして、その紳士録に名前が載っている紳士たちのトップは、というと「六段、田中角栄」である。その他、政治家・実業家・芸術家・県知事・一般の人などゾロゾロなのだが、そういった有名人の段というのは、当時は、どういう構造だったのだろうか。ページを繰ったところ、全体に妙な感じが漂うのである。何があったのか?

 これが、どんな料理になるのか、まだ不明である。  


秀吉,伊藤博文,芭蕉,一茶

2007-02-12 00:00:51 | マーケティング
42280616.jpg何時間か前に、フグを食べた。刺身、しゃぶしゃぶ、鍋&ヒレ酒。ある筋のご配慮により、自宅に黒猫さんがきた。そして、その中に御禁制の部位が・・。「KIMO」である。

一説には、大分県の杵築市では、禁止されていないという俗説があるが、そんなことはないそうだ。そして、話が話だけに、入手先については、あいまいに書かざるを得ない。また、冗談を混ぜて、本気にされてもこまるので、危険な話は書けない。

事実、現代でも毎年数十人がフグ毒の中毒になり、うち数名が亡くなり続けている。多くは、釣り人が自分でさばいた場合だが、調理師の失敗の例もある。調理師の失敗ということは、御禁制品の「KIMO」の調理に失敗するということだ。

中毒は、食してから30分から2時間の間に発症し、呼吸不全をひき起こし、8時間頑張ると生き返る。死ぬ時まで意識がはっきりしているという嫌な症状だそうで、「手遅れです」という医師の宣告を聞いても生還例はかなりあるようだから、早まって枕元で遺産分割の話などしてはダメだ。

発症してからだと、すぐにコトバが話せなくなるので、119番では、単に「フグにあたった!」と言って、住所をしゃべること。そして、すぐに救急隊が突入できるように、あらかじめ玄関の鍵を開けておくことが注意点だ。


そして、すでに、食べてから2時間以上経過しているので、玄関の鍵を掛けたところだ。「KIMO」は刻まれて皮と一緒に湯びきにされていて、一瞬、舌先が痺れたような感じがあったり、食後、体が痒くなったのだが、まだ生きている。味は秘密だ。また、毎日、ブログを書かねば・・


ここから、軽くフグの話なのだが、フグはトラフグをもって最高とするのは異論がないと思うが、これがまた毒が強い。日本人が現在のようにフグ調理師免許というような形で、(一部のバカを除き、)危険を押さえ込むまでに、何人が犠牲になっただろう。たぶん1万人以上は犠牲になっただろうと思う。

そして、この危険と美味が背中合わせの魚については、実は豊臣秀吉が食を禁止した、と言われる。例の朝鮮の役のための、日本側の出兵基地である九州名護屋は玄海フグの本場である。出兵前の兵士が、フグにあたって次々に斃れたそうなのだ。そして、長い期間の後、伊藤博文が下関条約締結の際、フグを食った時に、あまりの美味ゆえに解禁した、と言われる。

しかし、この話、かなりの与太と思えるのは、伊藤博文の話は、確かに日清戦争講和の下関条約締結の時の話のように思えるのだが、そんな重要な時に、肝試しするとはとても思えない。さらに、伊藤博文はもともと長州藩なのだからおかしすぎる。そして何より、人口密集地の江戸では、この危険なフグを食することについての句が多数読まれている。もちろん当たる率が1割以上もあれば、危険すぎるのでもっと率は低かったのだろうが、もちろん、当たったら呼吸困難になるのだから、薬を飲ませて治るものではない。もちろん穴を掘って土に埋めて治るものでもないだろう。


さて、フグについて詠まれた句は多数あるが、大部分は、分類すれば「川柳」ということだろう。しかし、大御所である芭蕉は、こう読む。

「ふぐ汁や 鯛もあるのに 無分別」芭蕉 

思うに、芭蕉は晩年にはフグは食わなかったのだろう。彼にとって重要なのは「旅に出て、一句したためること」だったのだから、旨いものを食って死ぬことと天秤に掛ければフグを選ぶ可能性はなかったのだろう。しかも、だいたい山道を歩くのが好きだったので海の幸にめぐり合うことはめったにない。たまたま、明石あたりで瀬戸内物のフグを薦められ、「いやいや、拙者は鯛のあら煮の方が好物なので・・」とか逃げまくったのだろうか。

「あら何ともなや きのふは過ぎて 河豚(ふくと)汁」芭蕉

この句は、芭蕉が若いときに詠んだらしい。いかにも批判的だ。味のことは書かれていない。まだ、旅に命は賭けていなかった時期なのだろう。

「河豚食わぬ 奴には見せな 不二(富士)の山」一茶
「五十にて 河豚の味を 知る夜かな」一茶

この二句は小林一茶で、フグ肯定派だ。本当に50歳を過ぎて初めてフグを食ったとは思えないが、彼は、年老いて信濃の山間にこもる。フグは食えなかっただろうが、若い女性と不健全生活を続けることになったのだから、彼もまた、晩年はフグよりも重要なものを見つけたのかもしれない(愛?)。

その他にも、大家では
「河豚汁の われ生きている 寝ざめかな」蕪村
「河豚くうて 尚生きてゐる 汝かな」高浜虚子
「俳諧の ために河豚食う 男かな」虚子(言い訳がましい)

無名人も負けじと、
 ふぐ食えば 仏も我も なかりけり
 河豚食うて 北を枕に 寝たりけり
 片棒を かつぐ夕べの ふぐ仲間(当時の棺桶は本物の桶型)
 もう他に 死に人無しかと ふぐ仲間
 それほどに 命惜しいか ふぐもどき(あんこう鍋のこと)

どうも、俳句と川柳の区別がつかなくなるのが、フグの句のようだ。


そして、江戸時代の生活について色々と読み解いていると、このフグは、江戸では、案の定「肝試し」に使われていた。

若い衆は冬になると、皆でフグ鍋を囲むという風習があったわけだ。もちろんフグは個体によって毒性が違うのだから、当たったり当たらなかったりロシアンルーレットになる。嫌な制度だ。会合に出なければ村八分だ(江戸は村ではないが)。多産・短命時代だったから人の命は安かった。

ところが、この危険な会合に出席しなくてもいいという資格があった。それは、「妻帯」ということだそうだ。結婚したらフグリスクから開放されたそうだ。

現代でも、少子化対策の決め手にならないだろうか?

