ニセコのダチョウ牧場(第2有島だちょう牧場)

ダチョウの孵化から解体まで行い、命を頂く事、牧場を営む事で得た、学びや気づきを記録しています。

ニセコ町のダチョウ牧場について(先日ニセコ町の広報誌に載せていただいた文章を転載しました)

2022年03月10日 | 日記
先日ニセコ町の広報誌に記事を書いてほしいとのことで書いた文章があり、ダチョウ牧場について分かりやすいかと思うのでこちらにも転載させていただきます。
以下、掲載されたものを若干手直ししたものです。

ニセコ町のはずれにあるダチョウが飼われている牧場をご存じですか?
ここは30年ほど前に南アフリカでダチョウの輸出が解禁され、日本に限らず世界中でダチョウ産業が始まった頃に作られた牧場です。
当時は粗食に耐え、ヘルシーで美味な赤身肉が取れる為、牛肉の代替えになるという事で脚光を浴び、北海道中で飼われていました。
水資源もあまり使わない畜産という事で、外国では大きな牧場がありますが、いろいろな事情から日本ではダチョウ産業が盛り上がることはなく、次第に日本中から牧場が無くなっていきました。
このダチョウ牧場も採算が取れない中、先行きも危うい状況になっていきました。しかし、ニセコ町の子どもたちを始めとした町民の皆さんが平成19年に牧場をふるさと眺望点に選んでくれたおかげで、励まされ、採算が取れない中ダチョウの飼育を続けてきた歴史があります。
ちなみに、子どもたちが餌やりをしたがっている様子を見た私の祖父が手作りのおやつ箱を設置し、最初の頃はその売り上げをあそぶっくさん(ニセコ町の図書館)に寄付していました。
牧場を応援してくださる皆さんのおかげもあって、採算を取りながらダチョウを飼い続けられるようになり、おやつ代の一部を今年からまたあそぶっくさんの雑誌の購入費に充てていただけることになりました。
今年は牧場の名前の由来である有島武郎さんが農場を無償解放して100年目です。解放当時、有島武郎さんは自然を人間本位に扱うことを戒め、人々が支え合う「相互扶助」の考えを唱えました。ニセコ町に根付き、現代の人々にも共感される大切な考え方だと思います。こうした歴史や文化を町内外の方に伝えながら学びなおし、これからも育んでいきたいと思います。
第二有島だちょう牧場 







ウクライナ侵攻とSNSの発展に伴うメンタルヘルスの危機について

2022年03月07日 | 日記


ウクライナ国旗は空の青と小麦や農業を表す黄色だそうです。
写真はニセコアンヌプリを望む牧草の収穫を終えた丘の写真です。
自然の恵みを享受し、感謝する同士としてウクライナの皆さんの安寧の日々が早く戻ることを祈ります。


皆さんはこれからも長く続く可能性が高い不幸なニュースなどに心を痛め過ぎないよう気をつけて下さい。

SNSの発展により新しい戦争が起こっています。
東日本大震災当時、精神科病院のソーシャルワーカーとして悲惨な映像が人々にどのような影響を与えるのかを見てきました。
状態が悪化し、入院に至った患者さんもいました。

昨今のコロナウイルスがメンタルヘルスに影響を与え続けている事に加えて、戦争の悲惨な現実をつぶさに確認できるSNSの発展が青少年をはじめとした人々にどのような不調の種を撒いているのか、研究はまだ進んでいません。
不安定な精神状態になりやすい人々を守り、労ることができるのは周りの大人であったり、信頼できる他者であったりします。
未だメンタルヘルスに対して理解や公助が足りていない日本においては、特に助け合いが大切です。
不安や悩みを抱えこむ前に自分の考えを誰かに打ち明けることは大切で、話を聞くときは批判せずに共感的に聞きましょう。

SNSやメディアの情報を意図的に遮断することも大切です。

東日本大震災当時、支援する側であった私が崩れかけたという経験も有りますのでどうかご自愛ください。




ロシアのウクライナ侵攻と日々の営みの大切さについて

2022年02月28日 | 日記
ロシアのウクライナ侵攻が現実に起こる様子を様々な映像で見ました。

SNSの発展によって戦争はこんなにも身近に感じられると同時に想像力や思いやり、俯瞰した視点がない主張を述べている方々がいることに恐ろしさも感じます。
どうか人々がこれ以上傷つけあい、分断され過ぎないことを祈ります。

私は歴史的、地政学的な背景を鑑みると起こるべくして起きたような感覚を持っています。
ロシアが置かれている状況をみると、日本が戦争に突き進んでいった状況にも若干似ているように思います。
多角的に物事を捉え、悪者に見える一方を批判しているだけでは見えてこない複雑さを感じます。
人類が有史以来続けてきた戦争の必然性を痛切に感じますし、まだまだ人類は発展の途上にあるのだと思います。

