中原中也記念館で思ったこと

2015-07-08 00:00:14 | 美術館・博物館・工芸品
さあ、明日は長らく懸案だった萩日帰り旅行に行こうと思ったのがちょうど金曜の夜の11時半頃で、ルートを調べているうち、これも懸案だった湯田温泉にある「中原中也記念館」も近くではないか、ということに気付く。調べると、萩の方には、「瀬戸際の世界遺産問題」や「NHK大河ドラマ」という余計なイベントが絡んでいるし、中也記念館のある湯田温泉の方には、「SLやまぐち号」の出走日という余計な話が絡む。どうも予定の計画の1時間後に新山口駅からSLが同方向に走るようだが、それだと全体に遅れが生じ・・・

もう朝2時になってしまったので、特別イベントはすべて無視することにして翌日に備え眠る。

そして、午前10時ころ、湯田温泉の中也生家跡にある中原中也記念館に到着。温泉街だ。

tyuya


まず、中也は好きだ。好きな10人には入る。どこか不完全さを保ちながら、やるせないコトバを散りばめる。個人的には「ウマヘタ詩人」と思っているが、散文における太宰治のように中也の激烈なファンは、彼の詩に「酔う」という以上に、麻薬的な痺れを感じるのだろう。

「汚れちまつた悲しみに」とか「とある朝、僕は死んでゐた」とか「海にゐるのは あれは浪ばかりです」とか。

7月末から萩原朔太郎と中原中也についての展示が始まるが、隠喩の技巧については圧倒的に朔太郎が素晴らしく、朔太郎の詩はクールで心の中が透き通っていくのに対し、中也の詩は心をかき乱す。芥川と太宰の違いのようなものだろうか。

30歳で他界(1907-1937)とは同郷の吉田松陰と同じだ。また、詩人として再評価されるまで70年以上かかった同郷の金子みすゞ(1903-1930)とは、同時代人だ。方向はまったく異なるが、二人の大詩人は近くにいたわけだ。

文学館一般に言えるが、生原稿で中也の原稿用紙をみることができる。文字には意外にも癖がない。縦書きの場合、慣れていないと中心線がいい加減になって右や左によろけ文字となるのだが、そんなこともない。

横書きの大学ノートを横にして縦書きで使っていたそうで、それでまっすぐ書けるのだろうか。「ノート小年時」といのがあって、大学ノートの表紙に「小年時」と書かれていて、その復刻版を買ってみた。少年ではなく小年と書く真意は?

二階の窓に面した小空間には、中也の頭部のブロンズ像が置かれている。生前の中也をモデルとして高田博厚氏が制作したオリジナルが大戦中に北京で行方不明となり、高田氏が残された写真を頼りに再度作り直したものである。二度目なので少しはうまく作れたということだそうだ。

この表現豊かなブロンズ像だが、実は窓際なので外から超望遠レンズでとらえることができるが、それよりも実物がほしくなってきた。

実は、このブロンズ像のレプリカはいくつか存在するわけだ。

nakahara


毎年、優秀な詩集に対して選出される『中原中也賞』というのがあって、副賞は100万円だが、中也賞そのものの賞品は、中也ブロンズのレプリカなのだ。

さっそく、詩作に取り組む。

書く気になれば大量生産可能なのだが、そういうものではないのだろう。


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