李陵・山月記(中島敦著 小説)

2019-09-20 00:00:22 | 書評
中島敦のほとんどの小説は昭和17年(1942年)に書かれている。そして、同年12月4日に彼は宿痾喘息により、33年の人生に終止符を打つ。

よく「山月記」が国語の教科書に使われることから、同種の「李陵」や「弟子」が有名だ。今回は文春文庫で読んだが、ほとんどの文庫発行の出版社が、中島敦を文庫コレクションに加えている。著作権が既に消滅しているからだろうか。



文春文庫では、「光と風と夢」、「山月記」、「弟子」、「李陵」、「悟浄出世」、「悟浄歎異」の六編を収録している。

実は、「山月記」も初めて読んだのだが、もっと難しい話かと誤解していた。もっとも作家が何を言おうとしていたか、本質的にはよくわからないことがある。中国の李徴という博学の秀才の話で、中央省庁の役人でありながら詩歌に長け、二足の草鞋は嫌だと言って、退職して文学にいそしむが、芽が出ない。働かないわけにはいかず、地方公務員に再就職したが、ついに発狂して行方知らずになるが、虎に変身してしまう話だ。実に悲しいと言わざるを得ないが、どうすればよかったのだろう。

「弟子」は孔子の弟子の話。不器用な男が孔子の弟子になり、儒教をそのまま政治の世界に持ち込み大失敗する図である。「李陵」は漢の忠臣だった李陵が無謀な戦いをしなければならなくなり、敵の捕虜になった以降の話。以上の三篇は、思いもかけない偶然により、不運の連続のような人生(一人は虎になったが)を送ることになった話という共通性がある。どうにもならない人間の運命がテーマなのだろうか。

悟浄シリーズ2編だが、西遊記でカッパ役の沙悟浄の話。「悟浄出世」は臆病者だった沙悟浄が、川に住む1万3千の性悪な妖怪の中で生き抜いて、自我を確立させ、やがて三蔵法師一行のヒッチハイクの旅に加わるまでのことが書かれる。その後編である「悟浄歎異」は、そのツアー中の同行者に対する冷めた感想である。要するに沙悟浄は、ごく普通の人(人ではないが)なのである。

そして問題は「光と風と夢」。読み始めて最初はよく理解できなかったが、登場人物はスティーブンソン。「宝島」・「ジギルとハイド氏」の作者だ。彼は中島敦より半世紀ほど前の英国人で、中島敦と同じように喘息に苦しんでいた。地球上で唯一健康を得られる場所は、彼が人生の最後に辿り着いた南太平洋のサモアという島だけであった。そのサモアで、白人と原住民との紳士的ではない関係を書いたり、批判したりをスティーブンソン氏に成り代わり行っている。

他人の日記を書くというのは、あまり例がないだろうが、芥川賞の候補作になったのだ。しかし選考会では川端康成氏以外はまったく受賞に否定的だったそうだ。

要するに、実験作なのだろう。作家として長く書き続けるための様々な小説を書いてみたのだろう。もっと長く小説を書く健康を取り戻したのなら、時代小説家になったのだろうと推測できる内容である。

一つ書き加えれば、中島敦は33で呼吸器系の病気で亡くなってしまったのだが、命日は12月4日の明け方ということだ。彼が、小説を書く前に調べただろうスティーブンソンの命日は1894年の12月3日。1942年の日本は南洋諸島に多くの信託統治領を得ていたのだから、小説が売れればスティーブンソンのように転地できないだろうかと思っていただろうことを思えば、12月3日を超えたことが残念ながら中島敦の最後の満足だったのだろうと想像する。
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