川崎でモナコグランプリ

2004-10-18 15:28:19 | 市民A
e06a871d.jpg横浜市北部の港北ニュータウンに住んでいるが、八王子の学校にこどもが通学していて、都合によりアパートを借りることとなった。ステーションワゴン2往復で引越しをした。久しぶりの秋晴れ。雲がきれいだ。

距離は地図上の直線距離では15キロくらいだが、もちろんまっすぐな道はない。まがりくねった細い道だ。これがきょうのテーマ。

実は、横浜から目的地まで行く道はいくつかあるが、どこも混んでいる。比較的走れる道だと、自宅の都筑区から青葉区を通り、川崎市に入り麻生区を通過して、稲城市、多摩市を通り八王子市に到着する。別の道でも、途中まで同じで川崎市内を通らないといけない。これが問題なのである。

川崎の道の悪さの話になると、必ず言われるのが、「革新のはき違え」という言葉である。両サイドに東京と横浜があり、車があふれている。東京との境には多摩川があって、何本かの大きな橋でつながっているため、橋を超えて川崎に入った最初の交差点がどこも大渋滞である。川崎市内の道は、道幅が広くても交差点に右折車線がないことが多く、突然、前のクルマが右折しようとすると大混乱になる。左側にも不法駐車が多い。運転する方は右往左往になる。さらに海側の川崎区から内陸の麻生区まで7つの区が縦につながっているので、川崎市を通らないわけにはいかない。江戸時代からの道をそのままアスファルトで塗り固めただけで、道の両側が市街化調整区域になっていて、どうにもならない。何もしないのが革新であり、自然保護だと考えたのかもしれないが、甘すぎた。環境保護は「待ち」の姿勢では悪化するだけであり、「攻め」の姿勢が必要なのは、某独裁型都知事が証明している。

隣の横浜市は新しいものが大好きなビジネスマンが集まり人口は300万人を超えてしまい、セールスマンのような市長を選んでしまった。積極拡大路線だ。これから日産も本社を移転する。クルマはどんどんあふれるし、横浜と川崎の隣接する道路は横浜側だけが拡張し車線を増やしていく。結局川崎市内はつねに渋滞し、排気ガスは排出されるし、片側1車線で、道路の修繕もままならず、でこぼこ道にすぐ水溜りができ、歩行者に泥水をかけながら運転することになる。たぶん、道が悪ければクルマがこないだろうと思ったのかもしれないが、そんなはずはない。川崎を通らないと横浜から東京へは行けない。緊急自動車だって、走る場所はない。しかも、神奈川県人はたいてい、道路の前が空いていると、可能な限り速く走ろうとする(夜の第三京浜なんて壮観だ。はじからはじまで10分くらいのところを1分でも速く行こうとするのでF1レースの最初の1周目のような状態だ)。何もしない革新といえば、がけ崩れが多発していた時期があったが、最近聞かないのは、崩れきってしまったのか、私有地の山が全部開発されて平らになってしまったからか不明だ。水道料金だけは安い。

狭い狭い道を右左にハンドル切りながら走っていると、500mlペットボトルの「伊賀忍ちゃ」も飲めない。信号渋滞になると1センチずつ飲むことができる。アインシュタインの脳内ニューロンのように曲がりくねっている。他に道がないためタンクローリーや大型の路線バスも走り、すれ違ったり追い抜いたりしなければならない。道ばたの水溜りの泥水を跳ね上げながら歩行者や野良猫などかわしていく。AT車のブレーキを右足で踏んだり左足で踏んだりして反対の足で横Gに対抗してふんばる。道路の端のほうは雑草が生えていたり砂利がたまっていたりドブ板かなんだがわからない。タイヤは悲鳴をあげながら小石を跳ね飛ばし、後輪はすぐに横に滑る。

歩行者もたいへんだ。川崎ナンバーや横浜ナンバーが無茶苦茶に走っているのをかわしながら歩かなければならない。ちょうど中間点に桐光学園があるのだが、この学校の卒業生の中村俊輔の華麗なドリブルは、この道を通学していた結果に違いない。
以前、川崎の自動車関連のロードサイドビジネスの仕事をしていたときに気付いたのだが、ホンダ車が非常に多い。1000回くらいハンドルを切らないとならない道では、ホンダ車のようにシャープ過ぎる車がちょうどいいのだろう。ただし1時間が限界だ。みんなアマチュアドライバーなのだ。

一方、横浜に入ると、ボロボ(失礼。ボルボ)が異常に多い。自己主張が強い人が多いのだろう。スーパーの駐車場はボルボだらけだ。しかし、地球の裏側のボルボ本社は違うことを考えているようだ。「バスやトラックといった大型車部門が弱い」と思っていて、三菱ふそう社の値段を12桁電卓ではじいているようだ。しかし、三菱のトラックのマークをボルボに張り替えると、たぶん日本では乗用車の売上の方が激落するような気がする。

道が変わらないことのいい点は、「道」に残った思い出がそこを通ると喚起されることだ。20年前、神奈川県で営業していた時に、集金した小切手を持って大急ぎで支店に帰るため利用していた町田や川崎の路地のような裏道はおおむねそのままだ。沈みかけた夕方の太陽光線の中で当時の辛かったことなど思い出してしまう。ただし、目印だった交差点の運送会社やガソリンスタンドはなくなり、ゴルフ練習場はマンションになっていたりする。動物病院は代替わりで新築されている。それでも細い道はそのままだ。道路際のススキやブタクサの群生も何も変わっていない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