戦艦武蔵(吉村昭著)

2019-08-14 00:00:55 | 書評
1966年に吉村昭が世に問うたドキュメントである。この作品で著者はプロ作家として地位を確立している。戦艦と言えば「大和」が有名だが、全く同じ設計図で2号艦として造船されたのが「武蔵」である。「大和」が呉の海軍工廠で造られたのとは異なり、民間の三菱重工長崎造船所で密かに造られることになる。

といっても戦艦が完成するまでは長い年月が必要だった。昭和12年から計画が始まり、竣工したのは昭和17年である。すでに太平洋戦争は始まっていた。2号艦の次には、3号、4号と建造予定はあったものの、すでに航空戦力の重要性が増していたため、超巨大戦艦は2号で打ちどめになり3号、4号は空母に変更になっている。



実は航空戦の口火を切ったのは日本海軍そのもので、真珠湾攻撃でその威力を証明している。戦略的矛盾があるのだが、「武蔵」はどちらかというと防御的発想で造られたというのだから人間というのは怖いものだ。敵に攻撃されないように遠くまで届く大砲は大きいし、それを乗せる戦艦も大きくなるし、速力も必要で、相当量の重油を消費することになる。

実は、大きい船を作るという意味だけでなく、長崎という狭い町の中に情報が漏れることにより米国、英国に知られることになることを極度に恐れたわけだ。その情報管理について膨大な資料から調べている。もともと米国英国とも高台に領事館があり、造船所が丸見えだったわけだ。

著者は本作を書いた1966年当時は、特に強く戦争に反対していたわけではない。その後、様々な小説を書いているうちに、弱者の立場から戦争を見ることが多くなり、徐々に反戦側に重心を移していったようだ。


ところで、本書から離れて、大戦中の日本軍の戦略だが、いきなり航空機の量産をしなかったことの原因の一つとして「米国の兵隊は、すでに米国では自動車の運転をしていた」のに、日本の陸海軍の兵隊は多くが農村出であり、「自動車の運転すらできない者が多数」という状態だった、という説を読んだことがある。戦力化できなかったわけだ。
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