醤油会社の話は難しい

2019-09-16 00:00:39 | 企業抗争
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションを訪れた後、運営しているヤマサ醤油の歴史を調べてみると、なかなか興味深いことが多かった。

一方、現在、国内の醤油の会社別生産量でいうと、キッコーマン、ヤマサ、ヒゲタの順になっている。キッコーマンは千葉県野田市、ヤマサとヒゲタは千葉県銚子市の会社だ。さらに現在はキッコーマンとヒゲタは資本提携している。

この三社はそれぞれ歴史を持つ会社であって、ライバルである一方で、資本的つながりを持ったことがあるようなのだが、それぞれのホームページに社史が書かれているのだが、しっくりこない。まあ、社史とは不都合なことは書かないものだから、同業各社を並べれば差異があるのは仕方がないのだろう。ということで、決定的なことはわからないので、サラッと書くしかないようだ。

まず、ヤマサから。

創業は1645年。元々紀州(和歌山)で溜り醤油を作っていたのだが、知人の勧めで銚子にわたり、そこで醤油作りを始めた。当初から浜口家の家族経営だった。そして、紀州では鎌倉時代に遡り、由良にある禅寺で径山寺味噌を作っているときに、製造ミスで醤油ができてしまい、「これはうまい」ということになったのが日本最初の醤油作りで、ヤマサ醤油もその流れである、ということだ。

浜口家は、代々、銚子と紀州と二ヶ所に住んでいて、八代目の当主である浜口梧陸が紀州にいるときに、南海トラフが動き、1854年12月23日と24日にそれぞれM8.4 の安政の大地震が発生した。23日の地震は朝9時ごろ、24日の地震は16時半頃なので、この24日の地震の時に和歌山に津波が押し寄せたわけだ。ちょうど日没の頃で、浜口家のある高台からは遠くの津波が見えたそうで、海岸に住む住民に避難を知らせるため、自宅付近から海岸までの間の刈り取ったばかりで乾燥中の稲に火を放って急を知らせると同時に山に登るように合図を送ったということで、元々は小泉八雲が英語で書いた話を日本語に訳して、戦前は教科書に使っていたそうだ。これを「稲むらの火」というらしい。12月24日に刈り取ったばかりの稲が干してあるだろうかと疑問もある。

次に、ヒゲタ。

こちらの創業は1616年ということだそうだ。シェークスピアが亡くなった年だ。田中玄蕃という人物が創業者ということになる。つまり、ヤマサより古いと言いたいのだろう。だからヤマサは鎌倉時代の味噌の話を書くのだろう。ところが大正3年(1914年)銚子の三つの醤油醸造会社、田中家と浜口家、深井家の三蔵が合弁して銚子醤油という会社を作り、その後、ヒゲタの社名になる。

浜口家といえばヤマサであり、ヒゲタの母体の一つになった浜口家とヤマサの関係はよくわからない。さらに昭和12年にキッコーマンと資本提携するが、昭和22年に経営分離するも2004年(平成16年)に再びキッコーマンと資本締結をはじめた。

そして、キッコーマン。

創業は1661年ということ。三社の中では最も遅い。沿革はごく簡単に記載されているだけだ。

三社とも自分の会社の記念館を持っていることは共通である。
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