帝国データバンク資料館

2013-09-22 00:00:32 | 美術館・博物館・工芸品
teide2信用調査では日本でもっとも規模が大きい帝国データバンク社の資料館が市ヶ谷の防衛省の向い側にある。本社は青山だが、ここは分館みたいなものだろうか。最上階(9階)が資料館となっている。

常設展示では、「信用調査業」の歴史について触れられていて、人類が交易をはじめた遠い過去から、「為替」という形態で取引相手に「信用」を与えた瞬間から、「債権リスク」が発生し、それについて相手側の破たんリスク率を計測する必要が生じたようだ。

つまり、おカネが回収できない可能性である。AAAとかBB-なんていうのと同じだ。

したがって、江戸時代が終り、日本が商業国に変わった瞬間から信用調査の必要が始まり、東京商工リサーチの前身である商工社はじめ多くの社が参入し、その内、数社が成長していった。その一つが帝国興信社。後に、帝国興信所と社名を変更する。

さらに。国内では後発だった帝国興信所は、支店を海外に拡大していき、主に中国大陸を中心に海外事務所29まで拡張したそうだ。

そして、終戦と同時に海外事務所のすべてを失うと同時に、国内支店も都市の中心街に立地していたため、ほとんどが焼失。文字通りチリと化してしまった。

そして、戦後、帝国興信所は再生し、現在は帝国データバンクと名称を変更。業界1位である。2位(東京商工リサーチ)と合わせると90%を超えるという寡占業界になっている。

731特別展として、百年史編纂行事のために、中国各地を取材した「現地取材15年間の記録」が紹介されていて中国各地の写真が展示されていた。違和感があったのが哈爾濱郊外平房の写真。いわゆる陸軍731部隊である。敗戦と同時に証拠隠滅工作を始めたものの、ついにボイラー室を爆破することはできず、それが70年間保存されている(うっかりすると世界遺産になりかねない)。

では興信所とI中将と何か関係があるのだろうか。まったくわからない。


ところで、戦後の事業内容については、よくわからない点もあるのだが、展示資料中の記載事項に、1973年に個人調査を廃止した、となっている。就職や結婚の時の出自の調査のことだろう。つまり、それをやっていたわけだ。

なお、帝国データバンク社の前名称は帝国興信所だが、それと同名の興信所が現在も実在する。そちらは、もっぱら個人調査とか浮気調査などの探偵業の方向である。

なお10月1日からは、全国の企業博物館からの「お勧めの一品」が展示されるそうだ。期待できそうだが、東京駅構内に並ぶ全国の駅弁みたいなものかもしれない。