大坂城登城

2007-02-11 00:00:10 | The 城
42280616.jpg大阪に寄ってから1ヶ月ほど経って、今更ながら大坂城(通例にならい、「大坂」と書く)について書いてみる。先日、大阪国際女子マラソンで城内をランナーが走っている時に、起伏が大きく11メートルの高低差があると紹介していたが、それにはわけがある。しかし、一方、この大坂城というのは、大方の城マニアからは「キワモノ」と考えられている。別に鉄筋コンクリート作りだからということではない。相当のアバウト感覚で再建されたからである。歴史無視。

別に、私は復古主義者というわけではないので、昔あったものは、必ず現代に建て直すべきだ、というような怖いことを言うつもりもない。様々な理由で日本全土の数百の天守閣のうち、現存するものは僅か12。本丸を残すものは、さらに少ないかもしれない。無くなったのには、それぞれ理由はあり、それも歴史である。そして、もしも民意として再建しようというなら、少しばかりは、以前そこにあった物体を調べてから設計するのが本筋ではないだろうか、とやや保守的に考えてみる。存在しないようなものを、あたかも歴史上の存在のように捏造するのは、趣味が合わない。実は、大坂城は、その例なのだ。大阪人特有のアバウト感覚なのだろう。

まず、簡単に大坂城の歴史を書くと、

1580年 信長がこの地にあった石山本願寺を攻め落とす。
1583年 天下統一した豊臣秀吉が浅野長政に命じ、築城を開始。
1585年 秀吉入城。(初代大坂城)
1615年 大坂夏の陣で爆発炎上し、灰燼となる。
1620年 徳川秀忠、藤堂高虎に命じ、築城を開始。
1629年 家光の代に完成。(二代目大坂城)
1665年 落雷により天主閣が炎上。再建されず。
1867年 慶喜、長州攻めに失敗。城内に逃げ込むが、江戸に逃走。本丸炎上し廃城。
1928年 大坂城再建工事開始。
1931年 完成。(現在の三代目大坂城)
1945年 空襲にも焼け残る。
1997年 耐震構造に改装。現在に至る。

42280616.jpgまず、初代の大坂城は秀吉の全盛期に完成。現在の大坂城の4倍の敷地面積で、城内に武家屋敷や商店街があったそうだ。ようするに欧州の要塞都市のような構造だった。天主の高さは安土城に劣るが、床面積は広大で内装ピカピカであったとされる。正室のねね(北政所)が本丸を取り仕切っていて、次々とお手付きにする側室たちは別棟で生活していた。そして、秀吉の没後、ねねは城を後にし、茶々(淀君)が城の主になる。

大坂の陣については、別に触れるとして、家康は、姫路・大坂・名古屋に巨城を築くのだが、それは、次に徳川を襲うのは「島津」である、と認識していたからだ、というそうだが、それは正しかったのだが、城は役に立たなかった。二代目の城郭は、初代の焼け落ちた城跡に土をかぶせて、その上に築いた。城郭の面積は1/4だが、天主閣は以前より大きくなる。この土盛りの結果、マラソンコースの難所になったわけだ。そして、二代目の天主の位置は初代の位置とは異なっているのだが、色々と資料を見ると、どうも、この初代の城の位置は現在の城の東側100メートル付近のようでもある。現在(三代目)の天守閣は、二代目の位置に建てられている。

そして、1665年に天主閣が炎上してしまうが、再建されなかった。ほぼ同時期に火事で焼けた江戸城天主閣も再建されなかったのだから、驚くに値しないが、1928年に鉄筋コンクリートで再建されたことの方が驚きなのだ。

42280616.jpgまず、二代目の場所に建てられたのだが、デザインも基本的には二代目を踏襲。といってもあまり記録はないのだが。しかし、最上階には金色の虎が伏せた絵が外壁に描かれている。これは初代の秀吉の時の図柄であると言われる。虎が朝鮮を示すのは明らかだが、城ができたときには、まだ朝鮮攻撃は実行に移していない。つまり、このデザイン問題は、「いつ朝鮮攻撃を考えたのかの」重大な歴史の鍵でもある。あまり調べずに、お飾りにつかわれても困るのだ。

大坂冬の陣の時には、城郭の北西側にある備前島から徳川方が射程6.5キロメートルのカルバリン砲で砲撃、これが淀君の近くに被弾したことから、第一次講和条約成立。そうなると、定説の場所より、西ではないかとも思うが詳細不明。今頃、あちこち発掘しているようだ。発掘が遅れているのは、大阪特有の人権問題と関係あるのだろうか?これも不明だ。

中学生か高校生の団体が見学に来ていて、ガイドさんの声に対して大きな笑い声が聞こえてくる。耳をすますと、団体は韓国からのようだ。天敵である秀吉の本拠地で笑い声が聞こえてくる、というのは、ガイドが何かをしゃべっているからなのだが、私は韓国語は知らない。が、推して知るべしだろう。「侵略者秀吉が天罰で亡くなった後、妻と子どもは成敗され、今や地面の下のほうに埋まっています。ご安心ください」とかだろう。


そして、この大阪城公園というのは、大坂の陣の時には、徳川15万人、豊臣5万人が斬り合いをした、日本史上有数の惨劇の場であるのだが、その痕跡は何一つ残っていない。JR大阪城公園駅と森ノ宮駅の間は日本最大のホームレス族によるブルーシートの巨大ベッドタウンになっているのだが、木々が生い茂っていて、あまり貧相には見えない。変な話だが、ブルーでなくグリーンのビニールシートを使っているなら、「日本のボヘミアン地帯」ということになるのかもしれない。

ところで、現代に残る、大坂城はかくのごとく、たこ焼きのような大阪的アバウトさの産物なのだが、収蔵品の中に「超おタカラ」があることがわかった。

「大坂夏の陣図屏風」。

金屏風仕立てになっていて、右半双の右隻と左半双の左隻とに分かれる。黒田長政が戦後、記録を残すため、絵師に描かせたと言われる。特に、戦場の様相を描いた右双よりも、大坂城炎上の後、敗残の兵や京都方面に逃げる一般市民を待つ数々の戦争悲劇をリアルに描いた左双が優れている。日本史上で超一級品なのが右側で美術史上で超一級品が左側とも言える。これは、天主閣の6階でビジュアル化され、ナレーション付きの動画で見ることができるのだが、それだけでは飽き足らず、財政危機の大阪市の役に少しでも立つのではないかと、300億円の巨額にて購入してきたのである。将来、おおた美術館創立の際には現物を展示することにして、この屏風絵について、今後、ボチボチとブログ上で紹介していきたいと思う。

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名人戦中継は有料?無料?

