ジュリエットからの手紙(2010年 映画)

2016-07-18 00:00:30 | 映画・演劇・Video
2010年の米国映画だが、舞台はニューヨークからイタリアのベローナへ。ニューヨーカー誌の記者をめざすソフィーはイタリア料理店の開店を直前に控えたヴィクターとベローナに婚前旅行に行くのだが、よくある話だが、旅行の目的が違った。イタリア料理の勉強にいそしむヴィクターには付き合わず、ソフィーは観光に。

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そして、シェークスピアの名作「ロメオとジュリエット」に登場する(実在するのはおかしいのだが)『ジュリエットの家』に行くと、世界中の恋愛問題に悩む女性が壁に手紙を貼り付けていく。「拝啓 ジュリエットさま、わたしは不倫中です。ホテルデートの画像が週刊誌に掲載されてしまいました。どうしたらいいのでしょう。」とか。

その手紙に対する返事を、ベローナ市の観光局の嘱託を受けた女性たちが、せっせと書くわけだ。記者をめざすソフィは、その現場を突きとめ、潜入したわけだ。そして、ふとしたことから一筆かくことになるのだが、彼女は壁のレンガの隙間から50年前に英国女性の書いた手紙を見つける。イタリア人男性との駆け落ち予定場所に勇気がなく行かなかったことを後悔する内容だ。

そして、それに対する手紙を送ってから、わずか数日でクレアと名乗る老夫人が孫の男性を連れて登場する。そしてロレンツォ・バルトリーニという男性をさがすツアーが始める。場所はシエナ。つまり現代のロメオとジュリエット。

そして、結末から言うと、クレアはロレンツォを見つけ結婚することになり、ソフィはヴィクターを捨てて、クレアの孫と交際することになる(らしい)。ソフィを演じるアマンダ・セイフライドは今年の初めに世間を驚かせたベッキーにそっくりで、もしかしたら、彼女もこの映画を観て、行動が積極的になったのではないかと書いて、本日は終わり、にすればいいのだが、今は英国のEU離脱が決まった直後である。

この映画も英国人とイタリア人、アメリカ人の差をことさら強調しているのだが、まあなんでも柔軟なアメリカ人のかわりにドイツ人を組み合わせれば、最初から映画にならないだろう。1秒でけんか別れ。欧州の統合というのは単なる看板であり、本気でそれを行おうとしたところに彼らの失敗があるのだろう。

そして、さらに深く考えていくと、英国人であるシェークスピアはなぜ、イタリアを舞台に選んだのだろう。なぜイタリア人のような浮気性に、恋愛においての永遠の悲劇というような場違いな役を与えたのだろうか。英国人は、あの劇をみて悲劇のイタリア人たちに共感を持つのだろうか、と疑問がわきあがってきた。日本人からみれば美しい悲劇だが、英国人はイタリア人の間抜けさ(睡眠薬で眠っている恋人が死んだと早合点し、自殺した行為)を失笑しているだけの喜劇なのではないかとか。

ところで、壁に手紙を貼るという行為は、日本では「絵馬」ということになる。神社で山盛りになった絵馬を読むのが好きなのだが、絵馬に対して返事が書かれたということは聞いたことがない。思えば日本人が絵馬に書くのは「○○高校、絶対合格!」とか、「今年こそ病気が治るように」とか、ほとんどが神様たちに「祈り」といいながら、命令調が多いわけだ。本来、祈るとか神に頼むとか言う前に、自己責任であるべき事象を神社に持ち込んでも、妥当な返事は書けないだろうね。