うたの人物記(小池光著)

2023-01-25 00:00:42 | 書評
短歌の本である。まず、短歌と和歌の違いはご存知?意外と変な区別になっている。江戸時代までの作品が和歌で、明治以降が短歌というようだ。どうも俳諧と俳句というのもそうだが、正岡子規が「古典を捨てよう」運動をはじめて、古い作品を箱に詰めて「和歌」とラベルを貼ったようだ。

本書の題名である「うたの人物記」とは国の内外の著名人の名前を短歌に織り込んだ作品を集めて観賞しようという切り口の本だ。

例えば、
小沢一郎しづかに崩れゆくときの数の論理の美しきかな (岡井隆)

希土類元素(レアアース)とともに息して来し父はモジリアーニの女を愛す(俵万智)

硝子屑硝子に還る火の中に一しずくストラヴィンスキーの血(塚本邦雄)

窓ガラスかすかに揺るる八月の玉音に似てフルトベングラー(佐伯裕子)

*フルトベングラーはドイツの指揮者。戦後、ナチ協力者の裁判にかけられたが無罪となる。ヒトラーがベルリンで敗死したことが報じられたラジオニュースではワーグナーの「ジークフリードの埋葬行進曲」が流された。フルトベングラー指揮ベルリン交響楽団の演奏版だった。

八月の玉音とフルトベングラーはつながっているし、歌人佐伯裕子氏の祖父はA級戦犯として刑死した土肥原賢二氏(元陸軍大将)である。

同じ歌人が花火のような人生を終えた俳優を詠む。

むきだしの壁に画鋲でとめられて朽ちてゆけ私のジェームス・ディーン(佐伯裕子)

*本当は、ジェームスではなくジェームズではないだろうかということは置いて、「朽ちてゆけ」という表現は歌人がジェームズ・ディーン愛から卒業しようという意思のあらわれだろうか。

たった三本の映画に出演しただけの大スター。映画評論家だって、私だって3本観るだけだ。こういうのがいい。歌人だってファンになる。

個人名は歌に詠むというよりも、自作の歌に取り込むというか閉じこめるような感覚なのだろうか。もちろん、短歌に閉じ込めるにあたって、もし生者であっても本人に連絡などしないのだろう。単に地名と同じ固有名詞と割り切ってしまうのだろうか。