2007-02-10 00:00:31 | しょうぎ
先週、2月1日に行われたA級順位戦第8回戦の結果は2007年2月3日号「吉報と悲報」に書いたのだが、最終9回戦を待たずして、郷田九段が森内名人戦への挑戦権を獲得した。さらに食道がんで闘病中だった父親が死す、というドラマが重ねる。となると、人情としてあまり言いたくはないのだが、関係者の心に淀んでいるのが、第6回戦の対久保八段戦終盤の「時間切れ負け疑惑」(時間切れ寸前に慌てて指した手で、桂馬が横立ちになってしまい、成ったか成らなかったわからない状態で、再度、置き直した)なのだが、その話題はビッグネームに任せることにし、その8回戦・最終9回戦・そしてこれから行われる名人戦の棋譜の開示についての話題に触れてみる。

まず、いつもの年ならば、最終9回戦はNHK衛星放送の特集番組で見る。勝負がつくのは深夜なので、自宅テレビで生や録画機能を使い、じっくりと観戦する。そして8回戦は、千駄ヶ谷の将棋連盟道場に設置される特別会場での解説会(2500円)に行く。実際に、解説会に最後までいると(午前1時とか2時とか)電車がなくなり、家に帰れなくなるので、まあ10時頃で失礼する。同時進行の場のリアルな雰囲気が楽しいわけだ。ところが、今年は、その告知が連盟ホームページで読んだのが対局前日といううかつさ(うかつなのは私の方ではない)のため、行かずじまい。

しかし、現代はネット社会。この名人戦を除く各棋戦はそれぞれの主催新聞社が、タイトル戦をリアルタイムにネット上で無料で動画配信している。ところが、名人戦主催の毎日新聞だけは、基本的に月額500円の会員制をとっていて、加入しないと、棋譜が見えない。名人戦7番勝負はNHKが解説付きで同日放映するので、棋譜を隠しても、見たい人には隠すことができないのにだ。

この問題は、「ネット配信すると、新聞を買う意味がないから」という貧乏新聞のケチな発想からだと思っていたのだが、どうも違うような感じがある。流れてくる話から考えると、「配信にはコストがかかるが、今は、それを超える収入(500円/月×会員数)があるので収支プラスになっている」ということらしい。要は、”現状が問題”とはまったく考えていないようなのだ。

思考の角度が違う人のことを考えるのは難しいのだが、冷静に見てみると、新聞各社の中で、毎日以外の各社はネット環境を自前で構築しているように見える。毎日はMSNに委託している。おそらく、自前の会社にとっては、ネット環境自体は「全体固定費」という考え方に立っていて、毎日は「変動コスト」と考えているのではないだろうか。地面と建物を所有するNHKと、建物は自前でも地面代を地主である東京都に毎月払っているフジテレビの差みたいなものだ。

ということになると、問題となるのは、新年度の名人戦や順位戦のネット中継である。何しろ、無料配信方式の朝日と有料配信方式の毎日の共催である。二社ともに有料になるか無料になるかのどちらかだろうが、結論とその結論に至る過程には、興味がある。共催にかかわる多くの問題のうちの一つなのだろうが・・


7972e427.jpgさて、前々週出題の詰将棋の解答だが、

▲1二飛 △3三玉 ▲4三角成 △2四玉 ▲1三角 △1五玉 ▲3五角成 △1四合 ▲2五馬引(寄)まで9手詰

初手の▲1二飛が盲点の手かもしれない。△同玉は▲3一桂成とソッポ成りで詰むが、何しろ、上部に追い出す。「玉は下に落とせ」という格言の逆(まあ、逆だから作品になるのだが)。さらに△3三玉に▲4三角成と上部脱出にまったくのノーケアのように見えるが、▲1三角とかろうじてミサイル防衛網にひっかけて、▲3五角成と日本海に撃ち落す。


さて、今週の問題は、大仕掛けだ。実戦で私を打ち破った方から、「この最後の詰みの形を詰将棋に・・」という野望を打ち砕くために、先に作ってしまった(もちろん、実戦とは大幅に異なる実戦捏造作品だ)。

7972e427.jpgが、どうも、芸術点ゼロ点の、ただ長いだけの愚作のような気もする(30手以上もあるということではないが)。何しろ、最初は「打ち歩詰め回避」をめぐる攻防があり、次に「合駒選択」があるところまでは常識的だが、後半は実戦のように激しい攻防戦になる。攻め方が駒を取る回数は5回。玉方が駒を取る回数も5回だ。なぜか、初形に金銀がない無借金経営だが、途中で、借り入れをして、短期間で返済することになる。たんたんとあつらえ済みの逃走ルートを追いかけ、王様自らをコルク栓にしてしまう。。

ちょっとだけでも陽の目を当ててやろうという親心で、ここだけに掲示。できたと思った根気強い方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記入していただけば、正誤判断。

カンパニオンさま

2007-02-09 00:00:48 | 市民A
最近、通勤電車が果てしなく遅れることが多い。この件は、別途考えることとして、先日の朝、車両故障のため30分遅れになり、車内は満員になった。そうなると、やたらと体を動かすと冤罪率50%と言われる痴漢の容疑をかけられないように、眼と首だけを動かすことになる。向かい側のドアの横に、ある予備校の広告が掲示されている。以前は、中学受験の日能研がよく出題していたのだが、大学入試問題だ。

広告との間には多くの老若男女の頭があって、ほんの一部だけしか読めないが、東京女子大の英語の入試問題である。全文の中の一部を和訳しなければならない(赤で表示)。

I enjoy my own company,and feel quite happy about going to the cinema or the theatre alone.

ただし、「私は自分の会社が楽しい」という訳ではない(おおた註:但し書きの中の「訳」という字は「わけ」と読む訳ではない)。 と、わざわざ注意書きが書かれている。まあ、それでは中学2年の問題だ。


ところが、電車の中でこの広告は、横書き、3~4行で書かれていて、一見するだけでは、一番上の行の「私は会社が楽しい」までしか読めない。時々、電車がガックンと揺れると、間にある頭が左右に揺れ、2行目から下の単語が断片的に見えるわけだ。happyとかcinemaとかだ。

そのうち「theatre」という単語が見えると、「theater」とは文末のreの順番が違うことから、米国語ではなく英国語ではないかと推測できる。会社をコーポレーションと言う可能性を考えておかなければならない。やっかいなコトバだ。日本の近くでは、シンガポールが英国語圏だ。ニュートン・サーカスに空中ブランコを見に行くと、代わりに焼き鳥を屋台で食べなければいけなくなる。マクドナルドで”Take Away”と書いてあるからといって、慌てて走って逃げると無銭飲食で逮捕される。植物園でシンビジウムの花を折ると1000ドル払わなければならない(コトバとは無関係か)。

しかし、英語というのも、一つ一つの単語をバラバラに認識すると、意味が苦しい。確か、「enjoy」には利益を得るとかいう意味があったような気がする。つまり、「私は自分の会社を食いものにする」という意味かな。それでは、cinemaとかtheatreとかと、どんな関係になるのだろうか。確かシェークスピアは劇場オーナーになったのだから、「会社を食いものして、劇場や映画館を手に入れて独り占めにした」ということかな。「マイカル」とか「西武」とか頭に浮かぶのだが、いかにも女子大学の入試問題にふさわしくないではないか。金をつぎこむならホストクラブだろう。

そして、ターミナル駅に到着すると、どっと人間が電車から大量放出され、とりあえず全文を一瞬だけ眼にすることができたのだが、どうしても「enjoy=食いもの」というイメージが出来上がって、しっくりいかない。帰宅後、出題している城南予備校のホームページをさがすと、解答と解説が書かれていた。

