蒔田の吉良氏

2014-08-25 00:00:06 | 歴史
maitajo横浜市歴史博物館で開催中の『蒔田の吉良氏』展へ(~8月31日)。

吉良と言えば、ぶち切れ大名、浅野某のご乱心で一夜にして失業者となった赤穂浪士の敵役として有名であるが、由来のきちんとした家系で、元は清和源氏。源義家からの流れにより、武蔵吉良家を筆頭とし、将軍家となる足利家より上位である。浅野長政なんかとは筋が違うわけだ。

さらに、尾張吉良氏である吉良上野介が集団リンチで殺された後は、本家である武蔵吉良氏から養子が行って再構築している。

本拠地は世田谷で、セカンドハウスが横浜の港町だった蒔田(まいた)にある蒔田城。どうも本妻は世田谷にいて、蒔田には愛人2号や3号が侍っていたようだ。

現在は、蒔田城の跡地には、横浜英和学院という女子学校が建っているが、数年後には男女共学の青山学院大学付属中高一貫校になるようだ。

で、世間ではマイナー評価であるが関東の戦国時代では「仁義なき戦い」が行われていてきのうの味方は今日の敵だったりしていた。おおまかにいうと、上杉、武田、北条が覇権争いをしていて、さらに秀吉が北条攻撃を始め、事態が流動化する。

その中で秀吉の敵というようなスタンスが功を得たのか家康には重用される。

そして、深くは触れなかったのだが、吉良家に嫁いできた女性の中には、かなりの強者もいたようだ。伝説によれば、殿さまではない男性と駆け落ちした姫もいるそうだ。夏休みのこども向けの展覧会という性格もあるのか駆落姫の研究は発表されていない。


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