PICTORIALISM - Modern Photography at Dawn

2015-04-29 00:00:35 | 美術館・博物館・工芸品
pictorialism六本木の富士フィルムスクエアで開催中(~4/30)の『PICTORIALISM - Modern Photography at Dawn』へ。

困ったことにパンフレットのほとんどが英語で、地図の部分だけが日本語。昨今、アベノミクスの影響で、翻訳家の方々の仕事量が急増しているようで、数十行のパンフレットの翻訳などというアガリの少ない仕事は、放置されてしまうのだろう。別の国で使ったパンフの一部に地図だけ貼り換えたのだろう。もっとも翻訳家というのもキリギリス的性格の方が多いようで、稼いだおカネで旅行に行って、不況の風が吹くと冬眠状態に入り、生き残ったものが、次の旅に出る。松尾芭蕉もそういう生活だったし、いいかな。

で、しかたなく英文パンフによって解説すると、(といっても、パンフ部分は「そして、アートとしてのステージ・・」の段落以降、英文引用まで)

写真が発明されたのは19世紀の前半なのだが、それは技術としての写真だった。よく肖像写真とか残っている。日本でも幕末の人たちは、例えば殺人鬼土方歳三なんて、一枚の写真でその後数千万人の女性ファンを魅了しているわけだ。ただし、一枚の写真を写すには被写体は数十分静止しなければならず、見えないように後ろから首を支える器具が使われたりしていた。

そして、完全に実用化された19世紀の後半から20世紀の初頭に、写真はその後の方向がいくつかに分岐していった。

例えば、報道写真。新聞の挿絵画家が失業した(パリではまだ活躍している)。

例えば、軍事写真。偵察機の上から軍事目標を撮影したり、超小型カメラでスパイが潜入したりする。こちらは写す場所が衛星になったり、デジカメで産業スパイが盗撮したり・・

そして、アートとしてのステージが始まる。欧州よりもむしろ米国の方が中心だった。(たぶん、ドイツと戦争することになったため、ドイツ製のカメラを買うわけにいかなくなって、国策としてカメラやフィルムの国内産業を育成したのだろう)

その、アートとしての写真が、『PICTORIALIM』というわけ。

本展では10人の写真家の作品が展示されている。古い写真というのは、大変に貴重なもので、それだけで過去から作品を守ってきた多くの人の苦労なども感じ取れるものである。

そして、パンフ表紙の作品(untitled)の作家のRobert DEMACHY は、こう残している。

We must not make photography with artistic taste.On the contrary,we must make art with photography.


そして、現代。世界に無数に存在するカメラとその結果、さらに無限大に近く作りだされる写真。99.99%以上が個人、つまりアマチュアの手によるわけだが、

ほとんどの写真は、このPICTORIALISMの延長線上だろう。もちろん、単に出張に行った証拠写真のように無意味無価値の写真もあるだろうが、盗撮を続ける小学校教頭だって、本人の中では何らかの自分勝手なPICTORIALIMがあるのだろうと思う。


*ところで、引用したMr.Robert DEMACHY の言葉だが、黎明期の挑戦者がよく使う表現である。しかし、政治的に用いると多くの場合、大変危険な言い方になることは忘れない方がいいと思う。(特に、「We」といっても「I」の意味だし)


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