ただはっきりと言えることは、実際に戦争の被害に遭っている人々がいて、彼らは私たちと変わらない弱者であるという事です。
人々が不条理な暴力の中で苦しんでいるという事実を想像して、互いに理解し、協調することの意義を考えていくことが大切です。

愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高い。  ヘルマン=ヘッセ

戦争に翻弄され、国民の世論に反して戦争反対の論調を張るなどの行為から波乱の生涯を送る中で、耐えがたい苦しみを抱え、戦争を憎み、平和を愛しつづけた文学者の言葉です。

彼は戦争という人間の身勝手な行為によって奪われる個人の自由や幸福、自然環境の破壊を嘆き、戦争が身勝手に自然や人類に与えた影響の多大さに比べれば個人がささやかな幸せを享受することに何ら悪いことはないと訴えました。

ヘルマン・ヘッセも書いている。ユーモアが大切なんだ。ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだってね。   忌野清志郎

この言葉もとても好きです。
難しいことばかり上から目線で物を言っても通じあえることはほとんどなく、信頼や互いへの敬意を持つことや、様々なチャンネル、受け入れられやすい表現を通して相互理解をしあえるよう尽くすことが大切だと最近は良く感じますし、物事を悲観的に捉えすぎないことにも大きな価値を感じます。


私は調子が悪くなったり、怪我をしてしまったりすることがあるだちょうさんや命を頂く事を考えているだちょうさんと過ごしていると、生きているという事がとても尊く有難いことだと感じます。

歴史が脈々と受け継いできた平和への灯を次の世代にも引き継いでいくためにも、少しでも笑い合える今の幸せを守ること、大切にすることを効果的に伝えていかなくてはならないですし、努力したいと思います。

おかげさまで、私の話を聞いていただくことには一定の評価を頂けていて、学校の旅行などで聞きたいと問い合わせしていただいたり、来年の修学旅行の依頼を頂いたりしています。

しかし、慢心せずに襟を正し、しっかりと子どもたちに良い経験をしてもらえるよう与えられた勤めを果たさねばなりませんね。

そして彼らから頂いた学びを糧にまた学び、少しでも次の世代に良い教訓の種を蒔くために、日々を大切に営んでいかなくてはと思います。

今回更新しようと思った何よりの想いとして、皆さんはどうか日々の心悩ますニュースにばかり囚われず、心と体を思いやった日常を大切にお過ごしいただければと思います。当たり前の日常を大切に生きることが、多くの犠牲の上で成り立つ平和を守ることだと思います。

今年もお世話になりました。

2021年12月31日 | 日記
今年も皆さんには大変お世話になりました。

これまで牧場はチラシを作って配ったり、広告を出したりといったことはしていないので、純粋に皆さんの口コミのおかげでメディア様などにたくさん注目していただき、今日までやってこられていると思いますし、今年もたくさんのお客さんが来てくださって、大変ありがたかったです。

まだまだ皆様に充分還元できてはおりませんが、関わってくださる皆様に楽しんでいただいたり、喜んでいただける牧場にしていくため努力していきたいと思いますので、今後とも皆さんのご協力のほどよろしくお願いいたします。

最近は穀物などの値上がりに伴い、原材料や飼料、燃料の費用などが上がっていますが、おからやビール粕、余ったパンや貝殻などをたくさんいただいていることに加えて、皆さんがどら焼きやおやつをたくさん買ってくださったおかげで、良質の餌を与えることができ、だちょうさんはお腹いっぱいで幸せな年越しが出来そうです。
こちらもだちょうさんに代わって厚く御礼申し上げます。







私が世話を引き継いだ頃はだちょうさんには悪いと思いつつ、餌代を切り詰めていたので、今は良いものをたくさん食べさせることができて、本当に有難いなぁとつくづく感じて過ごしています。

佐々木食品さん、湧水の里さん、ニセコビールさん、羊蹄山麓ビールさん、さいとう製ぱんさん、ようていニセコ市場さん、寿都魚一心さん、その他にもたくさんの農家さんに支えられておりまして、この場を借りて皆さんにも御礼申し上げます。

地域の産業が発展することで、牧場の産品を低コストで生産することにつながり、結果的に地域の魅力を高めることができる現在の形はとても良いと考えています。
地域の事業者が産業廃棄物として廃棄するコストや労力の削減と本来は輸入された穀物などを飼料として与えたんぱく質を作ることで環境に与える影響も減らすことができます。
これは100年前に農場を開放した有島武郎が唱えた「相互扶助」という考えや自然物を共有することについての考え方にも即しています。

