麦秋(1951年 映画)

2018-04-17 00:00:56 | 映画・演劇・Video
bakushu原節子のための映画である。監督は小津安二郎。

原節子は3人兄妹末っ子役で、一番上は戦争から帰ってこないまま何年もたってしまい、両親の心には大きな穴が開いたままだ。次男は病院に務め、医者としてそれなりの地位を得ている。

節子は、都内の個人商社の社長秘書であるが、年齢は28歳と当時では結婚適齢期を過ぎていると思われていて、兄はつてを頼って金持ちの40歳をみつけてくるが、両親も本人もイマイチと考えていた。

とはいえ、いつまでも縁談を伸ばすわけにはいかず、まもなく決定という段階で、急遽対抗馬が現れる(とはいえ縁談の40歳とは会ったこともないわけだ)。兄の病院に務めていた男性医師が秋田の病院に転勤になることを知り、急に、結婚して秋田に行くと言い出したわけだ。

私の表現がずさんなもので意を書き切れないのだが、結局は「封建主義×民主主義」という古くて新しい問題に行き着くようなストーリーだ。

そのあたりから、原節子と現代の宮沢りえとが同じテーマを演じているように思えてきた。人相が派手なのもそう思わせるのかもしれないが、演じる役は封建主義だったり民主主義だったりするが「たそがれ清兵衛」なんかそういう映画だ。

結局「麦秋」では、封建主義が滅び民主主義が勝ち、老両親は麦畑に吹く風の中で「これでいいのだ。家族はいずれ離れていくものだ」と達観する。季節が秋になって、冬がきて、封建主義は大相撲の中だけに形骸を残すのだろうと思わせるのだが、これが大間違いだ。

「麦秋」とは俳句の季語でもあるが、秋のことではない。麦にとっての秋、すなわち春の終わりから梅雨までの時期を指すわけだ。では何を意味しているのか。私にはさっぱりわからない。

本映画で問題となるのが、秋田に転勤になる医者のことを必要以上に左遷扱いしていること。秋田県民に失礼な感じが漂う。もっとも秋田大学に医学部が誕生するのはこの映画の20年も後のこと。作家兼医師の南木佳士氏が一期生のようだ。

ところで、67年前の映画であり子役を除き出演者の全員が鬼界入りしているのかと調べてみた。主演の原節子は43歳で引退し、2015年に95歳で他界している。実はあまり重要な役ではない友人役で出演した女優が志賀眞津子。現在は92歳だそうだ。この「麦秋」がデビュー作だそうだが芸名の志賀にはわけがあって、父親が作家の志賀直哉の知人であったそうで、志賀直哉の推薦で小津安二郎監督に紹介されて女優になったそうだ。芸名を決めたのは志賀直哉だそうだが、自分の苗字を分け与えてしまったわけだ。かなり腑に落ちない話だ。