茶碗の中の宇宙

2017-05-21 00:00:52 | 美術館・博物館・工芸品
近代美術館で開催中の『茶碗の中の宇宙』へ行く。ミクロコスモス イン ティーカップか。

別の名前を考えると、『樂家の人々』となる。

raku


茶碗がなければ、たぶん茶道は始まらない。もっとも利休なら紙コップでも一席作れるだろう。何もなくても掌二枚でもエア茶道とかやるだろう。何しろ始祖なのだから。

そしてもう一人の始祖が長次郎。茶碗師なる職業と呼んでいいのだろう。もっとも一子相伝という他には能楽の世界か天皇家(天皇家は養子相続禁止だからもっと条件は厳しい)のような世界なので、初代から15代目の当主まで樂家の人たちのうち13人が吉左衛門と名乗っている。

それでは不都合なので、本名がある。初代長次郎は吉左衛門を名乗らなかった。利休の時代だ。ろくろを使わずすべて手で成形し、土の色そのものを表現してしまう。中段に横一線のわずかなくぼみが特徴。当時の品としてはかなり多くの作品が残っているが、似て非なるということばはまさにそれらの作品群で、数十メートル離れた場所からは同じようにみえても近づけば一つとして似ていない。装飾度を数字でしめせば10段階の1か2。しかし、なんとしても欲しくなる。

展示品を欲しくなるという気持ちには、なかなかなるものではないが、もとより茶碗は手に持つものだからそういう犯罪的な気持ちになるのだろうか。

二代目は常慶。父の背中を見て育ったという典型で、初代より茶碗が大きくなる。あるいは茶碗を回し飲みすることが一般化して大きいものが求められたのだろうか。初代と二代目は好みの問題だろう。

三代は道入。三代目は何にしても重要だ。政治の世界、経営の世界も同じで祖父が首相とかね。二代目をボン、三代目をボンボンと呼ぶのだろうが、樂家の三代目は、樂焼を茶碗界随一の座に輝かせた大功績者だ。茶碗に赤や黄色をうっすらとのせてみたのだ。また、素朴から可憐、あるいは男性的から女性的というか、ますらおからたおやめというか。

茶道が都会の町人の中に溶け込んでいった時代に新感覚作品を世に問うたわけだ。

個人的にはもっとも好きな人物。とても17世紀の人とは思えない。茶碗界では、この後一樂二萩三唐津といわれる。樂は茶碗に主義を持ち込み、萩は人生のはかなさを軽みで表現し、唐津はあくまでも完成美にこだわる。三者三様。

そして、徳川宗家のように樂家もその後、後継に苦闘していき養子に頼るようになる。そして江戸末期から昭和初期まで、茶道会は低空飛行を余儀なくされる。文化は後回しの時代だ。復活は昭和40年頃からの景気回復によるのだが、現在の15代目は、まったく過去とは断絶することを決意したようだ。イタリアで学び、色鮮やかできらびやかな宇宙を茶碗の中だけではなく外側まで放出していく。装飾度10。

別に批評することではないが、イタリア(ムラーノ島)にガラス工房までもっていたガラス工芸家藤田喬平氏の後を追うのだろうか。この15代目の作品が大量に出展されているのだが、初代とはまるで逆で、なんとなく異なる意匠ではあっても、それぞれが似ているような感覚を覚えてしまう。