「ウィーン万国博覧会」展

2019-01-13 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
渋谷からスカイツリーのそばのJTの倉庫に場所を変えた「たばこと塩の博物館」で開催中の「ウィーン万国博覧会」展に行った。折しも大阪万博が決定し湧きあがったところだ。ただし、オーストリアは、この1873年に開催されたウィーン万博でバブル経済が発生。バブルの常として、開催される年に、新規工事が終わるので、バブル崩壊となり、大不況が始まり、長く国民を苦しめたそうだ(別の書物に書いてある)。本題とは関係ないが。

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この1873年に開催されたウィーン万博から日本が正式参加したということになっている。35か国が参加で、アジアではトルコ、イラン、インド、タイ、中国が参加している。ただし、この初参加というのには異論があり、1867年のパリ万博から参加したという人の方が多いかもしれない。

まず1867年のパリ万博だが、日本からは江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩、それと民間参加で江戸の商人が芸者を連れて行って、芸者ショーをやっていたらしい。薩摩藩は、日本薩摩琉球国と勝手に名乗っていたそうだ。しかも会期(4月1日~11月3日)が終了して6日後に将軍徳川慶喜が大政奉還してしまう。さらに翌年には江戸の薩摩藩邸焼討事件があり、バタバタしたあげく4月6日には西郷勝会談で江戸城明け渡しとなる。

ということで、バタバタと大騒ぎだった6年後に開かれたのがウィーン万博。一応、万博の心得はあったわけだ。

その万博特命大臣になったのが、後に早稲田大学を設立したり総理大臣になった大隈重信である。実務に長けた人物と考えられる。彼は、何をウィーンに持って行くべきか熟考の上、国内各地の名産品を集めて展覧会をしたそうだ。何か甲子園の地区大会のような感じだ。そして優秀作をベースとして万博出展品を決める。

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まず、日本庭園、民芸品、技術、浮世絵、さらに、会場内の日本館の中には、小型の五重塔や仏像を持ち込んだ絵が残っている。

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さらに今回の展覧会には、クリムトの線描画が出展されている。オーストリア出身の人気画家である。彼の作品にはわずかな日本情緒(キモノ)があり、ウィーン万博の日本館の影響ではないかと言われている(ただし、万博のとき、クリムトは11歳。経済破綻の時代で彼が作品を量産するのは、もう少し先である。

そして、万博予選会のように日本国内から優秀作品を集めたことによって始まったのが「内国博覧会」だそうだ。また、国立博物館という思想もこの年から始まったそうだ。
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