魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

森本穫の研究や評論・エッセイ・折々の感想などを発表してゆきます。川端康成、松本清張、宇野浩二、阿部知二、井伏鱒二。

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戦時下 自己改革の時代 その3 「生命の樹」の主題と戦争

2014-12-18 01:07:53 | 論文 川端康成
戦時下 自己改革の時代 その3 「生命の樹」の主題と戦争

川嶋至の厳しい批判

 以上のような武田勝彦の説の以前に、「生命の樹」に激しく反発し、否定した川嶋至の有名な説がある。

 川嶋は、『川端康成の世界』(講談社、1969・10・24)の戦後を論じた第7章「美への耽溺――『千羽鶴』から『眠れる美女』まで――」の冒頭で、康成の鹿屋基地体験と「生命の樹」にふれて、次のように激しい言葉で康成の戦後の文学を根底から批判し、否定した。

   川端氏は敗戦の年、昭和20年4月、海軍報道班員として鹿児島県鹿屋の特攻隊飛行基地におもむき、一月あまり、死に飛び立つ特攻隊員や、敗北の色濃い基地のもようをつぶさに視察した。短篇「生命の樹」(昭22(ママ))は、その見聞を土台にしてなった、唯一の作品である。

小山の多い、あの基地の5月は、新緑が私の心にしみた。
   (中略)どうして、自然がこんなに美しいのだろう。若い方々が死に飛び立ってゆく土地で……。(以下略)

 川嶋は「生命の樹」の中でも最も印象に残る自然の美しさを描いた部分を引用したあとで、川端康成のいわば根幹の主題について、
次のように、問題を提起する。

   それにしても、お国のためにと散っていく若い生命の最後を目のあたりにし、基地内に流れる暗い戦況の情報からそれらの死がいかに無意味なものであるかを熟知しながら、ひたすら自然の美しさにうたれている人間とは、いったい何なのだろうかと思う。戦中戦後の荒廃が自然をより美しくふりかえらせたことも、若い死にかこまれた自然が心にしみたこともわかる。

   しかし、それだけにとどまっていられるものだろうか。と言っても、川端氏には通じないだろう。駒子のひたすらな営為を「徒労」とみる島村に、特攻隊員の死もまた大きな徒労と写ったに違いない。「禽獣」たちの死を黙って見過ごす「彼」を創造した川端氏は、沖縄の死地に飛び急ぐ魂を、むなしく凝視するだ  けなのである。確かに、一個人が誤った現実にいかに切歯扼腕したところで、傍観者と何ら異なるところはなかったであろう。

   しかしそれにしても、川端氏の特攻基地での体験が、「生命の樹」という一短篇しか生まなかったこと、それも「私」の眼に映ずる自然の美しさが語られる作品しか生まなかったことに、私たちは愕然とし、あの大きな戦争にすらも人間的な関心を示さずに素通りできた作家に、恐怖に近い尊敬の念を捧げないわけにはいかない。


戦争を素通りできた作家

 川嶋の批判は、鹿屋特攻基地をつぶさに経験したにもかかわらず、「あの大きな戦争にすらも人間的な関心を示さずに素通りできた作家」康成に向けられている。しかも「自然の美しさ」を主題とした「生命の樹」一編しか書かなかった作家のあり方に「恐怖に近い尊敬の念」を捧げる、と痛烈な皮肉を浴びせているのである。
 川嶋の批判は、まだつづく。

 日本の近代文学が、1、2の例外を除いて、「政治や社会の問題に触れることをやめて、ひたすら個の内部を凝視しつづけてきた伝統」を康成はかたくなに踏襲し、「かくて、川端文学は敗戦後も変ることなく、政治や社会から隔絶した『非現実』の美を追求しつづける」と述べるのである。
 川嶋の批判は、ここからさらに進んで、戦後の川端文学全体を否定するところにまで進む。

   従って戦後の、あるいは「雪国」以後の川端文学には、「現実精神の強さ」も「浪漫精神の高さ」もない。あるものは、もの悲しい情緒だけである。古美術や女体のかもしだすあえかに美しい雰囲気だけである。


