歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

「世界の哲学者に人生相談」12回を見ましたが…。

2018年07月13日 00時04分19秒 | 日記

最近亡くなられた桂歌丸師匠が最後の「笑点」であり、卑怯で責任を逃げまくる「惨憂体炎落」などが日テレの反日プロパガンダとなり下がった「笑点」は最早「笑止…」である。
落語家を落伍者にした「アカヒ低真っ黒う」は、反日の黒い赤である。
「吸ったんだーる」か!
この「世界の哲学者に人生相談」は正直、笑点で扱う様な内容だった。
「老いる事が怖い、鏡を見るのが恐ろしい」(44歳女性)が最初のお題だった。
そこでカール・グフタフと言えばケンプだよね?いや「ユング」の登場である。
「人生は一日の移り変わりに似ている」と言う事で年齢を一日の時間に例えていた。
「人生の午前の法則を人生の午後に引きずり込む人は心の損害という代価を支払わなければならない。」
とは面倒な例えである。
そして「午前から午後へ移行するとは以前の価値の”値踏みのし直し”である。」
とまた来たものだ。
まぁ後で怒りの話になるのだが、この例えも「ウイット」が無い。
丸で今の「笑止…」であろう。
私は「ある種のお笑いはとびきりの哲人」と思っている。
高田純二は「俺には老いるも老い無いも無いさ。」
と言っているがこれも面白くない。
所が何の歌か?「「若い」と言う字は「苦しい」に似ている「老い」という字は…何に似ているのか?」
に私がヒットした。
「若い」と言う字は「苦しい」に似ている「老い」という字は「考える匕(日)」に似ている。
これは私流の「午前から午後へ移行するとは以前の価値の”値踏みのし直し”である。」
それはともかく、ユングってのは大した事無いなと思う。
私が「老いる事が怖い、鏡を見るのが恐ろしい」と言われれば、こう答える。
「老いを怖がるのは、明日の生命がある前提である。」
更には「怖がる」のは「確実に保証が有りもしない未来」を信じている「妄想の別の形態」である。
そして「誰も今日が零(霊)時(人生の終わり)とは知らない。」
また「老いを怖がる」のは「死を怖がる」よりマシな悩みである。
それでも老いて行くのが怖いなら「山本リンダを見ろ!可能性は、まだある、山本リンダなら俺は勃つ」
こんな話で論点をずらすのが一番だろう。
ラ・ロシュフコーの箴言に「死を直視するのは太陽を見るのと同じだ」と言っている。
このラ・ロシュフコーは「老い、死、陰謀、権力、絶望」をテーマに色々言っている。
老いが怖い、死が怖いと言う人は一回読んだら良いだろう。
角川文庫が有名で良い仕上がりです。
次にはカンニング竹山の悩み「日々イライラしている。」
これは相手に効率的行動を期待する事を一々説明せざるを得ない性分の自己嫌悪だった。
20世紀フランスで高校教師をしながら「幸福論」を書いた「アラン」は「怒り」について
「もし咳(の出し方)が出てもその悲劇を最初の段階だけにとどめておけたらトローチは要らないだろう。」
と言っているが、どうも「ガス抜きをしていれば問題にならない。」と言う事らしい。
48歳の生涯で多くの著作を残し、不朽の名作「人生論」の三木清は、
「怒りを避ける最上の手段は機知である」
と言っているが、どうも、この番組はトロ臭い。
この人生相談は総じて「ウイットのある思考」で解決しそうな内容である。
またカンニング竹山の「余計な忠告」は「お笑い失格」な事で、明石家さんまさんの様に「笑いに変える」のが一番なのだろう。
つまり「世界の哲学者に人生相談」を見るより「お笑いさんま御殿」を見た方が良いのである。
何かノリが今一の話でした。



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