忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

山の辺の名刹-帯解寺

2015年07月28日 | 大和路散歩
帯解寺(おびとけでら)と聞いて、その名に聞き覚えのない女性は少ないのではなかろうか。
安産、子授け祈願で全国にその名を知られた寺である。
奈良市今市町の古い街中に建つ。
ごく普通のお寺ではないかと通り過ごしてしまうほどの寺構えであるが、境内に立つとさすがに歴史の古さを感じさせる。
平安時代に開礎された華厳宗の寺院である。





寺伝によると、この寺は弘法大師の師の勤操が開基した巌渕千坊の一院で、霊松庵と呼ばれていたが、文徳天皇女御の染殿后(藤原明子あきらけいこ)が、なかなか子に恵まれず、この寺に勅使をたてて子授け祈願をしたところ、惟仁親王(後の清和天皇)を授かった。
これを嘉して文徳天皇が新たに伽藍が建立し、「帯解寺」の名を授けた
とある。





江戸時代には二代将軍秀忠の正室お江の方が久しく世継ぎに恵まれず、この寺に祈願して竹千代丸(三代家光)を授かった。
その子の家光も正室に子が授からず、側室の御楽の方が、この寺に祈願して後の四代将軍家綱を授かった。
そのため将軍家光はこの寺に瑞祥記を下賜するとともに誕生釈迦佛を奉納したのだといわれている。





昭和、平成の御代に至ってからも、この寺は今上皇后の美智子妃殿下の御懐妊の際や雅子皇太子妃のご懐妊の際、また三笠宮妃、高円宮、秋篠宮などの皇族方のご出産の際ににも、安産御祈願の法要を営み、岩田帯、御守りを献納したりなどしている。





いつお詣りしても境内には手をつないで仲良くお詣りする若い男女の姿や、まだ首の据わらない赤子を抱いての出産御礼のお詣りをする夫婦の姿を境内に見ない日はない。





出産そのものが命がけの大仕事であった平安の昔とちがい、今の時代は医学の超足の進歩によりかなり安全に出産を迎えられるようになり、母子が生命の危険にさらされるケースも減ってはきている。
しかし、子に恵まれない夫婦の悩みは昔も今も変わりはなく、出産を控えての妊婦の心の不安や、子育てに悩む若い母親は今も決して少ない。
医学の進歩だけで出産にまつわるすべての問題を解消しきれるものではないようである。
仏前に躓き帯解子安地蔵菩薩に手を合わせる若い男女の祈の心は、昔も今もあまり変わってはいないのではなかろうか。







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