川嶋説の限界

 しかし、はたしてそうだろうか。

 川嶋は、康成が、戦争を素通りしてきた、という。それなら川嶋は「英霊の遺文」を、どう考えるのだろうか。
 あの、戦死していった兵士たちや残された家族に暗涙を流した康成の至情は偽りだったとでもいうのだろうか。
 「日本の母」を訪問して、未亡人に質問もようしなかった康成の心情を、ありふれた心というのだろうか。

 「哀愁」の源氏物語との邂逅は、決して偶然に源氏物語を読み、感動した、というものではない。その背景に、日本の戦況が次第に不利に傾き、日本の国土が次第に焦土と化してゆく状況があった。
 その祖国への深い悲しみが、源氏物語の中を流れる「あはれ」と共振して、はじめてあの異様な感動へと導かれたのである。
 康成の文学的生涯は、決して戦前から戦後へ、ひと筋に直線的に連続してきたものではない。
 戦時下の川端康成については、この稿で詳しく検証してきた。

 戦後については、これからおいおい語ってゆく予定だが、戦中から戦後にかけて、康成の内部は大きく変貌しているのだ。
 川嶋の批判は、戦後の川端文学を理解できないところから来るものである。『山の音』も『千羽鶴』も、「みづうみ」も「眠れる美女」も「たんぽぽ」も、川嶋の方法では追尋することができない。その限界が、このような無理解な批判をもたらしたのである。


啓子の変節

 川嶋は、前節で見たように、「生命の樹」の、あまりに自然の美しさを強調した作風から、戦争を素通りした作品、と批判した。
 これに対して、前引の武田勝彦は、この作品の主題を、「恋人を戦争に奪われた啓子が生命の樹を発見することによって、人間としての自我を恢復したことである」とした。

 一方、長谷川泉は「『生命の樹』と戦争」(『国文学』1981・4・1)において、寺村の啓子への求婚は、「啓子の植木への追慕の愛を包摂したものとして表現されている」として、「戦争と、焦土からの再出発の一つの姿が、そこにある」と結論づけている。
 「生命の樹」の主題が、再生、再出発にあることには、わたくしも異存はない。明らかにこの作品は、焦土に芽吹いた緑によって、生命の再生を確認したところで終わっている。作品末尾の、「本郷にある、寺村さんのお友達のおうちへ、私たちは帰るのだつた」が、啓子と寺村の結ばれることを暗示していることも、異論のないところであろう。


釈然とせぬ結末

 ――だが、わたくしは、この作品の結末に釈然としないのである。

 この作品の美しいことは認める。全編に、敗戦の年の鹿屋基地の春の自然が美しかったことがあふれていることも、一年後の敗戦後の日本の東海道沿線の新芽の美しいことも認める。康成は鹿屋基地体験を決して素通りしてきたのではなく、太平洋戦争全体をも素通りしてきたのでないことは、これまでわたくしが説いてきたところから、明らかであろう。

 しかしわたくしは、啓子の再生が、寺村との結婚によって実現すると暗示されているところに、決定的な不満を抱くのである。
 長谷川泉も、その論で、作品の冒頭を引用して、「戦争」のゆえ、「日本の春」が失われたと、作者の嘆いていることを指摘している。
 また、作品の初めの方では、死んだ植木に殉じて啓子が自殺する覚悟でいることが、幾度も暗示されている。

   ・私はかぶりを振つた。そして、とつさに、自分が死ぬつもりでゐることを思ひ出した。
   ・これが、東海道の春の見納めなのだらうか。
   ・寺村さんは私が死ぬつもりでゐることを御存じない。

それなのに、作品の終りでは、啓子は寺村と結婚する気持ちへと変心するのである。わざわざ聖書の詩句まで引用されて、啓子の再生は描かれている。
 それなら、死んだ植木の魂はどうなるのだろう。
 植木の悲壮な死に殉ずるつもりで、啓子は死ぬつもりでいたのではなかったか。それなのに、樹木の再生、生命の再生を目撃しただけで、植木への愛を葬り去ってしまうのである。

 もちろん、長谷川が説いたように、寺村は、啓子の植木への愛を包摂した上で、啓子と結婚するつもりだとは書いてある。
 しかし、他者との結婚は、どんなに糊塗しようと、死者を裏切ることになるのではないのか。
 このような再生が、真の再生といえるのだろうか。
 わたくしは、この点で、「生命の樹」を、心底から肯定する気にはなれないのである。


新しい解釈

 ……以上が、これまでこの作品を読んできた、わたくしの結論であった。
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