冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して18年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

学校の先生から連絡

2017年10月27日 | 子ども・家族
息子は勉強をまじめにやらない落ちこぼれである。セカンダリースクールが始まった去年も、1年を通して先生から何回か連絡をもらった。数学の先生から、宿題やってこない、テストを受けなかった、とか、社会の先生から、課題が2つ出てない、早く出さないと落第になるよ、など。
私もちょこちょこと息子に学校の宿題をやったか、とか課題提出したか、とか聞くのだが、そもそも私には息子がどんな宿題やら課題やらをもらってきているかわからない。
それをきちんと出しているかどうかも本人に聞くしか分らない。それで、聞くだけしかできないわけだが、返事はいつも「大丈夫」「やってるよ」。
で、この息子のそんな答えを信用してはいないのだが、それ以上真偽の確かめようがないんである。まさか、先生にしょっちゅうその点を聞くわけにもいかないし。

そんなわけだから、今年度も先生からまたなんか言われるんだろうなとは思っていた。
しかし、まだ1学期も終わってないうちから連絡をもらうとはさすがに思ってなかった。去年より悪くなってるじゃん!(泣)

学校の先生から連絡をもらうというのは、ぜったい悪いニュースしかないのだ。「おたくのお子さん、すごく良くできるんです」なんてことを連絡してくれる先生は、あたりまえだが、いない。
だから電話にせよ、メールにせよ、連絡が来ると「ああああ・・・なにをやらかした?(または、なにをやってないんだ?)」となる。
ちなみに娘の方はこうした連絡をもらったことはない。この子は意外に生真面目なのである。

しかし、こうした連絡をしてくれるだけでもありがたいのである。先生によっては、本人には「課題を出さないと点数つかないよ」とか警告はしても親には言ってくれないという人だっている。それは学校のことは生徒の責任できちんとやらなくてはならないと思っているから。(まぁ、さすがに落第すれすれなら親に連絡するかもね!)
だからわざわざ親に連絡してくれることには感謝しなくてはならない。連絡してくれれば親としてはヤイヤイいってなんとか課題を提出させるまでこぎつける、普通は。
今回連絡をくれた先生はフランス語の先生だが、私が期待してた以上に息子を気にかけてくれたらしく、ありがたくて涙が出る。こうしたことも、先生によってはそれほどしてくれないってこともあるのだ。もっともそれは普通であり、先生としては最低限のサポートをしていれば基本的にOKなんであるが。あれこれ面倒を見てあげる必要はなくて、生徒が自分で自覚をもって、自分の宿題とか課題を把握して締め切りに合わせて出せるようにしなくてはならないのだ。

こんな感じだと大学行くつもりなら困りますよ・・・とフランス語の先生。うーん、もう、息子は大学は絶対ムリ。あの成績じゃ入れてもらえません。でも先生が心配してくれるのはありがたい。
大学は無理だが、ともかく今は目先の問題。出してない課題をこなすように息子をワイワイとどやしつけた。
それでようやく息子もしぶしぶやり出す。できなかったことへのいろいろと言い訳を並べるので、「言い訳はいいから、やれ~!」とさらに怒られることになるのだが。

ああーー、先が思いやられる。

ちなみに学校からの連絡と言うと、欠席した時に自動音声の電話が来る。1日が終わって先生たちから出欠の確認が集まったらそれをインプットするとコンピュータで電話をかけてくれるようなシステムでもあるのか、大体夜になってかかってくる。出かけてたりして帰ってくると、留守電にメッセージがあるので聞いてみる。すると自動音声が流れてくる。「こんにちは。こちらはXX学校です・・・」という最初の部分、XX学校ですのまえまでは、息子と娘の学校どちらも同じ音声なので(2人は違う学校に通っている)、最初の部分だけ聞こえてくると「どっちだ!?」と構える。
ほんと、学校からの連絡はどれも、快いものではないのである。



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シーバスに乗って

2017年10月24日 | バンクーバーとその周辺
ノースバンクーバーに行くことになった。ノースバンクーバーとバンクーバーの間には海峡があり、向こう側に行くために橋が2本ある。1つはライオンズゲートで、バンクーバーダウンタウンからつながっている。もう一つは、セカンドナローで、バンクーバーのイーストサイドのあたりにつながっている。
車で行くならば、私の住むところは、セカンドナローを通っていくと案外とノースバンクーバーは近い。ただし、その橋はハイウェイの一部なんであり、ここを通行するにはつまりハイウェイに乗らなくてはいけない。ハイウェイは怖い・・・・。私は合流が怖いのでなるべく、ハイウェイには乗りたくない。なるべく避けているので、結果、ノースバンクーバーに行くことはあまりない、ということになる。