私は一人でいるのが楽しい」  と、いうことだそうだ。・・難問・・

解説によれば、companyの後にある「,」がカギで、それ以下の内容は、前文の「enjoy my own company」を具体的に説明している、ということだ。companyというのが同伴という意味で”my own company”で自分が同伴者=一人でということだ。 要するにcompanyというのは、箱根湯本温泉のコンパニオンさんと同じ意味ということだ。あるいは、銀座のチーママと同伴出勤という単語も思いつく。

ふと思い出すのは、以前、西荻窪の大学構内に男性が足を踏み入れるためには、同女子大の学生の同伴が必要だったような情報があったのだが、今はどうなのだろうか。「この人、カンパニーです」とか言うのだろうか。

ところで、わからなかった腹いせに、この原文を各種ポータルサイトの翻訳機能にかけてみた。

google:私は私の自身の会社を楽しみ、単独で映画館か劇場へ行くことについてかなり幸せに感じる。×

excite:私は、私自身の会社を楽しんで、単独で映画を見に行くか、劇場に関してかなり幸福であると感じます。×

yahoo!:私は、単独で映画館または劇場に行くことについて、全く幸せな私自身のcompany,and感じを楽しみます。翻訳拒否症。

infoseek:なぜか、yahoo!と「まったく同じ」。どちらが盗作か・・

 livedoor:Iは自分の会社を楽しみ、映画または劇場に単独で行くことに全く満足しているように感じます。Iがそのままだ。前社長のトラウマ?

「ローマ世界の終焉」で終焉

2007-02-08 00:00:15 | 書評
f19a6c1b.jpg昨年末(2006年12月15日)、塩野七生著、「ローマ人の物語・第15巻”ローマ世界の終焉”」が刊行された。1992年7月7日の第一巻に始まり、毎年1冊ずつの刊行で、当初の予定通り、15年、15冊で完結した。新潮社の書評誌「波」1月号に、各巻の発売数が公開されている。

 第1巻 299,000冊 ローマは一日にしてならず
 第2巻 232,000冊 ハンニバル戦記
 第3巻 194,000冊 勝者の混迷
 第4巻 203,000冊 ユリウスカエサル ルビコン以前
 第5巻 185,000冊 ユリウスカエサル ルビコン以後
 第6巻 161,500冊 パクスロマーナ
 第7巻 149,500冊 悪名高き皇帝たち
 第8巻 133,500冊 危機と克服
 第9巻 123,000冊 賢帝の世紀
 第10巻 124,000冊 すべての道はローマへ通ず
 第11巻 110,000冊 終わりの始まり
 第12巻  98,000冊 迷走する帝国
 第13巻  90,000冊 最後の努力
 第14巻  87,000冊 キリストの勝利
 第15巻       ローマ世界の終焉

f19a6c1b.jpg第14巻までで、約220万部。まあ、右肩下がりなのはシリーズ物の常と、客観的には言えるが、後述するように著者はまったく違うことを考えていたようだ。このハードカバーの他に第10巻までが28冊の文庫本になっていて、こちらは530万部売れている。文庫版の表紙にはそれぞれのローマの時代に使われていたコインの写真が使われ、結局、両方買う人も多いようだ。コレクションとしてのハードカバーと通勤電車で読むための文庫本。

そして、海外では、韓国でも1995年からハードカバーで14巻まで200万部発行しているそうだから、人口比から言えば日本より上ともいえる。さらに台湾では1998年から刊行開始。今後、中国や西洋圏でも発行が始まるのだろうが、一体、どういうことになるのだろうか。


さて、塩野七生だが、第一巻が出版された1992年7月7日は、彼女の55歳の誕生日である。七生と書いて「ななみ」と読ませるのは、彼女が7月7日生まれだからだそうだ。「七生報国」とは無関係。その55歳の誕生日に彼女は15冊を15年で書くと宣言する。そして以後、ローマに住み、1日も休むことなく「ローマ人の物語」を書き綴る。彼女の文章は、きわめて強いコトバで組み立てられる。声を出して読みたい日本語である。第一巻の中で、ローマの繁栄に関しての読者に対するメッセージは、こう書かれる。


 人々の営々たる努力のつみ重ねでもある歴史に対して、手軽に答えを出したのでは失礼になる。また、私自身からして、まだはっきりとはわかっていないのである。史実が述べられるにつれて、私も考えるが、あなたも考えてほしい。
「なぜ、ローマ人だけが」と。

 それでは今から、私は書きはじめ、あなたは読みはじめる。お互いに、古代のローマ人はどういう人たちであったのか、という想いを共有しながら。

 1992年、ローマにて  塩野七生

1300年もの歴史を通史として一人で書く、というのは世界に例がないそうだ。もちろん彼女は自らは歴史家とは認めない。あくまでも歴史をストーリーとして描きたいと考えていたそうだ。史実を解釈していくということで、通史を書くには史観が必要ということなのだろう。

そして、何より55歳から15年と言うと健康が心配になるのだが、彼女は健康チェックを受けないことにしたそうだ。受ければ、どこかに悪い箇所が発見され、治療のため日本に帰ってくる。そうすると執筆が続けられなくなるからだ。ということで、その間はローマの30万と日本の800万の神様に「書いている間は生かしておいてくれ」と祈っていたそうだ。そして、その間の最大の恐怖は体力の衰えではなく、疲労からくる筆力の衰えだったそうだ。冒頭で紹介した、微減していく発行部数が、かなり気になっていたのかもしれないが、ともかく終わった。

この終わり方に対して、「あっさりし過ぎる」とか「東ローマ帝国はまだ続くのだが・・」とか異論を唱える人も多いようなのだが、そう思う方は自分で続きを書けばいいだろう。塩野七生は「衰退史」を書くのが、間違いなく嫌いなのだ。

そして、彼女は今、何も予定がないそうだ。たぶん、そのうちに、彼女の大好きなカエサル(シーザー)について、さらに八つ裂きに解体してくれるのではないかと、期待している。あるいは、エッセイを1ダースくらい書いてみるのかもしれない。イタリア料理店を開業することだけは、やめた方がいい。本物に凝りすぎると、倒産するかもしれないからだ。

なお、新潮社ではブログを開設中。  

浅野内匠頭終焉の地

2007-02-07 00:00:39 | 美術館・博物館・工芸品
6364a61a.jpgJR新橋駅の近く、外堀通りと日比谷通りの交点が西新橋交差点。そこから日比谷通りを芝方面に5分ほど歩くと、歩道の最も車道側の端に石碑が立っている。刻字面が車道側を向いているので、歩いているとよくわからないが、道路の反対側に回ると「浅野内匠頭終焉の地」と刻まれている。そして、そこには、東京に数軒だけ残っている囲碁・将棋の超高級盤を扱う「中村碁盤店」が店を構えている。

