ラミダス猿人とか

2009-11-03 00:00:58 | しょうぎ
jinkotu2東京大学総合研究博物館に「ラミダス猿人」を見に行く。10月2日号のサイエンス誌で、組み立て全身像が全世界に公開されたこともあって、人気殺到かと思ったが、そのエリアは誰も目もくれないようだった。10月31日までが東大での展示で、11月3日から29日までは、国立科学博物館に場所を移す。

実際、東大で公開されていたのは、頭蓋骨の一部と骨盤の一部だけ。そういう部分部分の骨を世界の複数の研究機関が、あれこれと推論を重ねて、全身像を作ったわけだ。

時代は、現在から440万年。アウストラロピテクスの時代が400万年前から100万年前と推定されているので、その前の時代である。猿人といわれるように類人猿から分かれた一分類であり、現在の新人と繋がっているのかどうかは不明である。たぶん違うだろう。

巨大な恐竜やマンモスの化石は色々を見つかるのに、人類の化石がなかなか見つからないのは、その居住している場所ということで、だいたい、森とか海とかそういう気候変動の激しい場所に好んで住んでいた。遺骨の保存状況が悪い。

man化石が残りやすいのは、砂漠とかツンドラ地帯とか、そういう場所が多く、人間の住んでいた場所とは、かなり異なる。

個人的には、人類はかなり遺伝情報が変化しやすい種ではないかと思っていて、そういうのも遺伝の因果関係をわかりにくくしているのではないだろうか。

で、このラミダス猿人の脳容積が、類人猿より大きくなった原因として、顎(下顎)骨の縮小化が考えられているようだ。突然変異で顎骨の小さい個体が発生する。顎が小さくなったため、脳が大きくなる空間が頭部にできたということだそうだ。(ちょっと、乱暴な説とは思うが)脳が大きくなると、頭がよくなって、生存競争に勝つことになったということらしい。東大生みたいなものだろうか。


ところで、ラミダス猿人の展示は、ほんの一画だが、同時開催のキュラトリアル・グラフィティ展の中で、日本人の頭蓋骨が時代別に並べられていて、これがなかなか面白い。

最近の研究で、日本人のルーツの一つが「縄文系」とされ、ケニア周辺からアラビア半島南部、インド、インドシナを経て海路日本に入ってきたとされ、もう一つの大きな流れが、ケニアからアラビア半島を北上し、中央アジアでヨーロッパ系と二手にわかれ、シベリア方面からモンゴルを経て朝鮮半島から稲作とともに日本に渡航してきた、「弥生系」とされる。おおむね縄文対弥生で6:4と言われる。

jinotuこの二つのルーツの頭蓋骨は、まったく形が異なっていて、長頭で彫の深い縄文系と丸顔で顔立ちの扁平な弥生系と特徴的である。念のため、歯の本数を数えると、どちらも32本。現代人と同一種である。

さらに、この二つのタイプの頭蓋骨の比率は時代とともに変化していて、特に江戸時代の末期には、大部分の一般の日本人の顔は、「球形」に近かったそうだ。そして明治以降は顔が長くなる。

この話は、前から感じていて、幕末の黒船来航あたりの絵を見ても、どの絵でも描かれる民衆の顔が球形なのである。簡単に言うとサザエさん一家である(マスオさん除く)。現物で言うと、長門裕之的というか。

当時の画家の絵が下手だったのではなく、実際に、一般庶民は球形ヘッドが多かったのだろう。もちろん、維新に登場する有名人たちは、上級階級だったのだから、球形ヘッドの人は少ないので、そういう話は歴史では教えないのだろう。なぜ明治になって球形から卵型になったか?戦後、日本人の足が長くなりはじめたのと同様に、原因はよくわからない。


ところで、縄文、弥生という言い方をよくするが、縄文とは当時の土器の文様によるネーミングであるが、弥生というのは地名である。それも、奈良とか鎌倉とか京都とか江戸といった大面積の地名ではなく、東京大学の裏手の、単なる町名である。歴史上に「弥生時代」と過大なる固有名詞を得ることができたのも、東京帝大のご威光によるものだろうか。
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