そんなわけで、滅多にいくことのない場所だが、この前人に会うために行ってきた。ノースバンクーバー略してノースバンも、ハイウェイから近い辺りは2年くらい前に行ったが、ダウンタウンから近い方のローンズデールとかになると、もう6~7年前くらいに行ったきりかも。
ローンズデールの方へ今回は行くことになったので、シーバスに乗っていった。(とても車で行ける自信はない)

シーバスとはダウンタウンとノースバンのローンズデールキーという場所をつなぐフェリーみたいなもの。バス、スカイトレインと同じくトランスリンクという公共交通機関の会社が運航している。このシーバスがバンクーバーとノースバンを15分弱でつないでいる。
家の近くからバスに乗り、スカイトレインの駅へ行って、1回乗り換えしてようやくシーバスのある駅に着く。そこまでですでに1時間近くかかってしまった。シーバス乗り場に行ったら、次の出航まで12分という表示。行っちゃったばかりなんだなぁ・・・・。12分って結構長い。そこで時間をロスした気分。そんなわけで待ち合わせ時間に5分ほど遅れてしまった。

シーバスは基本1台が行ったり来たりしている。戻ってくると新たに乗客を乗せて出ていく。この日は天気が良くて、バンクーバーの港の景色を眺めたり、タンカーが遠くに止まっているのを見たり、ヘリコプターが飛び立つのを眺めたり、カモメがふわふわ海の上で漂っているのを眺めたり、となかなかいい気分。シーバスに乗るとなんだか観光気分になれる。これを通勤に使っている人も多いだろうけど、私が乗ったのは通勤時間ではなかったので、他の乗客にも観光客っぽい人も結構見られた。

シーバスがノースバン側について降り立ったところはローンズデールキーという場所。お店やレストランが入ったマーケットといった感じ。ずいぶん昔に来たっきりでその頃どんな様子だったかを覚えていないほど。だから、中が変化しているのかどうかもよく分らない。
お昼を食べようということになり、フードコートへ。お肉屋さんが出しているお肉(とか厚切りハムとか)と付けあわせ2種というプレートを食べてみた。私たちが注文した食べ物を受け取って席に着き、食べ始めたころには、店の前にたくさんの人が並んでいた。人気店らしい。
量が多い!美味しいけど食べきれず、持ち帰ることにした。

フードコートのラインナップや、中のお店の様子などを見て思ったのは、ローンズデールキーは、グランビルアイランドにあるマーケットと似たような感じだったんだなということ。グランビルアイランドもバンクーバー近郊の人が遊びに来たり、観光客にも人気の場所だがここもおんなじ感じ。

シーバスがノースバンに近づくにつれて、街並みのうしろにそびえたつ山々が見えて、きれいなところだなぁと感じる。反対に、ダウンタウンに戻るときは、ビル群が目に入る。
一番前の座席に座った人の中には、大抵写真を撮っている人が何人かいる。子供たちはときおり波が立っていると喜んでいる。天気がいいから、シーバスに乗るのもさらに楽しかった。
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前も書いた気がするが、またまたラーメン

2017年10月18日 | 食べ物
バンクーバーはラーメン激戦区である。
日本人経営、中国人や韓国人経営など店がいろいろあるらしい。
もはや、スシと同じようにラーメンは英語化しつつあるような・・・
とはいえ、聞いたところによると、ラーメン屋さんにきたお客さんに「カリフォルニアロールある?」と聞かれることもあるということ。日本食のレストランなら寿司もラーメンも天ぷらもあるもんだと思っている人は意外と多いようである。

私にとってラーメンとは、袋入りのインスタントラーメンである。実家ではラーメンといったらそれを指すって感じ。袋入りのラーメンに卵だの野菜だのを入れて作るっていうのが我が家のラーメンだった。ラーメン屋さんに行ったのは本当に数えるくらいしかない。だからラーメン屋ってあちこちにあるよね?と言われても、あったっけ?あったかもしれない?という感じの認識だ。
私の友人で、カナダに来るまでマクドナルトに2回か3回くらいしか行ったことがない、という人がいてびっくりしたけど、私の場合はラーメンがそれにあたる。日本で生活していた30年くらいの間にラーメン屋に行ったのは(さらに出前のラーメンも含めて・・・)、2~3回くらいだ。