要するに、忠臣蔵では脇役の浅野長矩が、元禄14年(1701年)3月14日のホワイトデーに江戸城内で、吉良上野介に対し、「エィッ」となぜか長刀でなく脇差で斬りつける。刃渡りが短かったからか、深手を負わすこともできず、ただちに捕縛され、網駕籠に入れられ、たまたま奏者番だった陸奥一関藩主、田村建顕の屋敷に預けられる。そして、運悪く当時の将軍は、お犬将軍さまだった。人間の命はかなり軽いものと考えていたらしく、即日、切腹が決定。あっと言う間に幕府の介錯人が、この田村家を訪れ、腹を切らせた上、胴体と首とを切り離してしまった。

そして、この話は、その後、忠臣蔵という芝居になり、その芝居の脚本通りに、数年後、吉良上野介は浪人たちに両国の屋敷を討ち破られる、というのはまったくの歴史的順番違いなのだが、実際、忠臣蔵ほど手垢まみれになった史実もめずらしい。しかし、当時、多門伝八郎という目付が、記録を残していて、この記録書が歴史的事実とフィクションの世界を分ける決め手ということになっている。

しかし、もちろん、江戸初期のこととて、はっきりしないことは多く、なぜ、田村家に預けられたのか、というのも推測の域に入るのだが、当主の田村建顕は外様ながら綱吉に寵愛されていて、譜代扱いの役目を預かっていたらしい。不浄者として浅野を江戸城から追い出す時に、本当は外様なので遠い屋敷にいながら、譜代のように気安く頼める殿様、という条件に合致したのではないだろうか?(と、さらに新たな珍説を加える)


6364a61a.jpg実は、ここからが本題になるのだが、この中村碁盤店の老店主の話がある。切腹したのは、この碑の場所ではなく、もっと奥の方、というのだ。記念碑を建てる段になって、日比谷通り沿いの地点が選ばれた、というのだ。そこで、Yahoo!古地図で確認すると、なんと日比谷通りは江戸時代は存在していなかった。江戸時代の大通りは、愛宕下大名小路といって、一本海側にずれている。Yahoo!古地図は幕末の地図なので忠臣蔵からは150年下っているが、そこに田村屋敷があることから、この地図上の田村屋敷の庭先で「ハラキリ&クビキリ処分」が執行されたのだろう。となると中村碁盤店とは幾分位置が異なる。さっそく、現地を探すと・・

何しろ、現在、このあたり一帯は大工事が進んでいる。戦後60年経過してから突然動き出した「マッカーサー通り計画」だ。外堀通りに面する虎ノ門JTビルの前から虎ノ門病院正面を突きぬけ、住宅もビルも全部なぎ倒して汐留方向に巨大道路を貫通させ、さらにレインボーブリッジと並行して海に巨大な橋を架け、有明からさらに海の果てまで一気に結ぼうという工事である。そして、既に、このあたりはほとんどの建物が解体されているのだが、なんと、超ミニ鳥居がある。田村銀杏大明神。田村神社である。そして、地図の上で推定した現場は、ちょうどこのあたりなのだ。

つまり、マッカーサー通りが完成後は、切腹現場は道路の上になる。終焉の地の碑が現場と異なったところに建つのには、理由があったわけだ。祟りに触れて、事故多発箇所にならないことを祈るしかない。

ついでに、やや不吉な話を書けば、当時の大通りである愛宕下大名小路だが、現在でもきちんとした道筋を保っている。出発点は新橋にある旧第一ホテル(倒産により阪急が再建中)。そして終点の間近にあったのが、ダイエー東京本社(現在、再建のメドが不透明で東京本社は移転)である。

6364a61a.jpgそして、道路建設予定地では、あっちでもこっちでも遺跡調査が行われている。つまり、このあたりは大名の江戸屋敷群だったわけで、掘り返せば、当時の大名家の重要な資料や書面などが発掘されるのだろうか。しかし、要するに割れた茶碗などの生活ゴミを掘り返しているだけともいえるかもしれない。いまだに大判小判金塊の類の出土話を聞かないのは、予想通りということだろうか。

しかし、この綿密な人海戦術による発掘作業を見ていると、この地道な努力こそ「発掘、あるある大辞典」には必要だったのだろう、と思考が横っ飛びするのだ。

かんもちに足を取られたかな?

2007-02-06 00:00:15 | 市民A
f5849059.jpg「かんもち」は富山県の風物誌ということになっているが、伝統的食材ということではない。1980年代に創作された現代的食材らしい。狙いはコメの消費拡大だ。主原料となる餅米に、富山湾特産のシロエビや昆布など各種のタンパク源を粉にして混ぜ込む。暖冬とは言え雪国の室内で、一定の期間(30日ほど)晒しておくと、米と具材のアミノ酸の味がなごみ、さらにサクサクとしたほどよい食感を得る。赤カブやくちなしといった天然色素によって、赤、黄、緑と、色とりどりの「かんもち」がすだれのように舞う風景の先には、国際化が迫る閉塞的な農業から、付加価値農業へと脱却できるかどうか、日本農業が模索している姿が見えてくるのだ。

という程度の記事を書くべきだった朝日新聞の記者というかカメラマンというか46歳男性は、よりによって敵対新聞の読売新聞記者の記事を盗用してしまう。発見したのは、J-CASTであるが、現在でも「かんもち」と検索すると両社のネット配信記事がヒットするのだし、99%発覚すると思うのだが、どうなっているのだろうと呆れるばかりだ。記者の命は「オリジナリティ」。厳しいお仕置きが目に見えそうで、やや怖い。

まずは、参考までに両社の記事。

(朝日、1月31日掲載)
「赤、黄、緑など色とりどりのもちを北アルプス・立山連峰から吹き下ろす寒風にさらす「かんもち」作りが、富山県立山町で最盛期を迎えている。富山湾特産のシロエビや昆布を練り込んだり、赤カブやクチナシなどで染めたりしたもちを短冊状に切り、ひもでつないで室内につるす。1カ月ほどさらすと豊かな風味が引き出されるという」

(読売、1月27日掲載)
「黄、赤、緑など色とりどりのもちのカーテンを北アルプス・立山連峰からの寒風にさらす「かんもち」作りが、立山町で最盛期を迎えている。富山湾特産のシロエビや昆布を練り込み、クチナシや赤カブなどで黄や赤に染めたもちを、長さ10センチ、幅4・5センチほどの短冊状に切り、ひもでつないで窓を開けた室内につるす。1か月ほど寒風で乾燥させると、もちの豊かな風味と色が引き出され、サクサクとした食感が生まれるという」

言うまでもなく、そっくり。「黄、赤、緑」が「赤、黄、緑」に変り、「立山町」が「富山県立山町」に、「クチナシや赤カブ」が「赤カブやクチナシ」になったのがいかにも情けない。それに肝心な点の一つである「サクサクとした食感」は盗み忘れた。

