ノーベル賞を取り逃した?日本人

2019-11-05 00:00:03 | 市民A
今年(2019年)のノーベル化学賞にリチウムイオン二次電池の開発に貢献のあった三人が選ばれた。日本人である吉野彰氏もその一人だ。リチウムイオン電池の全体構造を考えた人、陽極を開発した人、陰極を開発した人。それらの代表者である。これはいわゆる蓄電池である。スマホをはじめとする小型機器にはほとんどこの種の電池が使われている。どうも基礎理論ではなく、応用技術に授与されることが増えている。

リチウムイオンの前は、ニッカドといってニッケルカドミウム合金が使われていた。さらにその前というか、今でも大量に使われているのが『乾電池』である。ある意味、充電しないでも相当の時間、電気を供給してくれる。使い捨てとはいえ、かなり安価である。この乾電池の前の時代に使われていたのは湿電池というもので、1800年代の後半(日本で言えば江戸時代)には存在していた。つまり、「湿電池」→「乾電池」→「ニッカド電池」→リチウム電池という流れである。後の二つは充電して何度も使えるわけだ。

そして、実はある本の中で「乾電池の発明者」という話が登場して、調べると日本人だった。

その人物の名前は屋井先蔵(やいさきぞう)。1864年に生まれている。長岡藩の藩士の家である。時は明治維新まで3年。あっという間に父親は失業したのだろうか。さらに先蔵6歳の時に亡くなってしまう。叔父が引き取ったものの13歳で東京の時計店の丁稚となる。しばらく工員として働いたあと、一念発起して東京高等工業学校を受験するが、失敗を繰り返し、断念。

独学により研究を続け、21歳の時に、すでに日本に紹介されていた湿電池で自動的に動く電気時計を発明したが、湿電池は極めてメンテナンスが複雑。乾電池の開発に取り組むことになる。リチウムイオン電池でも同様の問題がネックになっていたのだが、液漏れして腐食することが多かったわけだ(現代でも時々そうなる)。これを解決するために炭素棒に蝋分を含ませてみるとうまくいった。これが1887年のこと。実は、1888年にはドイツやデンマークでも乾電池が完成し特許を得ているが、屋井の発明は特許を取っていない。理由は特許料が高すぎて彼には払えなかったからだ。

では、ドイツやデンマークの科学者がノーベル賞を取ったかというとそういうことはない。当時は、基礎理論や当時実用的だった発明に対する受賞が多かった。レントゲン博士とかキュリー夫人とか。なにしろノーベル賞は1901年に始まっている。レントゲン博士は物理学賞の第一号。キュリー夫人は1903年に物理学賞、1911年に化学賞を受賞。キュリー夫人と屋井はほぼ同世代であるが、放射線の研究に対し、乾電池では力不足ということだったのだろうか。というか、当初は日本人やアメリカ人は受賞の対象外のような存在だった。野口英世が候補になったのは僅かに後の話だ。


実はノーベル化学賞の受賞記録を読んでいると、驚くべき人物が受賞している。第一次大戦直後の1918年にドイツ人のフリッツ・ハーバー氏である。受賞理由はアンモニア合成法なのだが、彼は「化学兵器の父」と呼ばれている。第一次大戦下で塩素ガスをはじめ各種毒ガスを開発していた。そしてユダヤ人。

戦犯スレスレだった彼が受賞した理由は明らかではないが、フランスのノーベル賞学者も毒ガス兵器を開発したため、目を逸らせるためだったとも言われる。後年、彼が開発した毒ガスでユダヤ人が殺されたとは思いたくない。

武器と言えば、日本もリチウムイオン電池を潜水艦に搭載しているわけだ。
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