だからラーメンに対してそれほど思い入れもない。昔、イギリスに3週間くらいのホームステイ体験をしたのだが、日本人の友達と「日本の食べ物たべたいねー」「何が今食べたい?」という会話になった時、私以外は「ラーメン食べたい~」と言っていたが私は全くそういうことは思わなかった。

そういうわけで、こちらに来てからの方がラーメンというモノをよく食べている。同様に寿司もこっちに来てからの方が食べるようになった。日本では刺身も含めて寿司もたいして食べてなかったから。
この間は、メトロタウン周辺にできたラーメン屋に友人といってきた。日本人がアメリカで最初にビジネスを展開し始めたラーメン店のフランチャイズで、どこの店もメニューは基本的に同じ、作り方も同じということになっているらしい。ここのお店は中国系の人が店長のようだ。
まだ5時前なのに店内はいっぱい、混んでるなぁ~、とびっくり。店員は「いらっしゃい」とか「XX名様です」とか、日本語で言うようにトレーニングされているようだが、可愛い顔した女の子が「いらっしゃーーい」「はいよーー」などと叫んでいるのは、なんか変・・・居酒屋みたいだし、おやじっぽい。
おまけにたまに何を言っているかわからない時もある。おそらく日本語で何か言ったんだろうけど、その発音が微妙で何語?というようなことになっている。
さらに店員の数が多くてわさわさしている感じ。まぁ、働く人は雰囲気的にがやがやしているノリが楽しいのかもしれない。

こちらのラーメン屋さんで出てくるラーメンはスープがぬるい。作ってからしばらくおいといてから出してるんだろうか・・・?麺はのびちゃっているわけではないので、スープそのものをぬるめに作っていると思うんだけど。
それが私としては物足りない・・・・
もっとこう、どんぶりから湯気が立っているようなのじゃないと。そんで顔を近づけると「あ、眼鏡曇っちゃった・・・」みたいな。
しかし、こちらの人は、湯気が立っているような熱いどんぶりに顔を近づけてラーメンをすするということが苦手らしい。それで、スープはぬるめにしているらしいということも聞いたことがある。

さて私のところに運ばれてきたラーメンももちろんスープがぬるい。食べているうちにどんどんぬるくなっていく。もうそうなると美味しさも半減だ。
それをさしひいても、正直なところそれほど美味しくもないかなぁと。
そのくせ、この店のラーメンは高い。一番安くても14ドル近い。これに税金とかチップとかつけたら、17~18ドルくらいになっちゃう。ラーメンにこの値段ってのはなんとなく納得いかない。それがすっごくおいしい!ってことならまだしも。

そんなわけでこの店ももう行かなくてもいいかな!と思った。
ちなみに私のうちからそれほど遠くないところにあるラーメン屋は結構おいしいと思うので、そっちにいくほうがいいかもなぁと思う。値段もこっちのほうがずっと安いので。
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切ない小説

2017年10月11日 | 読書
ノーベル賞を受賞して話題になっている、カズオ・イシグロ氏。名前がすっごく日本人で、実際、日本人の両親を持つ日系人ではあるが、イギリスで人生のほとんどを過ごしている日系イギリス人ということになるだろう。
数年前に彼の小説が日本でテレビドラマ化された。日本にいったとこ本屋さんで翻訳されたこの小説、「私を離さないで」が並んでいるのを見て買おうかな、と思いつつ買わずに終わった。
その後、やっぱり読んでみたい気になってきたが、すでにカナダにいる身としては日本語訳されている本は見つからない。原書で読むのには多少ためらいがあったものの、図書館にいってペーパーバックを借りてきた。

話は主人公のキャシーが子供時代を回想するところから始まる。キャシーは実は臓器提供のために作られたクローン人間であり、彼女が住んでいたのはそういうクローンの子供たちばかりを集めた施設だった。そこは寄宿舎のある学校といった雰囲気で、そこでの暮らしを細かに綴っている。絵とか詩とかを制作してよくできた作品はマダムという外からたまにやってくる謎の女性がギャラリーなるところに持っていくとか、ちょっと謎めいたところがあったり、体育の先生が、そこの子供たちについて提供するための役割を担うだけで、生まれてきた意味があるのだろうかと悩んで、ほんとのことをぶちまけちゃったり、とか、普通とは違う雰囲気もあるにせよ、大体は他愛のない思い出話が続く。
それは、友達同士のいざこざとか、恋愛っぽいこととか、宝物のこととか。どうしてこうも細々と思い出話が続くのか・・・と、なんとなく飽きてきて、流し読みしたり、飛ばしたりしながら読み進めた。