しかし、よく考えると、この程度の記事が書けないとはどういうことか、と思ってあれこれ探してみると、どうもこの方がカメラマンなのか記者なのかよくわからなくなる。何しろ、所属は東京本社編集局写真センター員で新潟総局駐在という。記事を書き始めたのが2006年4月からということで、今までに書いた記事は10本ということだ(こういう時には少なめに言うものかもしれない)。現在、この10本の記事について調査中とのこと。

なんとなく、記者の不足をカメラマンで補っているように感じてしまうのだが、カメラマンの不足を記者が補うというのと同じように無理があるようにも思える。もちろん入社した時から、「新聞の基本は、記事と写真」という二刀流ポリシーで教育しているのならいいのだが、付け焼刃がこぼれた。

ところで、確かに記者とカメラマンの二刀流は、経営的には合理的と言えるのだが、間違っても朝日新聞社が何機も抱えている飛行機やヘリを操縦する「航空部」のパイロットには、”記事を書け”とか”写真を写せ”とかの二刀流を求めるのはやめてもらいたいところだ。事件現場で撮影に夢中になり過ぎて墜落した場合、巻き添えになる市民の中には朝日新聞の購読者以外の人たちもいるはずだ。

もっとも、富山で記者不足になった理由が、「APAホテルの重点取材」であったとしたなら、許してあげたい気にもなるのだが・・  

「恵方巻き」が山積みに・・

2007-02-05 00:00:37 | マーケティング
節分の日に、太巻きを丸かじりする習慣は、関西にあったらしい。「あるある納豆事件」の反対で、関西の習慣が全国に広まっている。もっとも、「健康に良い」などと人心を惑わす定冠詞がついていたわけではない。「縁起が良い」というだけだから、「非科学的」と非難されることもない。「縁起」は「経済学」や「教育効果」と同様に、計測困難だからだ。

実は、2月3日の節分の日に、この恵方巻を購入すべく、デパ地下へ行ったのだが、仰天するしかなかった。近くのデパ地下は、有名食品店が専門店街として出店している。全国版で有名なのは○樽、とか○文とか。さらに神奈川や横浜ベースで有名な惣菜店などかなりの数のチェーン店が店を並べるのだが、そのすべての店頭の70%から80%の商品が「太巻き」なのだ。クリスマスのケーキどころではない。店頭真っ黒状態だ。

しばし、呆然としたあと、店内を徘徊して見ると、「恵方巻」というのと「節分巻」というのにわかれるようだが、たぶん商標とか関係あるのだろうか。まったく同類のように見える。面白いことに価格は1本500円程度から1200円超まである。太さもまちまち。巻いてある具もさまざま。何がお買い得なのか、さっぱりわからない。たしか、七種の具が入っているのを「正統恵方巻」と呼ぶような気もしたが、そんなこと守ってもしょうがない。私のドタ勘では、50%は売れ残るのではないだろうか。閉店近くになって、デパ地下という閉塞されたスペースで壮絶な価格競争が始まるのだろうか。「近づく閉店時間と山積みの恵方巻」。店員の方々が社販価格でお持ち帰りになるのだろう。不二家の例もあるので、くれぐれも在庫品を輪切りにして、翌日、「普通の太巻き」として再販しないことを推奨しておく。

さて、最高級1本1,280円の10種以上巻(カニ身を含む)を買ってみたのだが、今年の恵方は北北西とのことだ。よく考えると、そちらの方角には、気難しい「大将軍」が住んでいるわけだ。もしかして、「核弾頭が飛んできませんように」と祈らなければならないとしたら、大変な皮肉になるのだが、もう少し「強気な祈り」をぶつけておく。

ところで、1280円の太巻きは、直径が9センチもあるので、丸かじりすることはできない。北北西に向かって「強気な祈り」をお願いした後、端をかじっただけで、形式的儀式は終了。いつもの向きに戻り食事を続ける。こういった、本当は大作業だが、形式的に一部だけ実行して、きちんと全部の作業工程をやったことにする、というものの一つに「切腹」がある(その他、航空機や原子炉の整備などの現場でも起こっているかもしれないが、立証できないので書かない)。

きちんと、作法通りに腹を切ると大惨事になり、後の始末も大変だということで、介錯人制度が生まれた。通常は、下腹に短刀が触れ、皮が切れたあたりで、着手済みと認定し、バッサリやるのだが、中にはもっと早い段階で、目前の短刀に手を延ばしただけで、着手完了と認定し斬ってしまうこともあったようだ。何が言いたいかと言うと、大臣の首と介錯人の首相のことである。

川柳と浮世絵で楽しむ江戸散歩

2007-02-04 00:00:11 | 美術館・博物館・工芸品
fdd14162.jpg「たばこと塩の博物館」というのが渋谷にある。旧専売公社で扱っていた二つの商品である。民営化後、塩は、大小多数の会社が各種様々な商品を販売しているが、タバコは専売公社のままのような状態だ。独占企業の例として、マージンは大きい。国内での嫌煙ムードによる収益ダウンを海外でのシェア拡大で補おうとしている。

そして、この渋谷駅とNHKの中間にある「たばこと塩の博物館」は、入場料100円、と大安売りだ。自分でタバコを吸わないのに低入場料は申し訳ないような気もするが、多少なりともあちこちで煙害被害を受けているので、気に留めないことにする。(最大の煙害被害は、会社での喫煙者が特設喫煙室で過ごす「3分×20本=1時間」のサボタージュ時間の仕事のつけが非喫煙者にまわってくることだ。)この博物館で「川柳と浮世絵で楽しむ江戸散歩」展が開かれている。

そして、会期終了(2月4日まで)直前に滑り込む。実は、どういう展覧会なのか、正確にはつかんでいなかった。川柳と浮世絵に関するということはわかるが、その二つの文化の関係は不明だ。一方、別の資料で、今年が川柳250年のメモリアルイヤーということは知っていて、川柳についてあらかじめ少しは調べていた。

会場は、博物館の4階で、最初はよく理解できなかったのだが、一句の川柳と対になって、浮世絵が展示されている。例えば「降る雪の白きを見せぬ日本橋」という句では、雪の中、多くの人が行きかう雪のない木造の日本橋の浮世絵がセットになっている。「鶴という字も舞っているのどやかさ」では「鶴」と書かれた凧が空を舞う図だ。要するに、少し無理っぽいが、好川柳にマッチする浮世絵を探してきて、一緒に並べているわけだ。

そして、川柳は全部で187句もある。もちろん、川柳は江戸時代の作であるのだから、簡単には解読できない。時間がかかる。しかし、こちらも忙しい。そういう人が多いのだろうと、立派な冊子が配られている。ざっと100ページほどのもの。これも入場料100円のうちだ。ということで、その冊子の句を後でゆっくり読むことにする。ただし、カラー版の浮世絵のコピーはついていないので、単に川柳を読むだけ。

