栗林公園は広大

2019-05-14 00:00:12 | たび
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで、三つ星評価がついている公園の高松市の栗林公園に行った。瀬戸内海の小島である男木島で山道を歩いた後なので、あまり歩きたくなかったが、成り行き上、仕方ない。

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調べると、日本で一番大きな公園ということになっている。75万m3。うち平坦な部分は16万m3。もっとも、東京都千代田区千代田1丁目1番地を宅地ではなく公園と解釈すると、お堀の内法で115万m3、外苑まで入れれば230万m3もある。その1万分の1だけでも切り売りすれば、就職の決まっていない留学生の母親の借金など解決するのにと思うが問題はそういうことではないようだ。

もっとも、西太后の愛した北京の頤和園は290万m3もあるので、どうやっても勝てない。池の向こう岸が見えないのだ。

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栗林公園はその規模からいって大名の拵えかと思っていたが、そうではなく地元の豪族の佐藤氏が16世紀の終わり頃に庭園を築いたと言われる。その後は大名の手に譲られ(あるいは奪われ?)生駒氏、松平氏がさらに改造を加え、明治時代以降は上級国民ではない一般市民にも公開されることになった。

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園内の池には鯉や鴨がいるが、ウシガエルがモウモウと鳴いていて懐かしい。

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奇景としては根上り五葉松というのがある。解説によれば、徳川11代将軍家斉から賜った盆栽の五葉松が大きく成長したものだそうだ。盆栽を地植えしたわけだ。将軍さまには内緒だ。

実は、この話で「もしかしたら」という予感が湧き出した。家斉公といえば有名なのが子沢山。16人の妻妾に産ませた子供は男子26名、女子27名の合計53人(55人説あり)と言われる。そして問題は27名の姫君(男子だって問題だろうけど)。結婚適齢期まで到達した姫は、諸大名の正妻として降嫁していた。その時、必要なのが持参金である。

持参金にはいろいろなものがあり、江戸時代の初期には、大名家から将軍の側室に入れるために逆に持参の品々を納入していた。それらがかなり幕府の倉庫に眠っていたものを、姫君の持参の品に転用もしていた。リサイクルである。それから、石高増というのもある。魅力的なのは幕府のご天領の一部を持参金とし徴税権を譲るわけだ。そして有名な話だが第21女である溶姫が前田家に嫁ぐときは前田家の藩邸に大きく赤い門をプレゼントした。これが東大の赤門になった。将軍の娘を側室にはできないので正妻とすると、正妻は江戸に住むことになっていた。門は加賀藩までは運べないが、盆栽は高松まで持ち帰ったのだろう。

そして、家斉と高松藩の関係を見ると、第16女の文姫が高松藩主松平頼胤に嫁いでいる。つまり五葉松の盆栽は持参金だったわけだ。


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