ほぼ滅亡した「伊藤流駒並べ」

2006-08-12 00:00:41 | しょうぎ
将棋博物館廃止の流れに対し、反対を唱えるプロ棋士がそう多くないのは驚きなのだが、おそらく、プロは、将棋を文化として捉えるのではなく、自分の特技を「収入という貨幣価値」におきかえるためのパチンコ台くらいに考えているのではないだろうか。

長く、プロ将棋は見ているが、特にここ20年くらいの中で、「勝負にこだわり過ぎ」という傾向が強まっている。以前は、「棋譜を汚さない」としたもので、形勢が負けと決まれば「形作り」と称して、王様を詰められるまでは指さず、最初の王手をかけられたところで投了するのが作法であったが、100に1位の奇跡(といっても相手のミスのこと)を信じて、後で並べ返すのも大変なくらいにボロボロにされるまで粘る。日本語には「いさぎよい」という単語はあっても「いさぎわるい」という単語はないはずなのにだ。

さらに、若手棋士は駒の並べ方も変だ。一枚ずつ、駒の下の端をマスの下の線に合わせる。さらに駒音をカッコよく「ピシッ」と打つわけでもない。「ぺちゃっ」と置く。なぜかと言えば、駒の位置がマスの「前の方にあるか」とか「右に傾いているか」とかで、次の作戦を見抜かれないようにということだ。攻めようという駒はマスの中でも前の方に置きがちだからだ。駒音を立てないのも、駒音で気合を見抜かれないようにということなのだ。

もっとも羽生さんクラスになると、まったく意に介しない。逆に、終盤に彼は指した後、駒を指でグルグルと押し付ける癖があって、それが出ると、対戦相手があきらめてしまうそうだ。逆に、普通の棋士にとっては、「個性を発揮すること」とは「勝負の負ける要素」とイコールと思われている。そんなせこいことばかりやっているから、ファンに見捨てられてしまうわけだ。


そして、問題の駒の並べ方の話である。素人将棋では、要するに、手当たり次第にめちゃめちゃな順に並べる人が多いが、だからといって実力とは無関係。ところがプロは一応ある順番に従って並べるわけだ。まず、中央に王様を置いて、左右に金、銀、桂、香、角、飛と置き、9枚の歩は中央から左右に並べていく。これが「大橋流」と言われる並べ方である。江戸時代の家元である大橋家に伝わる流儀である。一応は伝統を重んじているように思えるのだが、そうではないのだ。要するに「個性の隠蔽」。

江戸時代には大橋家だけでなく、伊藤家という家元もあったわけだ。この両家が名人を交代で守ってきた。もちろん、家元制度の弊害もあるだろうが、本題と関係ないので省略。この伊藤家にも「伊藤流」という並べ方がある。「大橋流」と似ているが、香車2枚と飛車、角の4枚の駒は最初は並べない。王、金、銀、桂の後、歩を左から右へ9枚並べてから、最後にその下にこの4枚を角・飛・左香・右香と並べる。

要するに、4枚の駒は遠くまで利きが届くので、相手に脅威を与えないように、歩で蓋をしてから、配置するという考え方である。ミサイル戦略みたいな話だ。相手に対してミサイルを誇示するのが大橋流。秘密にミサイル基地に搬入するのが伊藤流ということだ。

そして、なぜか「伊藤流」の使い手は誰もいなくなったそうだ。少し前までは、伊藤果(はたす)七段が同じ伊藤姓として伊藤流を用いていたそうだが、今は大橋流になっているらしい(多勢に無勢)。


一方、相撲の世界では、横綱の土俵入りに、雲竜型と不知火型がある。せり上がりの時に左手を腰にあて「守備と攻撃」の総合力を表現する雲竜型と両手を下からせりあげる「強い攻撃型」を表現する不知火型と分かれるのだが、その基準は、部屋毎に決まっているそうだ。現在は雲竜型の部屋が優勢ということだ。


ところで、今やネット将棋が流行している時代なので、現物の駒を並べることも少ないのかもしれないが、実戦の機会があれば、「伊藤流」を試してみようかと思っている。ただし、私の場合は単に、対局相手に「強そうな相手だ!」と誤認させようという威嚇行動に過ぎないわけなのだが・・


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-02-22 03:08:20
随分と捻くれたブログだな
Unknown (Unknown)
2019-05-21 07:12:07
何様?

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