ところで、川柳というのは柄井川柳(からいせんりゅう)に起源があるのだが、実は、彼は作者ではなく、選者なのだ。もともと、芭蕉を中心とした俳諧のブームが庶民に広がっていき、1700年代になって、あちらでも、こちらでも俳句教室が生まれたわけなのだ。そして、その初心者用のトレーニング法として、「前句付け」という手法があった。後の「七七」の前に付ける「五七五」を作るわけだ。もちろん語呂合わせでいいなら、いくらでもできるが、自ずと巧拙がある。

そのうち数十年経つと、この前句だけが独立することになる。さらに、あちらこちらでコンテスト会が開かれたり、出版物が発行されるようになる。その選者の一人が気鋭の柄井川柳氏だった。その歴史的コンテストは1757年8月25日に開催され、優秀作品集が発刊される。「誹風柳多留拾遺(はいふう・やなぎだる)」。歴史の常として、光り輝くダイヤモンドも最初は目立たない。第一回の入選句は僅か13作。そのうちの一つが、先ほど登場した「降る雪の白きを見せぬ日本橋」である。その後、柄井川柳は、1790年、73歳でグッバイするのだが、「誹風柳多留」は版を重ね、1840年、幕末直前の第167号まで頑張ってグッバイになる。

実は、現代の川柳師、尾藤三柳氏によれば、柄井川柳が自ら選んだ作品のみを「古川柳」と別格で呼ぶそうだ。俳句における芭蕉のような存在である。

そして、川柳のツボについてだが、尾藤氏によれば、川柳は、「『真実の描写』が重要で、説明ではダメ」。「笑いと哀しみが背中合わせ(ユーモア&ペーソス)でなければダメ」。「コトバで笑わせてはダメで、結果で笑わせること」。といったことだそうである。


fdd14162.jpg「さて、冊子にのっている187句は、なかなかのものなのだが、全部書くわけにはいかない。まして浮世絵の方は手元に資料がない。少し角度を変え、『江戸川柳と現代の東京』というような紹介をしてみたい。といっても、花魁の句にちなんで吉原SOAPレディ写真集を披露するわけにいかないので、堅い物を数句。(前述の、行きかう人で雪の積もらない日本橋の図は、現代では、鉄筋の橋が首都高速の下に封じ込められてしまい、雨も雪も積もらない構造になってしまった)。

讃岐から虎ノ門まで鼻を出し

この句は1679年に、丸亀城主の京極家の江戸虎ノ門藩邸内にできた金毘羅宮(こんぴらぐう)についてのもの。丸亀城は現存12天守閣の一つで、石垣と水堀のコントラストが美しく、駅の近くのうどん屋も美味い。丸亀では象頭山に金毘羅宮があることから「鼻」の連想である。が、琴平にある本家の金毘羅様と、句に読まれた丸亀出張所としての虎ノ門の金毘羅様の関係は微妙だ。

本家の琴平の東京分社は、東京の水道橋にある。野球の殿堂である東京ドームの近くにある天才少女の殿堂である桜陰学院のとなりに琴平金毘羅宮の東京分社がある。そちらは本筋だ。虎ノ門の金毘羅は、琴平から分かれた丸亀金毘羅の東京支店ようなものである。そして、最近、敷地を再開発し、高層ビルに変身。


おっ立つように愛宕の男坂

fdd14162.jpg「愛宕山の上にある愛宕神社の石段である。身延山ほど危険ではない。山頂には、ほおづき市で有名な愛宕神社とNHK放送博物館がある。石段は急で、「おっ立つ」という感じがでている。なにか男性にとっては、階段を上ると、ご利益がありそうな句だが、現代では「出世階段」として高名になっている。楽天の三木谷社長がここに初詣に行くことでも有名だが、楽天の株価は最近はおっ立っていない。

たまたま、階段の下から撮影しようとしたら、もうすぐ上り切りそうな女性がいた。視界から見えなくなってから階段を写そうと思ったら、上り切ったと思った瞬間にUターンして、直ぐに降りてきた。上を狙っている女性なのだろう。ヒラリー女史ではなかった。  

吉報と悲報・郷田九段

2007-02-03 00:00:16 | しょうぎ
f885b837.jpg名人戦挑戦者リーグA級8回戦が2月1日、全5局一斉に対局が組まれ、郷田九段が1敗を守り、残る最終第9回戦を待たず2勝差で森内名人への挑戦者に決定した。

そして、勝った郷田九段には、父親の死という悲報が待っていたとのことである。

郷田九段、名人戦初挑戦決定の日に父死去(MAINICHI 2月2日)

 大阪・関西将棋会館で1日行われた第65期名人戦A級順位戦(毎日新聞社主催)の8回戦で勝ち、森内俊之名人(36)への挑戦権を獲得した郷田真隆九段(35)の父克己(かつみ)さんが同日死去した。71歳だった。葬儀の日取りなどは未定。対局終了後、訃報(ふほう)を知った郷田九段は「将棋が好きだったおやじのためにも、名人戦でがんばりたい」と気丈に語った。


今年度のリーグ戦では、第6局目の郷田-久保戦で、郷田九段の時間切れ騒動があり、やや、味の悪い展開になっている。最終戦で敗れて2位と1勝差になると、後々やりにくい展開も考えられるわけだから、最後も頑張るしかないだろう。

なお、将棋連盟では、対局直前に自分の両親が亡くなった場合のみ、忌引きによる対局延期を定めていて、配偶者の両親の場合は適用除外ということで、制度上の問題点とされているそうだ。


f885b837.jpg前々週の詰将棋の解答。

▲1八王 △2九角 ▲同飛 △同香成 ▲3八角 △5八玉 ▲4七角 △6七玉 ▲6八銀右 △七八玉▲ 6九角打まで11手詰

解説:人に嫌われる種類の詰将棋としては、「入玉」「合駒選択」「双玉」というのが相場だが、それを全部加えて、さらに、初手逆王手という花を添えた。初手に逆王手を加えると、逆に易しい方向に働くと思うが、適度に易しい詰将棋の方が好きなのだ。

初手は、▲1八王の一手であることは、しばらく見ているとわかる。逆方向へのバンカーショットみたいな手。△5八玉は▲7六角と出口封鎖で飛車回り。つまり、合駒選択。歩、香、桂合は反則。数少ない将棋のルールのうちの一つである「行き所のない場所に駒を打ってはいけない」が適用される。次に、飛、金合だが、▲同飛△同香成のあと、取った合駒を5九から打って詰む。となると、消去法で角合となる。銀合で詰まないと、悩み続けた方は、盤の上に駒を並べてみれば、悩みが解消するはずだ。

