魔界の住人・川端康成  森本穫の部屋

森本穫の研究や評論・エッセイ・折々の感想などを発表してゆきます。川端康成、松本清張、宇野浩二、阿部知二、井伏鱒二。

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川端康成の初恋 運命のひと伊藤初代 10年後の再会(4)

2014-08-09 00:11:01 | 論文 川端康成
川端康成の初恋 運命のひと伊藤初代 10年後の再会(4)

滓(かす)のやうな女

再会した初代の印象について、康成はあちこちに書いている。
「……女が身も心も敗れた今のありさまを見えもなく話すのを聞いては、女から成功者と見られてゐるらしい自分の作家面が、虚飾に過ぎぬと思ひ知る」(「文学的自叙伝」)
 「母の初恋」(『婦人公論』1940・昭和5年・1・1)の記述は、もっと残酷である。

   さうして、10幾年の後の今、民子は佐山の目の前にゐるが、使い果した滓のやうな女を、味はつてみようといふ気は、もう  起らない男であつた。

 初出では、「滓(かす)のやうな女」とルビが振られている。
 17歳の少女から10年会わなかった康成にとって、初代の変貌は、大きなショックであったろう。
 だが、初代には、その10年間で「身も心も破れる」実生活があったのだ。

 川嶋が指摘し、羽鳥も確認した作品に、窪川いね子(のちの佐多稲子)の小説「レストラン・洛陽」がある。

 「キャラメル工場から」で作家デビューして間もない窪川いね子は、前述したように、1926(大正15)年6月から、翌年7月まで、浅草のカフェ・聚楽(じゅらく)につとめた。『驢馬(ろば)』同人の窪川鶴次郎や中野重治と知り合い、窪川と同棲しはじめたころである。

 一方、初代は浅草の大カフェ・アメリカの女給になったが、その支配人をしていた中林忠蔵と結婚し、1女の母となった。しかし関東大震災でカフェ・アメリカが倒壊したため、中林は仙台のカルトン・ビルディングの支配人となり、一家は仙台に移住した。
 ところがまもなく、忠蔵が胸をわずらったため、一家は困窮し、一家は1926年末に上京、初代はカフェ・オリエントやカフェ・聚楽を転々として生計を立てた。

 こうしてみると、窪川いね子と初代は、1926(大正15)年末から1927(昭和2)年にかけて、浅草の聚楽で、およそ半年ほど同じ女給として働いたことになる。
 この聚楽の内幕を、窪川いね子は「レストラン・洛陽」(『文藝春秋』1929・9・1)に発表した。

 いね子は、「キャラメル工場から」の好評により、「発表後まもなく『文藝春秋』に『レストラン洛陽』を書くことになり、このときから私の今日に至る道が決定したようなことです」(『佐多稲子作品集』Ⅰ「あとがき」筑摩書房、1959・4・15)と書き、また板垣直子の「佐多稲子」(『明治・大正・昭和の女流文学』桜楓社、1967・6・5)には、「第1作が好評を受けたせいか、じきに『文藝春秋』から小説の依頼があって、『レストラン洛陽』をのせたところ、時評で川端康成にほめられ力づけられた」と記されている。
では、「レストラン洛陽」に、初代は登場するのだろうか。また、登場しているとすれば、どのように描かれているのだろうか。


「レストラン・洛陽」の夏江

   レストラン・洛陽は、震災後に出来た店なのだ。復興の東京にいち早くどんどん殖えていつたカフエーの1つである。

 かつては浅草でカフェ・オリオンの次に挙げられる店であったが、年々に客は減り、だんだん寂れてきて、今では閉店も間近と思われる、すさんだ店だ。
 初代がモデルと思われる夏江は、21人いる女給たちのうちで、詳しく描かれる3人のひとりである。
 夏江は、「病気で寝たつきりの亭主と子供を養ふ」ために働いている。「痩せぎすのすらりとした」「派手な」姿で、「グラジオラス」の花にたとえられている。

   夏江がごむのやうな足どりですらりとはひつて来た。
  「田中さん、私今日はうんと酔ふの、いゝでせう。」蓮(はす)つぱにさう言つた。笑ふ彼女の目はもう細くなつてゐる。

「大きく口を開いてあハハと面白さうに笑ひ散らす」、「人の好い」、からりとした気性をもつ女性としても描かれている。

 しかし、夏江には、「公然のパトロン」がいる。華族の息子の保(やす)河徳則という男で、「無表情な色の悪い男」である。しかし彼に買ってもらった反物が店にとどくと、「あら、夏江さんのえり止め、葵(あおい)の紋ぢやないの」といって朋輩たちが騒ぐ。事実、羽鳥徹哉の調査によると、保河徳則のモデル徳川喜好は、徳川慶喜の孫であったという。(「愛の体験」第三部)

 そういう実力者をパトロンにもつ夏江だが、寝たっきりの夫に対する態度は冷たい。「あの病気は、気ばかりとてもしつかりしてるんでせう。何だかんだつて、やかましくてね」といい、また「疲れて帰つた彼女に○○を強要する」と、同輩に愚痴をこぼす。
 そしてある日、彼女が外泊して帰らなかった翌朝、病夫の遺書が店にとどけられて、ひと騒動が持ち上がる。

 それは「病気の夫の心苦しさと、この頃の夏江の仕打ちに対する悩ましいうらみを書きつらね、早晩、死んでゆく自分だ、死期を早めて夏江の負担を軽くする」という内容の手紙であった。眠り薬を多量に飲んで自殺をはかったのである。かろうじて命はとりとめたが、夏江は、それにも心を動かしたふうもない。
 夫は、6月に入って死ぬ。しかし、

   危篤の知らせが店に来たときもやはり夏江はいなかつた。
   保河が病気で、看病のため彼女はその方へずつと前から泊つてゐたのである。

 知らせを受けて店へ戻ってきた夏江は、「大丈夫よ、どうせ死ぬことは分つてゐるんですもの」と平然としている。

 物語は、次のように結ばれている。

   夏江は子供を連れて洛陽の近くに間借りをした。彼女はこの頃ますます酒を飲んだ。
かんばん過ぎて、女部屋は帰り支度をする女たちが立ちはだかつて暗かつた。その蔭に、その夜も、夏江は泥酔して転がつてゐた。
  迎ひに来て待つてゐた可愛い子供が、くりくりと悲しさうに目を動かして、周囲の女たちを見上げながら、母親の夏江を引つ張つた。
「母ちやん、早く帰らうよ」
  「あいよ、今帰るよ。母ちやんはね、酔つぱらつちやつたんだよ。華(はな)ちやん母さんにキッスしてお呉れ」
さう言つて畳に顔をすりつけて眼をつぶつたまま、あてずつぽに子供の首に巻きつけてゆく母おやの腕から、子供は笑ひもせずくぐり抜けてまた母親の手を引つ張るのだつた。
           
 泥酔して、女部屋に転がっている夏江の姿。夫の死後、いっそうすさんでゆく夏江の姿を描写したこの一節は、哀切である。加えて、無心な、可愛い子供の姿が読者の胸をかき乱す。


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