『ペリー提督日本遠征記』を追って(写真展)

2019-09-01 00:00:53 | 美術館・博物館・工芸品
半蔵門のJCII PHOTO SALONで開催中の-日米和親条約締結165周年-『ペリー提督日本遠征記』を追って(琉球・小笠原諸島)を見に行った。この1853年に来日したペリーが、「一年後、また来る時に条約を結べるように国内で検討するように!」と脅迫外交をして、半年後にやってきて鎖国体制を崩壊させた事件は、その前後に様々なポイントがあって非常に面白いのだが、それらの歴史を補足するかのように米国側は写真を撮影したり、石版画を作ったり、もちろん記録を残している。



その一つが、数々の画像であり、また、『ペリー提督日本遠征記』である。実は、この本の名前に「遠征」ということばがあり、遠くに行って征伐するという物騒な意味である。実は、この本は米国政府がペリーの監修のもとで、ペリーの日記やノート、補足する公文書などで編集された本で、原題はNarrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan, performed in the years 1852, 1853, and 1854, under the Command of Commodore M.C. Perry, United States Navy, by order of the Government of the United States.となっていて、その本を万延元年(1860年)に遣米使節団が持ち帰り、2年後の文久2年(1862年)に『彼理日本紀行(ぺるりにほんきこう)』という和名で翻訳書が完成している。「expedition」というのが遠征というのか探検というのか。実際には戦わなかったのだから、その中間ということだろうか。なお、ペリーは遠征記が出版された2年後の1858年に63歳で他界してしまう。

ペリーは日本に来る前にはメキシコで大暴れしたようで、1853年に日本に来る前に琉球の王朝を脅している。さらに日本との1854年の日米和親条約締結後、琉球王国とは琉米修好条約を結んでいる。琉球については言うことを聞かなければ占領することの許可を大統領から得ていた。

ところが、琉球で撮影した写真には現地人の笑顔ばかりが写されている(日本での写真でも日本人がリラックスしたように見えるものが多い)。そもそも日本人自体が開国を望んでいたのだろうか。とてもそうは思えない。となると作り笑いだろうか。アメリカ人は怖いから作り笑いをするようにと通達があったのだろうか。

今回の一つの目玉が、条約締結の際、横浜の海岸で余興として行われた日本人力士20人による相撲。取り組みをイスに座って観覧しているのがペリー提督。先日、国技館で行なわれたトランプ大統領日本遠征記念相撲大会とほぼ同じ図だ。


今回の写真展には幕末時期だけではなく明治20年頃までの沖縄の写真も紹介されていた。那覇港には大型桟橋もなく、首里城は崩壊感覚だが、庶民は笑顔というまさに平和な島である一方で、米国が島の占領まで狙っていたという狡猾さを感えざるを得ない。
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