しかし最後にきて、子供時代のこうした細々とした描写の意味が分かった。クローンである彼らは通常3回(臓器を)提供すれば、「終了」つまり死んでしまうわけだが、それを逃れる方法があるのではという気持ちがやはり芽生えても来る。キャシーとトミー(キャシーとなんとなく相思相愛)は、そんな藁にも縋る思いを持って、マダムとエミリー先生(学長みたいな人)を訪ねる。そこで、彼らはどうしたってこの運命から逃れることは出来ないことを知るのだが、「少なくとも私たちはあなた方に子ども時代というものを与えたかったから、そうしてきた」というようなことを言われる。
クローンとして、人に臓器を提供するためだけの目的のために作られた彼らに、少しでも生まれてきたことの意味を与えたかったのか。なんというか、悲しい運命を背負って生まれてきた子供たちに、人間らしい生活をすこしの間でも与えたかったのか、とか考える。

トミーも「終了」し、キャシーにもついに提供をする時がやってくる。それを前にしてキャシーは涙を流しながら、私は大丈夫、私にはあの子供時代の思い出があるから・・・と考える。というラストシーンにきて、この小説の前半部分の細々と記された子供時代の描写が大きな意味を成すと感じた。そして胸が詰まるような思い、なんと切ない小説だろうと思った。同時に何ともやりきれないような不条理感も。
切ない小説はいろいろあるが、この作品の読後感ほど心に響く、後を引くもの悲しさを感じられるものは多くない。
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日系人と日本人

2017年10月07日 | バンクーバーとその周辺
第2次世界大戦の頃、日本の真珠湾攻撃を受けて、カナダ政府は日系人を敵性外国人とみなすことにした。
そして、太平洋に近い西部海岸地帯に住む日系人は、内陸部などへ強制移動させられた。しかも財産はすべて没収したのち売り払われたので、戦後、日系人が元の場所に戻ろうとしても、家や車など何も戻ってくることはなかった。
それから75年。

内陸部などへ移動される前に、ヘイスティングスパークというところに収容された日系人もいた。家畜小屋として使われていたところにベッドだとかを置いて仮住まいさせたという。それというのも、収容された人数が莫大に多く、いっぺんにそれだけの人を収容できるところはなかったかららしい。当然、匂いは臭いし、不衛生だったようで、ここにいれられた人たちの感じた屈辱は想像を絶するだろう。

今年そんな強制収容と移動から75年が経ったことから、日系の博物館でヘイスティングスパークの収容所についての展示が行われている。
そのオープニングセレモニーに行ってきた。これはちょっと仕事がらみ。
ヘイスティングスパークは、夏場に遊園地として開くプレイランドの裏側にある。(というかこれらを全部含めてヘイスティングスパークというのかもしれないが)8月の後半から開かれるフェアというお祭りもあったりして、家族連れなどでにぎわうあたりにこういう場所があったとは、知らない人が多い。
私は初めてこの家畜小屋(今は物置)に行った。ヘイスティングスの競馬場のすぐ近くにその建物はあった。

雨が降って肌寒い日だった。小屋はだだっぴろいので、中に入っていても寒い。雨に当たらないのがマシってくらいなもの。
式典はたくさんの人がスピーチをして、最後に収容所に入れられた経験のあるという高齢の女性がスピーチに立った。

あるとき、いきなり警察が来て父親が連れて行かれたこと。収容所に入れられて、臭く、じめっとした清潔とはいえない空間で、鉄でできたベッドに寝かされた・・・そうした話を聞きながら、こちらも胸が詰まる思いがした。
最後の方で、彼女は、「忘れてほしくないのは、私たちはカナダ人であることなんです」といった。
強制収容は、日系人すべてが対象だった。その多くは、カナダで生まれたカナダ国籍を持った人たちだった。ただ日本人のバックグラウンドを持っているというだけで、カナダ人が同国人をこのように扱うこと、このことに憤りを覚えた日系人は多かった。
これは人種差別でもある。当時、やはり戦争の相手であったドイツ人やイタリア人のバックグラウンドを持っている人たちなどは、このような扱いを受けなかったのだから。1900年代の始めころから、日本人(とか中国人)が、いると自分たちの仕事が奪われると、デモが起きたり、アジア系の街が襲撃されたりしていた。自分たちの仕事が奪われると白人たちが主張するのも、日本人などは、給料の安いどんな仕事も生真面目にこなすことから、仕事が回ってくるようになってしまうためだ。