また、地域の産品を小さな発信力であったとしても、お互いに発信しあうことで訴求力を高めていくことが望ましいと思います。
域内でモノと資本の移動を完結することが結果的に地域の雇用や労働力、資本を守ることにつながり、エネルギーのロスを減らせます。
地域の中小企業は人々の暮らしに寄り添って成り立ってきた側面が大きく、画一的な大手の企業文化や経済活動と寄り添いながらその街の歴史や文化を守る力となります。
たとえば、どの町に行っても国道沿いに同じようなお店が立ち並ぶ光景がよく見られます。
小さな店の商売が成り立たなくなると地域の産業は衰退していき、町の活力も衰え、人口も減っていきます。
最終的には国道沿いにあった大手企業のお店もなくなり、その街にあった歴史や文化も無くなってしまいます。
目に見えない形で徐々に域内の産業から資本と人材が流れ出ていく状況をほっておくと取り返しがつかないということが良く分かります。
北海道はどこもそのような状況が今後も続いていくのだと感じます。
元々は広い土地に、効率的な農業生産の可能性や石炭などの資源を持っていたにも関わらず、自然を破壊するように開発して得た資本はどこへ行ってしまったのでしょう。
かつて松下幸之助は北海道は北欧3国にも勝る発展の可能性があると言っていました。しかし、いまでは人口の流出は止まらず、社会の発展は望めないので、いかに社会インフラを保ちながら町をコンパクトにしていくかという課題に取り組んでいます。
衰退していく地域の中で、社会の生産性や文化、自然環境を維持していく仕組みを考えるというのはなかなか難しい気もしますが多くの知見が増えたことや今まで省みられることがなかった自然に配慮した行動が支持されるようになったと感じています。
地球環境のことや地域の問題、少子高齢化問題などの頭を悩ませる課題が多すぎる状況ではありますが、だからこそ些事などに囚われずに大きな視野で「相互扶助」的な考えを持って人々は助け合う必要があるなぁとつくづく感じています。
私も微力を尽くさなくてはなりませんね。



長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。
良いお年をお迎えください。

















修学旅行生にお肉を食べてもらい、いのちを頂くことについて授業をさせてもらい、学ばせてもらうありがたさ

2021年12月10日 | 日記

先日、怪我をしてしまった雛をスープにして学生さんに食べてもらいました。

だちょうさんに実際に触れ合って、動物が生きている事を感じてもらったうえで、と畜場でと畜の方法を話します
そのあと、骨から煮込んでアクを丁寧に取ったスープを飲んでいただきました。

私はアニマルウェルフェアや環境保護の観点を教えることはしますが、こうあるべきとは伝えてはいません。

子どもたちに目を開いてもらうことを意識して話しています。

普段何気なく過ごしていますが、食べるということについてや今私達が生きているという事について、自由に過ごし学べる喜び等を少しでも子どもたちに感じてもらえればと思いますが、こればかりは長い時間と良い経験が必要で、短い時間で押し付けることはできないですね。

今回の子どもたちにも美味しいと食べてもらえて、なによりでした。


この写真は牧場の丘に積もった雪で雪だるまを作っている様子です。

雪が降ったら災害のようになる地域の子ども達なので、一面の雪景色と自然の中で友達と雪合戦をしたり、何かを作ったりと大はしゃぎして過ごしていました。

写真の子は本当はシンガポールに行く予定だったそうです。
なんの因果か、コロナの影響でニセコの変わった牧場に来て、雪だるまを作っているというのも人生の面白さ。

いま、ここでしかできない良い体験だったことでしょう。

私も彼らが精一杯遊んで、笑顔で過ごす様子からまたたくさんの刺激を頂けて、ありがたい時間でした。

そのあと来た別の学生さんから「初めてと畜したときどう感じましたか?」と尋ねられました。

私は最初鶏も殺せなかったことを伝えました。
全身から嫌な汗が噴き出てきて、手も汗でじっとりした感触だったことが忘れられません。
ためらい傷がかわいそうで、うまく殺してあげられなかったことが今でも心残りです。
だから皆さんときっと同じですよと答えました。

わたしはこの牧場に来ることになって、と畜することになって、こういうことを生業にすることになっただけなので、えらいわけでも、特別でもないということが伝わると良いのですが。

この質問がまた新しい刺激となって、私に良く考えさせてくれました。

どうやら命を頂いた子たちのことを忘れずに、ここを訪れた人々に良い学びや未来が訪れるよう、この場所が良い場所として残るよう勤めることが、命を育み、命を頂いた彼らへの責任であり供養のようなものなのかもと。

長く苦しい道のりで、まだまだ先が長い道ですが精進していくのみだとしみじみ感じる日々です。