イサム・ノグチ少年にこだわる(上)

2006-09-20 00:00:18 | 美術館・博物館・工芸品
aff5f3f9.jpg話は、かなり違う方向からなのだが、現在、日産自動車の泡沫株主である。株主に送られてくる雑誌がある。「SHIFT_」と言う。季刊だし、相当趣味的である。夏号が二ヶ月ほど前に届いていた。特集の一つは12代目のスカイラインであるが、これは漠とし過ぎてよくわからないのでコメントしようがない。そして特集として「世界に住むイサム・ノグチ」が大々的にまとめられている。全18ページを使い、世界各国にある造形作品を公開。

aff5f3f9.jpgところで、造形家のつらいところは、展覧会をしようにも、本当に巨大なものは持ち歩けない。岡本太郎の太陽の塔をイメージしてもらえばいい。その意味で横浜美術館をはじめとして先日開かれた「イサム・ノグチ展」は挑戦的ではあった。

が、やはり庭園や公園やモニュメントなどの代表作は持ってこられないので写真展示にならざるを得ない。そして、その展覧会の中で、短い伝記映画を観た。さらに、彼の波乱万丈の人生に興味を持ち、かなり決定版に近いドウス・昌代さんの書いた「イサム・ノグチ(宿命の越境者)上・下」という大作を読んだ。映画は彼の生前に製作されたもので、伝記の方は、ちょうど取材が終わった頃にイサムは他界している。それなりに、異なっているところもある。

aff5f3f9.jpgさらに、首都圏で簡単に作品を見られる場所として、青山通りに面する草月会館の1階ホールがある。ところが、本来、庭園に置くべき作品をビルの1階に置いたものだから、巨大感覚になり過ぎている。しかし、まあ手ごろの場所ではある。なにしろ、日本では、香川県の牟礼に彼のアトリエや住居があったことから広大なイサム・ノグチ庭園美術館がある(完全予約制)。それから札幌大通り公園の西側にブラック・スライド・マントラという黒い石の滑り台がある。さらにモエレ沼公園にはピラミッド状の「プレーマウンテン」がある。横浜こどもの国にも、遊び場がある。

aff5f3f9.jpgまた、海外には、牟礼の庭園美術館と遺作の所有権で争った、ノグチ・ミュージアムがニューヨークにある。さらにパリのユネスコ本部やエルサレムにも大型作品があり、メキシコでは「メキシコの歴史」と名付けた壁画を作っている(岡本太郎の明日の神話とは、作品の運命が両極である)。

aff5f3f9.jpg一方、彼が一流彫刻家の評価を得たのは30才の頃であり、その後は世界のあちこちを素材(主に石材)やスポンサーや美形の女性を求めて動き回る。結婚したのは1回だけで、相手は山口淑子。4年強で離婚。そして、彼の後半生の話はよく考えれば、そう面白くもない。世間によくあるサクセスストーリーと変らない。実は、壮絶なのは、こどもの頃の大苦労であるということがわかってきた。

そして、その頃、個人的に「童謡・赤い靴のひみつ」を追いかけていたのだが、このイサム・ノグチと赤い靴の実在モデルである「岩崎きみちゃん」は、表裏一体と言えるほど同じような困難を背負っていたのだ。岩崎きみ(1902-1911)。イサム・ノグチ(1904-1988)。米国生まれのイサムは、きみちゃんと東京市内ですれ違っていた可能性すらある。きみちゃんは、1908年から1911年まで3年間を赤坂鳥居坂の孤児院で過ごすのだが、きみちゃんより2歳年下のイサム少年は1907年から1910年までの3年間を小石川で過ごしているのである。

そして、なぜか、どこにも行かないのにイサムの資料がどんどん集まってくるというのも何の因果かわからないのだが、彼のこども時代のことを数回に分け、簡単にまとめてみたい。