居酒屋ゆうれい(山本昌代著 小説)

2019-01-23 00:00:43 | 書評
小説よりも映画の方が有名かもしれないが、原作がなければ映画ができない(時々、逆のケースも試みられているが、うまくいかない)。若奥さんに亡くなられた男が、「お前が死んでも再婚しない」と言ったにもかかわらず、1年も経たないうちに再婚して楽しそうに過ごしていると、先妻が幽霊として現れる。

izakaya


並の幽霊と違うのは、1.足があること。2.旦那と後妻とは会話ができること。である。足がある幽霊だと、映画化するときに撮影が楽だ。

そして人間2+幽霊1が同じ家に住み始める。幽霊1は死んでしまっているので、人間2の夜の格闘競技は、見学ならびに助言する立場になる。そして、人間2も当初、気味が悪いので様々な方法で追い出そうとするが、うまくいかない。何しろ、寺の和尚も「幽霊なんていない」という前提でお経を読んでいるわけだから、「幽霊を成仏させてほしい」と頼まれても困り果てる。お布施をサービスすることぐらいしかできない。

ただ、この小説、実は一向に前に進まないのだ。幽霊と同居した夫婦という型枠から外れることなく読了となるのか、と思っていたら、最後に幽霊がどこかに行ってしまった。

ところで、幽霊の存在だが、そもそも足がないだけではなく、質量がないことになっている。なぜ、その姿が見えるかと言うと、幽霊を見る人の観念的存在だからだ。例えば夢の中で亡くなった人が登場することがある。たぶん、無駄に年を重ねると、優秀な知人の方が先に逝ってしまったりするが、夢の中では堂々と生きている。また、死んでしまえばいいと念じているうちに、本当に死んでしまった性悪な悪党の夢を見ることもある。それらは夢の中には観念として実在するのだから、それを幽霊と呼んでもいいような気がする。


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