古川柳(山路閑古著)

2013-12-17 00:00:45 | 書評
昭和40年(1965年)の発行の岩波文庫だが、1993年に復刻したようだ。といっても再度絶版になっているようで、93年版が中古マーケットでは1500円程度になっている。まあ、江戸時代の話なので関係ないけど。

kosenryu


まず、「古川柳」だが「ふるかわ・やなぎ」ではなく「こせんりゅう」と読むということから本書は始まる。古い川柳ということだが、簡単に言うと古いというのは江戸時代ということ。そして「川柳」だが、柄井川柳の名前による。

ここで、「川柳」という文化の一ジャンルに個人名が付いていることに注目したい。本を読んでからこのような例があるか、熟考しているのだが、まったく思いつかない。この前、体操で「シライ」という技が開発されたが、あれは単に一つの技の名前である。イナバウアーと同じだ。俳句だって芭蕉とは言わないし、狂歌だって、蜀山人の名前がついているわけでもなければ、茶道だって利休とは言わない。

しかも、柄井川柳は、作家というよりも選者なのである。

ということで、季語がなく、自然や風物を題材にするわけでもなく、人間界の滑稽を読んだ5・7・5形式の大衆文芸を、川柳と呼ぶことになる。

現代川柳は「サラリーマンや主婦」が気楽に投稿できるように、時事情報を読むことが多いが、江戸時代は、そういう時事ものや歴史ものはさておき、吉原他の遊郭を題材にしたものが多い。幕府が民衆の反乱を恐れ、色ものを大目に見て不満のガス抜きをしていたからだ。

そして現代川柳は「創る」ことに多くの意味があり、これは江戸時代でも同様だったのだが、現代において江戸時代の川柳の楽しみ方としては、ずばり「謎解き」ということになるそうだ。要するに川柳に書き込まれた事象については、あらゆるジャンルの知識がないと解読できないわけだ。一人ではなく、何人かが集まって検討する会があるようだ。確かに謎が解けたときはうれしいのだろう。解読する喜びか。

 わきさしをさすと和尚もおもしろし

これは、吉原の句。僧侶の吉原通いは禁じられていて、僧侶は医者などに化けて、吉原突入していたそうで、医者の衣装は羽織に脇差と決まっていたそうだ。


 ふる雪の白キをみせぬ日本橋

雪が降っても日本橋の人通りは多く、雪が積もらないほどだということ。渋谷のハチ公前スクランブル交差点もそうなのだろうか。

なんとなく、古川柳の楽しみにはまると、大変な深みに引き込まれそうな感じが漂う。


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