朝鮮飴とは

2018-12-07 00:00:08 | あじ
熊本のお土産で『朝鮮飴』をいただいた。なんとなく、秀吉の朝鮮攻撃の時、主力として活躍した加藤清正が、飴をつくっていた半島の人たちを強制連行して熊本で飴を造らせたような語感を感じる。例えば、有名な陶器である有田焼、萩焼、薩摩焼などは、半島からの陶工によるものとされる。陶工問題はそのうち政治問題として浮上する可能性はある。

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そして、朝鮮飴だが、実は、まったく違っている。いわゆる求肥のような食感なのだが、純日本製。ただし、問題にならないかと言うと少し危ない部分もある。要するに朝鮮出兵の時に加藤清正は兵士にこの飴を所持させている。つまり、戦時下の栄養補助ということだ。しかもそれを営々と現代まで伝え、日本人が食べ続けているわけだ。

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追加すると、江戸時代においては、肥後藩藩主の細川家は、この飴を非売品にして、天皇家と徳川家への贈答品に用いていたそうだ。みんなでベロベロしていたわけだ。


ところで、最近、岩波新書で『朝鮮(金達寿)』を読んだ。1958年に在日朝鮮人作家が書いた朝鮮に関する書物で、多くは歴史が書かれている。



国家が統一するまでのさまざまな外圧や内部分裂、統一した後、中国による介入や侵略、秀吉からの厄災、そして李朝崩壊と日露の勢力争い、日韓併合、そして朝鮮動乱と南北分裂。1958年の状況では北朝鮮の方が工業化していたことや金氏が北側の国籍だったことで、やや北よりの内容だが、当時ではしかたなかったのかもしれない。

併合中の日本が行った蛮行は控えめに書かれているが、そのうち、一つずつ掘り返される可能性も感じる。