壁画復活・明日の神話(岡本太郎)

2006-08-08 00:00:38 | 美術館・博物館・工芸品
ここ数年、岡本太郎にずいぶん近づいた。表参道にある旧アトリエ(自宅)。川崎市生田にある川崎市岡本太郎記念館、恵比寿での写真展。パートナーの岡本敏子さんの著書も読んだ。特に、彼に近づこうとしたわけではないが、なぜか時代が彼を呼んでいるのだろうか。

9d69651d.jpg2005年10月12日号「岡本太郎の爆発型芸術」の中で、触れた、メキシコに残された彼の巨作「明日の神話」の復元作業が終わり、汐留の日テレ2階のゼロスタで公開されている(8月末まで)。

出所来歴は、前述の10月12日号に詳しく記載したのだが、1967年、メキシコのオリンピックホテルで壁画の製作の依頼がある。翌1968年のメキシコ五輪をあてこんでメキシコシティに高層ホテルの建設が始まる。そのロビーの壁画である。ところが、完成間近のホテルは、建設費が回らなくなり、あと一歩で完成のところまでいって、中止。ビル自体が巨大なオブジェとなる(つまりビルの巨大ゴミ化)。一方、完成した壁画は飾られるべき場所がなくなり、別のホテルが購入するも、ロビーの改造で場所がなくなり、メキシコ国内を転々とした後、結局は資材置場行きになる。

9d69651d.jpg一方、太郎は1970年の大阪万博の「太陽の塔」の仕事で目一杯となり、壁画のことは後回しとなる。そしていつしか壁画は埃をかぶり、太郎も亡くなる。しかし敏子さんはそれを必死に探し出したわけだ。そして、日本に搬入することが決まった矢先の昨年の4月に突然、永眠してしまう。

以前、少しだけ報道でみたところ、壁画は文字通り埃で変色し、また一部はひび割れなど破損状態にあったらしい。復元に約1年を要している。つまり、作品がきわめて大きいため、複数の人間が同時に修復作業をすると、部分部分でトーンがかわってしまうことになる。それほど、この壁画は巨大だ。


展示場は壁画の前にステージがあって、そこに上がって見ることができるのだが、カメラで全貌を撮影しようとすると、後ろへ後ろへと下がっていき、ステージから足をふみはずすそうだ。ガードマンも気が許せない。なにしろ、横30メートル、たて5.5メートル。横は14枚のパネルに分かれる。まあ、1枚ずつ描いたのだろう。そして、彼が描いたメキシコは、スペイン人に破壊された後のメキシコではない。色鮮やかな原色のメキシコである。芸術の普遍性の復活を彼は生涯訴え続けている。

9d69651d.jpg壁画に接近すると、中央部に描かれた人間や歯のついた鳥の描写は、平面的ではなく、少し盛り上がっている。ただし、意外にもタッチが大胆で荒いような気もする。壁画とはそういうものなのかもしれない。あまり近くで見るものでなく、離れて見るべきものなので、ごちゃごちゃ描かないものなのだろう。よく見ると、なかなか構図に苦慮したことが覗われる。

9d69651d.jpg横14枚のパネルの左右2枚ずつはなぜか下の隅が四角の形に色が塗られていない。意味はわからないが、エアコンの噴出し口でもあったのだろうか?修復作業チームもその四隅を塗りつぶしたくなったのではないだろうかと思うが、思いとどまったのだろう。


さて、この展示が終わったあと、壁画の行方はよくわかっていないのだが、何しろ、今は無料展示だ。無料だけに、アルバイトの学生が事前にしゃべるこの作品のうんぬんは、聞くまでもなくわかっていた。ガイドの顔を立て、質問するのはやめた。なにしろ、誰もその件は語らないのだが、壁画に込められているモティーフはラディカルにも「反核と反戦」ということなのだ。まあ、本人がしゃべらないと、その壁画の真意は、誰も気付かないだろうということはよくわかるのだが。

追記:この壁画の今までの運命を考えれば、経営が安定しているホテルのロビーがふさわしいのではないだろうか(そういうホテルがあればの話だが)。「明日の神話」ではなく「明日の不振話」という別名がつくのは、太郎氏も本望ではないだろう。ところで日テレ?


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