神様の住所(九螺ささら著 短歌+散文+短歌集)

2019-11-06 00:00:17 | 書評
短歌は五七五七七の三十一文字で作る韻文、つまり詩(詞)である。たぶんに口に出して読むことが期待される。三十一というのは一応の目安で、おおむね三十から三十五の間ならとやかくいわれることはない。一応の一般的ルールとか、技法上のテクニックとか必要だが、きれいな風景を詠んでもいいし、自分の感情を詠んでもいいし、世の中を嘆いてもいいのだが、一歩、道を外れると、文芸という皿からこぼれおち、狂歌とか格言とかCMコピーの仲間になってしまう。一応は基礎勉強が必要だ。

歌集で世の中を驚かせたのは1987年に「サラダ日記」を280万部も売った俵万智だろう。今に至ってよく考えれば、彼女の作品は感覚こそ新しいが、日本の和歌史の正統的系譜の中にいたのだろうと思う。その前にいた悲劇的歌人寺山修司も同様に正統系だった。藤原定家が神になる。

ところが、現代の若手歌人は、こぞって違う人物を神として敬っているらしい。誰かというと、穂村弘。確かに切り口が違う。しかも一首の中に、いくつものストーリーを組み込んで複合的かつ現代的な歌を作る。



話が、関係ない方に進んでいくので神の話は省略するが、九螺ささらも新しい歌人である。独学で和歌を勉強して、新聞歌壇やネットに応募を続け、初めての歌集「神様の住所」が2018年のドゥマゴ文学賞を受賞した。和歌の世界の賞ではないところがポイントだ。

歌を並べるのではなく、84の節に分かれ、短歌、散文、短歌というようにまとめてある。歌集としては稀だが、例は悪いが詰将棋の本とかには多い。問題があって、次のページで解答の解説があって、最後に類似作がおまけにつく。まあ、そんな感じだ。

本書のタイトルの『神様の住所』だが、第27節の短歌による。

検索をやめない肉色の指先神様の住所を探している


スマホで何か調べているのだろうか。あるいは既に知っている事実(自分の病気とか)が事実ではないことを期待してネット世界を放浪しているのか。感じとしては、うれしいことではなく悲しいことを調べているような気がする。

この一つ前の第26節には、こういうのがある。

一円玉が一グラムであるということ物質世界の基準のように


1円玉が1グラムちょうどであることなんかないだろう、都市伝説を詠んだのだろうと、重さを調べたら、本当に1グラムだ。

一円を一グラムとする国の未来地図 城は燃え落ち雨風激し特にいま(葉)


どうしても旧来型になってしまう。

著者は、その後『ゆめのほとり鳥』、『きえもの』を書いている。『きえもの』は評価が高いらしい。

一作読んだだけなので批判的な言い方はしないつもりだが、「化学調味料的」な匂いが若干感じられる。私も以前、師匠にそういわれたことがあった。多作の副作用かもしれない。化学薬品の中でも人の心と心を密着させるような接着剤のような作品なら、それもいいのではないかと思う。


ところで、調べているうちに気付いたのだが、俵万智と穂村弘はどちらも1962年生まれだった。
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