忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

白鳳のなごり-藤原宮跡

2016年10月26日 | 大和路散歩
藤原京は唐の都制にならって造られた日本で初めて本格的な都で、持統天皇が694年に飛鳥浄御原宮からこの地に都を遷してから持統、文武、元正と三代16年間にわたって都がこの地に置かた。





後に白鳳時代とよばれる白鳳文化はこの藤原京を中心として花ひらいたのである。





周囲を大和三山にかこまれたこの都はその広さ10里(5.3キロ)四方ともいわれ、後の平城京や平安京をしのぐ古代最大の都であったといわれている。
内裏をはじめ大極殿、清涼殿、朝堂院など、中心的官衙はこの藤原京の中心部の約1キロ四方の地に置かれ、後に藤原宮と呼ばれるようになった。
この藤原宮跡は現在も調査が続けられると共に、その跡地は四季の花が植えられ、この古い都を訪れる人々に憩いを提供している。





かつての宮域は春の菜の花を始めとし、ツツジ、アジサイ、睡蓮、蓮、菊、コスモス、雪柳など、季節季節の花々が花開き、季節の彩りと楽しみを教えてくれる。

秋のこの季節、藤原宮跡はコスモスの花が咲き乱れ、訪れる多くの老若の目を楽しませている。





藤原京は元明天皇が和銅三年(710年)に平城京へ遷都し、世は天平文化の時代へと移り、白鳳の時代はその短い栄華の歴史を閉じた。

しかし、その跡地に咲き乱れるコスモの花の中に佇み、
東に目をやると大和三山の天の香具山が、





西には畝傍山が、





北には耳成山が、
白鳳人が目にしたであろうそのままの雅な稜線を見せてくれている。





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