濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

sweetback(影の部分)

2018-05-04 14:58:37 | Weblog
朝鮮半島の政治状況を巡り、歴史の大きな転換点を迎えていることを実感する今日この頃である。
ドラスティックともいえるこうした急激な変化に至る要因を考えれば、トランプの背後には、高度情報化社会、グローバル社会に乗り遅れたアメリカの中下流の労働者がいるのだろうし、金正恩の背後にも貧しく餓死寸前の多くの北朝鮮人民がいるだろうことは確かだ。
ついでに言えば、安部晋三の背後にも、「忖度」を好む我々のアジア的なエトスが横たわっているといえるだろう。
何も政治の世界だけではなく、大谷翔平や羽生結弦の華々しい活躍の背後にもそれを陰で支える多くの人々がいるに違いない。
そして、私自身も何か大きなものの背後で、影のように揺らめいている存在に過ぎないのではないかと思われてくる。

背後の影……こんなことに思いを馳せるようになったのは、数多くの名曲を残しているSadeのバックミュージシャンたちが、ずいぶん前にsweetbackというグループを作っていたことを知ったからだ。
彼らはそれぞれかなりクオリティの高いミュージシャンだから、「背後の影」というのも失礼なほどで、彼らが音楽の道を究めるのも、当然だと言えるだろう。
現に「センシティブな夜のお供に」というキャッチフレーズのついた彼らのアルバムは、クールに仕上がっている。
もちろん、影の部分だけで独立しても、やはり「華」となるものがないと物足りない気もするのだが……

Sade - Like a Tattoo (Live Video from San Diego)



Gaze - Sweetback


そういえば、小池昌代に「鳥の影」という散文詩的な作品がある。

「鳥の影」というものに、わたしはいつも、みとれてしまう。
 秋、きりりと空気が澄み、明るい日差しが、さんさんと降り注ぐ午後など、空を飛ぶ本体に少し遅れるように、地上に流れる鳥の影の美しさ──。
 影の落ちる場所はさまざまだった。公園の芝生のうえ、石の径、広げたノート、ひとの衣服のうえにも。
 鳥にも鳥の魂があるのなら、それは身体よりも影のほうこそを、居場所と決めて宿るのではないか。実体から静かに分離され抽象された、もう一羽の鳥を眺めるように、わたしは鳥の影を愛する。


何気ない鳩の様子を描写したものだが、目の付けどころが違い、やはり非凡な感性がうかがわれる。
影が実物以上に生々しい存在感をもつということがあるのだ。
アメリカの中下流の労働者や貧しく餓死寸前の多くの北朝鮮人民のように。
私もまた何物かの濃密な影であるという困惑を忘れずに、市井の人として歩み続けたいと思う。

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