私は、そのスピーチの最後の部分を聞いて、衝撃を受けた。
そうか、彼らはカナダ人であるというアイデンティティを持っているんだ。日本から来た私たちとは違う。私は日本人であるというアイデンティティを持っている。
彼らと私とは違うんだ・・・という考えは、まさに衝撃だった。日系人も日本人もなんとなくルーツを同じくするという意味で同じように感じていたけど、日系人の人たちはそうは思っていないんじゃないか、と。
強制収容の不当性を訴えるということは、カナダ人である自分たちが、同じカナダ人からされた人種差別的扱いに対する糾弾であることが、改めて意識された。

となると、日本人として、この問題に対する感情というのは、なにがふさわしいのか。
同じ国の人間として、同情と憤りを感じる、というのは違う。同じ国の人間ではないのだから。とすると、人種的バックグラウンドを持つものとして・・・ということになるのか。

私の日系人に対する感情というのは、「日系人の人たちが戦中、戦後と苦労されたことは、カナダに来てよく見聞きするようになった。そういうことを乗り越えながら、誠実に生活をつづけ、良きカナダ市民として義務を果たしてきてくれたことによって、今、カナダの人たちの多くが『日本人はまじめできちんとしている』とかといういい感情を持ってくれるようになった。そのことに感謝したい」、ということ。
ただ、あの言葉は、あなたと私たちは違うのだ、と突きつけられたような気がして、はっとさせられた。

式典が終わって、外に出るとまだ雨は降っていて肌寒い。駐車場は遠く、雨に濡れながら車に戻った。

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リス

2017年10月04日 | 生活
この前、車を運転していて、片側2車線のかなり交通量の多い道を走っていた。赤信号で止まっていたところ、横の歩道にリスがちょこんと座っているのが見えた。
私の2台か3台前の車の辺りだ。もし自分の車の横にいたら気がつかないだろう。見えないもんね。
ここは、左折のためのレーンもあるので、実質的には片側3車線状態。リスは車道を見つめている。
「渡る気?!絶対無理だから!」と私は内心慌てるが、降りてリスに「渡っちゃダメ!」なんて言えるわけもないし、もしそれができたってリスが理解するわけでもないだろう。
ドキドキしながら見ていたら、ついにリスは渡ることにしてしまった。私の視界からリスが消えた。車の反対側からちょこっと出てくるんだろうか・・・と見つめているが、出てこない。
「ああああああ・・・」絶望的。そして、信号が変わって私も車を動かし始める。
道路にはリスの姿が・・・・。丸っこく見えたけど、あれは丸くなって待機しているだけなのか、やっぱり轢かれちゃっていたのかは正直はっきりとはわからなかった。
でもあれはやっぱり轢かれていたようだ。もし待機してじっとしているだけだとしても、あんなに交通量の多い道路にいったん出てしまったら、もうどうにもこうにもならないだろう。
私はリスを避けて先に進んだ。

この話を息子にしたら「てことは、リスの死ぬ前の最後の姿を見たってわけね」といわれた。イヤーーー、そういうこといわないでーーー(泣)
実は、このリスのことで私はしばらく気持ちが動揺してしまった。もちろん運転中なのですっごく動転していたら危ないので、そこまではひどくないけど。
てこともいったら、息子は「でも・・・たかがリスでしょ」。

たかがリスでも魅かれるのを見るのは気持ちがいいものではない。
私が運転していて一番よく見かけるのはリスの死骸だ。それだけ数が多いってことなんだろうけど。
私自身、運転していたら前を、たたたーーっと走り抜けていくリスを何度も見ている。いままで轢いたことはないのはありがたい。あんなに小さくたって轢いたらやっぱりなんらかの感触があるだろうし。昨日は、運転している私の車の前を黒リスが横断。おっと。距離があったし、後ろから車が来ているわけでもなかったのでちょっとだけスピードを落として難を逃れた。すこし先に進んだところで、次はグレーのリスが横断していった。口に何かを咥えて。これも距離が十分あったので全然大丈夫。

リスよりももっと轢きたくないのはアライグマとかスカンク。もっと大きいからこっちの衝撃ももっとあるだろうし、スカンクなんか轢いたら強烈なにおいが車の中に入ってきて大変だろう。私は一度、割と轢かれたばかりと思われるスカンクを避けていった瞬間、車の中に強烈な臭気が入ってきたことがある。それはそれはすごくて鼻の中にキーンと入ってきて思わず「痛い!!」と叫んだ。ほんとに痛かったので。

鹿とかムースとぶつかったりしたら、車と運転手の方も危険だというけれど、そういう大型動物にあいそうな場所を私は運転しないのでそれはあまり心配なさそうだ。
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