日本に象がいたころ(亀井節夫著)

2013-09-13 00:00:36 | 書評
nihonnnizo日本には恐竜もいたし、象もいたことがわかっているのだが、これは化石が出土するからである。本書は、象の話で、これはこれで面白い。1967年の発行なので、現代的な常識で言うと、ちょっと?な記述もあるのだが、何しろこういう研究する人は大変だ。考古学的な知識だけではなく、象の進化にも詳しくなければならないし、さらに象もの化石を研究した先人の実績の再評価をしなければならないし、色々な小咄も知らないと面白い本はできない。

で、ちょっと?な部分というのは、大陸と日本が地続きだった時代に象がやってきて、それを追いかけて食料とする人間たちが追いかけてきた、ということと考えているようだ、ちょっと違うかもしれない。完全には言いきれないけれど、世界のどこにももっぱら象を食料としていた人類はいないのではないだろうか。実際、象は我々の先祖に食べつくされてしまったが、先祖はその後、海岸に出て魚介類を主食にするようになった。

では、どこから日本人が来たのかということになるのだが、最近の研究では、「世界中から来た」という可能性もあるそうだ。


「ナウマン象」:日本で多く見られる象の化石だが、初めから「ナウマン」と名付けられていたのではない。象の化石の研究に、多大な功績を残した二人の学者がいる。「ナウマン」と「ブラウンス」。ナウマンは1875年から10年間日本に滞在する。ブラウンスは4年遅れで来日。ところが、この二人は全く異なる学説を唱え、鋭く対立していたようだ。

日本において進化した象に「ナウマン」と名前が付いたのは1938年のことだ。

「享保の象」:日本の歴史上、象が到来したのは1408年。若狭に南蛮船が持ち込み、足利将軍に黒象1頭が寄付される。その後、戦国時代の末期に単発式に象が来日している。

そして、享保の象である。1728年。吉宗の命により江戸に象が出現する。今の浜離宮のあたりに小屋があったらしい。享保の改革のとばっちりで、20才で民間に払い下げられる。「暴れん坊将軍」にはでてこない逸話だ。象一頭の食費もまかなえないほど幕府は困窮していたようだ。


「シリアの象」:話はずっと古いが、勇将ハンニバルが欧州に攻め入った時の乗っていた象はアジア象だったらしい。もともとシリアは象を使った戦闘が得意だった。一方、宿敵のエジプトはアフリカの象を用い、象と象の戦いが行われていた。そこで勝ち残ったエジプトはシリアの象を戦利品として分捕り、欧州攻撃にもその象を使ったのだ。

シリアも、住みにくい国だ。


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