一国博覧会?それでもいいかも

2005-09-25 21:42:47 | 愛・地球博
d68da41e.jpg愛・地球博が終わった。名古屋にはつかの間の倦怠感が訪れるだろう。2005年夏、幸運にも物好きな親に恵まれたこどもたちの心には、何が残ったのだろう。それがわかるのは、まだずっと先だ。

ところで、会場で気付いていたのは、どうも万国博にしては、外国人がいないということだ。「一国博?」あるいはやはり「愛知・地球博?」。たぶん東京で開いても変わらないだろう。わざわざ、上海博に行くかといえば、たぶん行かないだろう。などと考えているうちに、万博の歴史を調べてみると、まあ、そこそこ面白い。そして、フルサイズの万博以外に、テーマ博とか特定博とか認可博とか無認可博とか色々あることがわかったが、それらは書ききれないので省略する。日本関係だけに限定すると、フル万博は1970年の大阪と2005年の名古屋だけで、1975-76年の沖縄国際海洋博、1985年のつくば国際科学技術博、1990年の大阪花博は「特別博」と認定されている。

1851年 第1回 ロンドン ハイドパークにクリスタルパレスを建てる
1853年 第2回 ニューヨーク
1855年 第3回 パリ
1862年 第4回 ロンドン
1867年 第5回 パリ   幕府、薩摩藩、佐賀藩出品(伊万里焼か?)
1873年 第6回 ウィーン 日本政府初参加 日本館建設
1876年 第7回 フィラデルフィア 米国独立100年
1878年 第8回 パリ
1880年 第9回 メルボルン 南半球唯一
1888年 第10回 バルセロナ
1889年 第11回 パリ フランス革命100周年 エッフェル塔建設
*** 私は、エッフェル塔は1900年のパリ万博と思っていたが違っていた
1893年 第12回 シカゴ アメリカ大陸発見400年
1897年 第13回 ブリュッセル
1900年 第14回 パリ
*** 日本近代史を語る上で、このパリ万博は非常に重要なのだ。寺島実郎著「1900年への旅」の中に詳しいが、多くの日本人がこの万博を訪れ、深い感銘を受け20世紀の扉を開けていくのだ。さらに欧州人の多くもそうである。
 秋山真之(海軍) 坂の上の雲の主人公
 夏目漱石 猫愛好家
 ピカソ  結婚詐欺師
 川上音二郎 サムライショーに出演
寺島実郎が書くところでは、この音二郎のサムライショーが、欧米人に対して、「日本人は劣った民族だ」という先入観を植え付けたことになっている。ギター侍が国連大使になったようなものか・・
そして、同時期に隣町のロンドンにはケインズやマルクスやその他20世紀を戦争の時代にした政治家の卵たちが保育器で育っていたのだが、日本人は誰にも気付かず、のほほんとしていたわけだ。パンドラの蓋が開きかけていたのだが。
1904年 第15回 セントルイス
1905年 第16回 リエージュ ベルギー独立75周年
1906年 第17回 ミラノ
1910年 第18回 ブリュッセル
1913年 第19回 ゲント
1915年 第20回 パナマ=サンフランシスコ
*** 何を焦ったのか万博の連発だ。
1925年 第21回 パリ アール・デコ博
1929年 第22回 バルセロナ
1933年 第23回 シカゴ ここからテーマをつけるようになる。(進歩の世紀)
1935年 第24回 ブリュッセル (民族を通じての平和)
1937年 第25回 パリ (近代生活における技巧と技術)
*** この後しばらく一般博は開かれない。理由は世界が分裂したからだ。
1958年 第26回 ブリュッセル (科学文明とヒューマニズム)
1962年 第27回 シアトル (宇宙時代の人類)
1967年 第28回 モントリオール (人間とその世界)2004年エキスポズ消滅
1970年 第29回 大阪(人類の進歩と調和) 岡本太郎のおかげで史上最多来場者
*** またしても、しばらくの空白がある。大阪の毒気にあたったのだろう。
1992年 第30回 セビリア (発見の時代) 米国大陸発見500年。
*** 400年記念はシカゴだったが500年はスペイン。ただしコロンブスはポルトガル人でスペインはスポンサーだったのだ。
2000年 第31回 ハノーヴァー (人間・自然・技術)1,200億円の赤字。
*** 名古屋でも、総コスト1900億円のうち、税金とギャンブル協会の納付金が1,350億円投入されているので、何をもって赤字とかいうのかは判定しにくいところだ。
2005年 第32回 名古屋 (自然の叡智)
2010年 第33回 上海 (より良い都市、より良い生活)

ずらっと並べてみると、テーマは「決して実現しないところに、その無限の可能性がある」ということなのだろう。


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