そして、5手目の▲3八角が限定打となっている。△同玉は▲2七角まで。以下、10手目までウナギをつかみ損なうような追い方をして、最後に大海に逃がす寸前に▲6九角とシッポを掴む。




f885b837.jpg今週の問題は、やさしい双玉問題。金銀が登場しない詰将棋を双玉にすると、極めてパズル的になってしまうのだが、現物の「金銀財宝の類」は大好きだ。さらにプラチナやパラジウムも好物である。
大ヒントは、「高額物件入手の好機は一瞬だけ!」。
わかった!と思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。  

出産マシーンvsラブマシーン

2007-02-02 00:00:24 | 市民A
柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言に対する各種世論調査では、”大臣辞任すべし”という声が7割から8割程度にもなっているようだ。一般に、過去の大臣の失言の際には、これほど辞任論が高いことはなかったように思う。まして、彼が何を思って、何を口走ろうが、実際に「実害」がすぐにあるわけではないわけだ。「一回の失言だけなら許したる」ということでもおかしくない。発言の質から言えば久間防衛大臣のイラク戦争反対発言の方が不注意発言のように思える。

それでは、なぜ、「出産マシーン」発言が大問題になるかということなのだが、

1.前後の脈絡から考えても、うっかり発言とも思えないわけだ。要約すると、「(15歳から50歳を出産年齢とし、30歳を産み頃とすると、)2030年の時の30歳は、既に現在6歳なのだから、母親の数の確保という点から言えば、今からの対策は既に遅すぎるので、一人の女性が産むこどもの数を増やさなければ人口減少は止められない」というような文脈なのだが、そのとおりにしゃべればいいのだが、出産マシーンの話が飛び出す。本人は、わかりやすく例を挙げたのだろうが、例をあげなくてもこどもを産むのが今のところ女性に限られるのは言うまでもないのだから、なんでそんな話になるのかよくわからない。
おそらく、日頃思っていたのか、あるいは厚生労働省の役人が大臣に説明する時に、機械の話をしたのではないだろうか。要するに、本当に機械と思っているのだろう、という疑いだ。

2.さらに、人間を機械に例える、というのが「出産問題」や「女性蔑視問題」と異なるレベルでさらに不快な感覚を与えているわけだ。機械は非生産的なことはしないわけで、人間でも凡そ50歳を超えると、人口増加に貢献しなくなるので、マシーンの耐用年数切れということになる。機械なら当然、廃棄処分だ。

3.言い訳、事後処理がお粗末である。「思わず、『機械』というコトバが頭をよぎった」、というのでは、深層心理は「機械」ということになる。例えば、石原都知事は、「こどもを産まないのは女じゃない」とまで暴論を吐くが、「いつもの調子だな」と思われて特にお咎めなしだ。しょせんは実害はない。本当に申し訳ないと思うなら、毎週末には、病院や老人ホームなどでボランティアでもすれば、少しは仕事にも役に立つだろうしと思う。

4.少子化対策大臣としての能力の不足を感じる点がある。しょせんは、マクロ指標を並べても、何も生まないようなテーマの問題だ。結婚しない理由、シングルマザーになれない理由、子作りの暇もないような労働環境とか、その多くは経済的な側面が大きいわけだ。それなのに、残業無制限法など成立させようというのでは、政策の方向性がない、ということになる。


ところで、この問題だが、日本では大騒ぎなのだが、あまり外国からの評判が聞こえてこない。あまり「日本の恥」ということになってはいない。少し考えているうちに、思い当たってきたのだが、外国ではこの「マシーン」というコトバをネガティブな場面では使わないのだろうと思ってきた。つまり、正確とか高性能とか勤勉とか、サボらないとかいうグッドなイメージなのだろう。「機械のようにこどもをたくさん産む」というのは、案外、誉めコトバかもしれない。一方、日本は機械大国で、古い機械はポイとなる。機械=人間蔑視という意味になる。

もっとも、戦国時代には、女性はこどもを産む機械だったわけなのだが、秀吉のように初物好きは子作りの数が少ないのだが、家康のように、他人の人妻として出産経験のある女性ばかりを囲う、というのもこどもの数を増やす現実的戦術だったようだ。


a35c1f36.jpg話は変るが、機械(マシーン)と言えば、「ラブ・マシーン」。日本ではモーニング娘が歌って(あるいは踊って)いたが、米国には先輩がいる。1975年か76年に米国のミラクルズというグループが発表している。普通、この単語は、果てしなく勤勉にメイクラブをする男性側行為を指すわけだ。機械のように腰を振り続けることを指す。「男性は、こどもを作る機械だ」ということになる。


ところで、大臣が辞任しようが居座ろうが、職に適正を欠いているのはよくわかる。では、誰が適正かと言えば、やはり現都知事なのではないだろうか。各種の子作りの方法に詳しいらしいのである。

三手とは?

2007-02-01 00:00:08 | 市民A
よく、将棋の基本は「三手の読み」と言われる。自分がある手を指して(1手目)、相手のいくつかの候補手を考える(2手目)、その対応策(三手目)を用意する。要するに「手を読む最低単位」が三手ということで、言い得て妙なのだが、この「三手」が別の場所で脚光を浴びた(というほどでもないが)。朝日、毎日陣営から「あるある」&「サクラ」事件で集中砲火を浴び、仲間のはずの読売・NHK陣営からシカトされているフジサンケイグループのSankeiWeb1月30日版はこう書く。
三高」に取って代わる「三手」って?理想の結婚相手
インターネット恋愛・結婚サーチ「マッチ・ドット・コム インターナショナル リミテッド」はこのほど20~39歳の独身男女502人を対象に結婚観調査を実施した。「結婚相手選びに重視する条件」は、男女ともに「性格」「価値観」「愛情」が上位だった。

結果を分析した同サーチの恋愛・結婚アナリスト、坂本裕美さんは「10年ほど前までは『三高』(高収入・高学歴・高身長)が結婚相手の男性の条件といわれたが、ここ1、2年は『三低』(低姿勢=レディーファースト、低リスク=安定した職業、低依存=束縛しない)に変わったといわれる。今年はこの『三低』に加え、『三手』(手伝う=家事や育児への積極姿勢、手を取り合う=理解と協力、手をつなぐ=愛情)が男性には必要になる」と予測している。

話の前に、
会社の名前が、マッチ・ドット・コム-->出会い系風??。
インターナショナル・リミテッド-->結婚のボーダーレス化を考えているのだろうか??。
恋愛・結婚アナリスト-->妙な職業があるものだ。

同じ三手でも、「手に負えない=暴力的、手が早い=短絡的、手を汚す=犯罪的」、「手間取る=グズ、手を回す=陰険、手を合わす=懇願男」というような場合には、どうすればいいかと言うと、「逃げの一手で、手を切って手仕舞いにする」ということだろう。

念のため、「手を切る」というのは、あくまでもソシュール的なシンボリックな意味であるはずで、リビングルームにブルーシートを広げ、東急ハンズで買い集めた解体キットを使用して、「手がかりを消す」ことではないのは、言うまでもない