一流までの年数

2010-08-11 00:00:42 | 市民A
最近、古い友人から、突然の電話があった。本題に入る前にいやな予感があれこれ思い浮かぶ。

嫌な予感をここにあげつらうと、過去のお里が知れてしまうのでやめるが、「ご令息の就職」だった。今年の3月に新興大学の社会科学系を卒業したものの、いまだに無職でアルバイト中とのこと。

聞けば、その大学ではかなり優秀な成績だったそうだが、「編集者」になろうと希望していたものの、結局は行く手を阻まれて、ついに親が登場ということらしい。


しかし、・・

それは、かなりの難問題である。少なくても、卒業してしまったらダメじゃないのと思ったが、そういっても仕方ない。本来は、成績優秀なら大学院に進む方がいいだろうし、学費は高いといっても、普通は大学院の方が4年制より安い。

そして、仕事なら何でもいいのか、やはり編集者に近い仕事でなければならないのかもよくわからない。

ヘルメットかぶって暑くても寒くても外をウロウロするのは嫌だと言うに決まっているのだが、そういうのは一つの狙い目で、大学卒なんかが行けば、すぐに幹部候補になるのだが。

ということで、電話では、各種アドバイスを述べるに過ぎなくなる。


で、本題なのだが、「編集者」というのは、実は大変に狭き門である。まして、一流出版社の編集部になると、作家の数倍の年収を取っているわけだが、それは単に偶然の積み重ねみたいなところがある。

一方、結構、実力主義のところがあり、できる編集者とできない編集者の差は大きく、できない編集者は結構淘汰される。となれば、編集者になろうというなら、大学卒業時には、それなりの実力がなければならないのだろうが、聞くところによると、『試験で、文章を書かされた』と驚いたということだそうだ。

たぶん、ゆとり教育って、試験で○×とか四択とかそういうのだろうと推測するとともに、「すでに、遅すぎるよ」というようなことを話した。

高校に入ってから大学を卒業するまでの7年間、ある分野に傾注していれば、ほとんどの人は、一流あるいは一流の入口になるだろうと思うわけだ。大学3年からでは遅すぎるのだろう。

で、実は、強くそう思っているのは、この何年かかけて、十数年前に引退した歌手の「丸山みゆき」さんの引退後のその後をネット上で追いかけていて、ついにふるさとの長野でジャズシンガーとして活動を始めたことを知ったのだが、その過程で、何人かの同姓同名の「丸山みゆき」さんのことがわかったことによる。

一流になるには、どういう道のりなのか、そういうことが見えてきていたのである。

ごくごく簡単に、各種の丸山さんのことをまとめる。ただし、それぞれの世界に詳しいわけではないので、若干の記載に過ちがあるかもしれないが、ご容赦のほど。

miyuki11.歌手の丸山みゆきさん(本名:丸山美由紀)
  13歳で歌手になろうと志し、長野県の高校を中退し、上京。その後CDデビューするも、プロダクションの関係から、すべて廃盤。再デビューは20歳。21歳でヒットを出すも、その後いろいろあって27歳で引退。その後、別の職業につきながら、つい最近、地元長野でジャズシンガーとしても活動を再開。




miyuki22.レーシングライダーの丸山美由貴さん
  みゆき違いである。小児ぜんそくで虚弱体質を克服するために11歳の時、父親がQR50というバイクを買い与え、ジュニアレースに出場する。たちまち優勝を重ねることになる(つまり、そういう参加者が少ない頃から優勝経験を積み重ねていたわけだ)。そのまま突っ走り、女性では非常に少ないトップレーサーとして活躍。ホンダドリームチームに所属するも、30代の中頃になり、そろそろ第二の人生への転回を考えているようだ。




miyuki33.ブリザーブド・フラワー講師の丸山美由紀さん
  歌手の丸山さんの本名と同じである。ブリザーブド・フラワーというのは花のミイラのことで、美しい発色を残したまま乾燥させて長期保存すること。日本に紹介されて、それほど長くはない。丸山さんの地方の農業高校在校の時の実習テーマがプリザーブド・フラワー。他の生徒は梨の受粉だったり、牛乳パックから和紙を作ったりしているのにだ。他の生徒は、何人ものグループで共同でレポートを書いているのに、丸山さんは、たった一人で実習を行っている。なんとなく、高校教師と対決したのではないかと、ちょっと愉快な想像ができる。その後、世界を相手に奮闘中で、たぶん広尾のカフェの経営にも関係しているようだ。



4.町田市民病院の麻酔科医長の丸山美由紀教授
  あの、日本一授業料が高いとも言われる北里大学の出身(北里卒業かどうかは未確認)。整形外科が専門で、大学とほど近い町田市の市民病院で麻酔科の医長になっている。北里の教授と麻酔についての共同研究を行っている。

miyuki55.ピアニストの丸山美由紀さん
  富山県出身というか在住のピアニスト。4歳でピアノを始める。18歳でオーストリアに留学。20代にリサイタルを重ね、30代になりファーストCD。








miyuki66.ナレーターの原ミユキさん(元の芸名が丸山みゆき)
もともとは声優で、丸山を名乗っていたが、なぜか原に変わる。もしかしたら、さらに別の名前に変わっているのかもしれない。農獣学部出身と変わった経歴だが、声優専門の青二熟出身である。声優をいったんやめ、ブライダルMCに転進したものの、最近はナレーターの仕事が中心である。もしかすると、同じプロダクションに丸山姓の若い女性がいるが、顔がそっくりなので親子かもしれない。

そして、ここまでの「丸山みゆき」さん達は、ほとんどが、ゆとり教育より前の生まれのはず。一方、現在進行形の丸山さんが次の方。


7.アーチェリーの丸山美由紀さん
  現在、日本女子体育大学の1年生。なにかの間違いで、このブログで自分の名前を発見した場合、かなりの驚きかもしれない。記録に現れるのが、高校2年の春。団体戦の一員として競技会に参加するが、メンバーの中の最低点。その後の秋の大会では成績を上げ、3年生の時には個人戦に出場で、ついに秋の関東大会で2位になる。その結果、大学でもアーチェリーを続けている。全国で10番目程度の実力らしい。そしてこの競技は、かなり選手寿命が長いらしい。たぶん、大学在学中に、少しずつ順位を上げていくのだろう。


というような、丸山みゆき列伝によれば、やはり、一流までには7年が必要なのだろうかと、思っているのである。


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