カール・ユーハイム物語(5)

2006-01-20 00:00:05 | カール・ユーハイム物語
現在の明治屋銀座店は中央通り銀座二丁目にある。そして、モルチェというビアレストランが、併設されている。このモルチェとユーハイムが勤めていたカフェ・ユーロップとの関係はよくわからない。しかし、現在の明治屋のホームページに記載された社史にも、カフェ・ユーロップや、カール・ユーハイムの名が登場している。3年の雇用契約が切れたからといって、簡単にサヨナラということになったとも思いにくい。おそらく、明治屋から独立するにあたっては、かなり事前に調査をしていたのだろうと推定できる。

その中の一つが、横浜であった。たまたま、あるロシア人が経営するレストランが不振で、店舗を売却できないか打診があった。もちろん、横浜には外人居住地があり、洋菓子の製造ではベーシックな売上げが確保できるとの思いがあったのだろう。af59b0dc.jpg

そして、夫妻で下見に行く。場所は、現在の桜木町駅から県庁方向に弁天橋を渡り、弁天通り沿いにあったらしい。県庁の手前か先かは今ひとつはっきりしないが、現在のマリンタワーの裏の方ではなかったかと思われる。売りに出ているロシア人の店舗はまったく顧客が入らない。地の利なしとあきらめて帰る途中に寄ったレストランで食べた食事は、まずい上に二人で10円(現在価値1万円程度)だったらしく、それもまた彼らの意欲を折るものだったそうである(月給が350円もあったのだから1円の食事で騒ぐこともないだろうが、それがドイツ人なのだろう)。

そして、数日後、商談に来たロシア人に、「顧客もいないし、周りの店はまずくて高い」と断ったつもりだったのに、その冷静なエリーゼの観察をロシア人は逆手にとり、「奥様なら、成功すること間違いなし」と、ことばたくみに、上げたり下げたりで、とうとう店舗の売買が成立する。店名は、エリーゼの頭文字である「E」を冠した「E・ユーハイム」。

しかし、この時、付帯条件として、「そのロシア人の残した借金も肩代わりする」といううかつな契約が後に禍根を残す。開店までの期間に、次から次へと借金返済の督促がくるのである。

しかも、2階建て建物の一階の大部分をレストランにし、残りを菓子工房と調理場にし、2階の大部分を賃貸マンションのように貸室とすると、自分たちの寝室もなくなってしまったそうだ。そして、夫婦は、開店する店舗の営業方針について苦労することになる。競合店の研究などした結果、とりあえずは「ランチサービス」に傾注することとした。周りの多くの店が5円(現在価値5000円)のビジネスランチだったのに対し、なんとE・ユーハイムの戦略は格安の1.25円(1,250円、コーヒー付き)だったそうだ。そして、二人の思惑通り驚異の売上げを達成できるのだが、それに合わせるかのようにその後も、時々、見知らぬ借金取りがあらわれることになる。af59b0dc.jpg

そして、その菓子製造部門の職工であるベガさんとして応募してきたのが、元外国船のコックであったタムラ氏である。彼はその後、長くユーハイムのチーフであったのだ。さらに特筆すべきは夫妻には長男のボビーについて二人目のこどもである長女ヒルデガルドが生まれる。1923年7月9日。

初めての店はきわめてうまくいき、歯車は急ピッチで回転していた。ただし、その歯車はヒルデガルド誕生から僅か2ヶ月弱でまたも大脱線することになる。

関東大震災で横浜が壊滅したのだ。そして、横浜港も瓦礫が散乱することになった。

当時の横浜の震災状況が写真で残っていた。横浜市が保管している。弁天通りの一本となりの本町通りの写真があった。まさに、都市崩壊だ。E・ユーハイムの店でも11名が犠牲となった。内9名は食事中のお客様だったらしい。やはり1階の方が危ないようだ。地震の時間が11時58分ということから想像すると、いつも定刻12時から店に来ても待たされると思って、少し早めの食事を取ろうとしたお客様だったのだろうか。

af59b0dc.jpg地震が発生した時、カールは1階で菓子の製造中であり、崩れるレンガ壁の中、外に出る途中で瓦礫に足をはさまれる。2階にいたエリーゼはヒルデガルドと一緒に瓦礫の中からベガたちに救出される。そしてボビーは父カールの救出が一人では困難であることから応援を頼みにいくところを煙に巻き込まれてしまう。一方、近づく火災に追われ、無理矢理足を瓦礫から引き抜いたカールは足の皮の多くが剥かれてしまうが、何とか堀川を超え、妻と娘とともに南側に脱出することができた。そして、外人専用の救助船に乗り込み、被災外人受入れ拠点となった神戸港に向け脱出することができた。

しかし、その時、家族の所持金は、偶然カールのポケットに入っていた5円札1枚だけになっていた。そして、避難船の上のユーハイム夫妻には、その時、長男ボビーの消息を知るすべはなかったのだ。

舞台はついに神戸に移っていく。

コメント   この記事についてブログを書く
« カール・ユーハイム物語(4) | トップ | カール・ユーハイム物語(6) »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

カール・ユーハイム物語」カテゴリの最新記事