消去法

2008-10-29 00:00:17 | スポーツ

自画自賛は大嫌いだが、弊ブログ10月16日号「WBC監督/はっきりしない人たち」で予言したように、WBC監督は原辰徳氏に決まった。

別に、彼が一番ということではないだろうが、ナベツネ嫌いな野村は断るだろうし、星野は勘違いもいいところ、落合は内弁慶だし、王は残念ながら、燃え尽きている。そうなると、そこそこのレベルにあるのが、原監督ということになる。消去法の一手である。囲碁や将棋でも、いくら考えてもいい手がない時は一番あいまいな手を指す。とりあえず先に進んでからということ。

星野の勘違いというのは、「野球はチームプレーであり、監督の私有物ではない」ことだ。「星野ジャパン」とか、「岡田ジャパン」とか、チームスポーツの経験のない記者が書くのだろうが、それを真に受ける監督というのもみっともない。さらに、人生「再チャレンジ」というのは極めて重要なのだが、それは、ある一つの人生で行き詰まり、別の方向の人生を歩むとか、同じ道にしても、負けた後、その反省と対策を立て、新たなレベルアップして数年後、再挑戦することを意味するわけで、五輪で負けたら次はWBCというのでは、「巨人戦で打たれたから次の広島戦では頑張って投げたい」と、根拠なく言っているようなものだ。まして、五輪より相手はパワーアップする。

そして、何となく、「日本一の監督がいい」という無難な意見にも近い。まだ西武戦が終わっていないが、今年が監督新入生の西武渡辺監督では、アンチ巨人の人でも賛成しないだろう。

ただし、巨人と日本代表とでは、かなり構成の違うチームである。言うまでもなく、巨人は外国人の大砲とかピッチャーをズラッと並べて力任せに押しまくろうという戦術が基本パターンである。前の戦争の時の米軍みたいな戦略である。

ところが、日本代表には、なかなかいい大砲が見当たらない。さらにいうと、WBCに大砲が必要か、という問題に行き着く。本気でアメリカがメジャーの最強投手を日本にぶつけてきたら、まず、2点勝負だろう。2-1とか。チャンスは3度か4度。2点取るには、確実性の方が重要な気がする。

同じく、10月16日の予言では、

「原監督では、イチローと城島は不参加だろう」

「大砲のいない大砲野球で大敗するだろう」

と書いたのだが、イチローも必要だろうが、城島はもっと必要ということではないだろうか。どの国のチームもメジャーの選手が大挙出場するからだ。たぶん、イチローと城島はセットだろうから、この二人が参加するかどうかが重要課題だが、イチローも星野を葬った上、さらに原にまでNOとは言いにくいだろうから、とりあえず出場するような気がする。

そして、五輪終了後、ただちに怒りの不参加表明した選手達が、思い直すかどうかだが、上原、宮本は参加するような気がする。

そして、問題はヤンキーズの松井。彼なら、大砲でもあり、確実性もある、と求められる日本代表の4番像にピッタリだが、故障がどうだこうだと逃げ回っている。

絶対に来ないだろう、と予測するわけだ。

振り返れば、原監督は、2002年シーズン、長島監督勇退の後を引き継ぐ。就任初年度にもかかわらず、4番松井をかついで優勝する。しかし一転、翌年、松井が米国に去るや成績は急降下、首位と15ゲームの大差をつけられ、結局、監督退任に追い込まれる。「憎き男、松井」と思っているに違いないわけだ。”君子危うきに近寄らず”だろう。怪我なのか仮病なのか疑われた横綱のようなヘマはしないだろうから、ギブスでもつけて解説者としてテレビに登場するかもしれない。

ところで、2003年、上記事情で原監督解任ということになったのだが、その報道された日の夜に知人の読売新聞社編集局の人と飲んでいたら、「クビじゃなくて、人事異動なんだよ。まだ読売の社員のままだって・・」とのけぞって絶句していた。

そして、2006年に巨人監督に復帰したわけだから、まだ退職金は受け取っていないはずだ。

しかし、既に50歳。現役選手時代には、「本物の名選手」には今一歩感があったのだから、この先10年で「本物の名監督」を目指すのなら、さっさと退職金を手にして、二流チームで辣腕をふるわなければならないのではないだろうか。WBCの結果がどうあれ、来シーズン一杯で、読売に辞表提出してみたらどうだろう。「少し休暇が必要」とか。

どうせ、2ヶ月もすれば、どこかに絶不調チームがあらわれ、監督解任ということになるだろうから、そこで弱いチームの監督になって勉強してみるといいだろう。

ただし、その時、クビになるのは、清原巨人監督かもしれないが。