疎水分線(1)
春に琵琶湖疏水の本線を歩いた旅、今回は疏水分線を歩く。
蹴上げ船溜り、
そこから疏水分線は分岐し、
北へ向かう。
南禅寺の境内の手前でへ東へ流れを振り、
境内の水路閣を西から東へと流れ、永観堂へ
と向かう。
南禅寺境内に水路閣を設けるについては、当時もかなりの反対
があったと伝えられるが、今では煉瓦積みも古色をおび、周りの
景観にしっかり溶け込む。
南禅寺三門から見下ろす境内は秋一色。
かつて五山之上といわれた禅林にふさわしい豪壮な山門からは、
京都盆地が一望できる。
黒谷と、それに続く真如堂が手に取るように近い。
南禅寺境内を過ぎた疏水分線は、永観堂の東の山手を北に
向かう。
残念ながらその姿を目にすることが出来ない。
─── 永観堂へ寄り道─────
晩秋の今、永観堂は紅葉を見る観光客で溢れる。
総門を入ると、人、人、人、
堂内へは順番を待つようにして入る。
境内は色とりどりの紅葉がその妍を競う。
」永観おそし」の「見かえり阿弥陀」がます阿弥陀堂も紅葉を纏う。
疏水の水を引き入れた放生池も水面に紅葉を浮かべる。
─── 寄り道終わる──────
扇ダム、若王子取水池を経て、やがて疏水は、
若王子橋の下から再びその姿を現す。
若王子橋を東に渡ると、そこは熊野若王子神社。
後白河法皇が紀州の熊野権現を勧進して創社された。
熊野神社、新熊野神社とならぶ京都三熊野の一つ。
疏水は哲学の道に沿って北へと向かう。
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